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今回は、ナージ(仲筋集落)にお住まいで、ゆがふ館のオバーガイドをはじめ、NPOたきどぅんが催行する「素足で感じる竹富島」のガイドさんや竹富老人クラブの活動、介護福祉関係のお手伝いなど、様々なところでご活躍中の市村美代子さんをご紹介します。


・美代子さんは台湾生まれと聞いていますが、台湾のどこですか?


:昭和11年に台北で生れました。父は前加治工屋(マイカゾヤ)、母は東玉盛屋(アイトォーリャ)の人です。竹富島には終戦後(昭和21年)に引き上げてきて小学校6年生の1学期までいました。その後は石垣島の伯父の手伝いをしていました。


・竹富島へ帰郷したのはいつ頃ですか?

:平成7年に母(故市村サダさん)の介護をするために竹富島へ戻ってきました。


・市村という姓は竹富島では大変珍しいのですが、改姓されているのですが?

:はい。本来の姓は登野城といいますが、"城"という字は沖縄の姓によく付くのですが、日本統治下の台湾では沖縄人は差別されており就職などで様々なハンデがありました。そのために市村に改姓しています。


・現在はゆがふ館、素足ツアーと訪れる旅行者と色々な話をされていますが、楽しいですか?

:はい。とても楽しいです。特に素足ツアーで意気投合した旅行客のみなさまとは現在も手紙のやり取りなどをしています。ゆがふ館での過ごし方も機織や来館者の方々との会話も楽しんでいます。


・どうも有難うございました。


【記者補足】
沖縄県民は1879年の琉球処分による沖縄県設置以降最近に至るまで、大和文化と異なる言語や文化を持つことで、市井では差別を助長する風潮がありました。1903年の大阪勧業博覧会の「人類館事件」では、アイヌ人、朝鮮人、台湾人とともに"展示"された事件も起こっています。

ゆがふ館と素足ツアーでいつもお世話になっている市村美代子さん。美代子さんがゆがふ館で機を織る際、その光景は常にゆがふ館の主役となります。この時ばかりは、7分間の映像「オーリトーリたきどぅん」も敵いません。。


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