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シーサー/水牛/その他の動物たち
・音・言葉・話(昔話、民謡)
昔、大和の根の国からニーラン神と言う神が舟に乗って竹富島の西海岸に到着した。その舟には種々の種子物が積み込まれていた。ニーラン神が竹富島に上陸すると竹富島の神の一人が、ニーラン神に会って「この島に持って来られた種子物は、一応竹富島において、ハヤマワリ=ハイクバリの神に命じて八重山の九ヶ村に分配するように一つご面倒を頼む」とニーラン神に話した。竹富島の神は、欲ばってなるべく多く竹富島に種子を分けたいと思い、ニーラン神の持って来た種子袋からニーラン神の目をぬすんで、一種の種子を草むらの中に隠した。ニーラン神は種子袋をハヤマワリ=ハヤクバリの神に渡し、八重山の島々の神に種子を配布した。そして、その種子が生えて豊作になったら初穂をあげてくれと頼んだ。草むらに隠してあった種子を蒔いてみると胡魔(ゴマ)というものが生えてきた。胡魔は悪事の心を起こしてできた作物であるからと胡魔のお初を神へ上げることを遠慮したので、竹富島では胡魔のお初上げだけは行わない習慣になっている。
草むらに隠してあった種子物の神名を「根(ニー)ウスイ」と呼ぶ。根ウスイとは、種子を草の根でかぶ被すという意味である。
竹富島では、旧暦8月8日に世迎い(ユーンカイ)と言う行事がある。ニーラン神から種子物を戴いて、竹富島の豊作を祈ると言う行事がそれである。また、火の種をもらったのもニーラン神からであるので、ニーラン神の殿居元家(トゥヌイムトゥ)である前泊家には、火の神の霊石が祀られている。
昔、天降りの女神・マリツと言う一人の女神が岩屋に住んでいた。人間にも知られず、岩屋で一生懸命に清水の湧き出る水脈を探す仕事をしていた。
ある日、それを知った男神のソコツが岩屋に来て、その仕事に協力して必ず泉を求めよう、とのことから南と北に別れて岩を掘った。二人の神の念願がかない、両方の穴から立派な清水が湧き出た。
マリツ神は大変喜んで、ソコツ神に感謝した。こうして女神・男神の二つの泉が岩屋に湧き、その泉を人間がしようするようになった。それで人間はこの井戸に降りて行く前に、井戸口に立って二個の小石を岩屋に投げつけ、「マリツ、ソコツのミナーカー」と唱えてから井戸に降りて水をくみ上げるようになったと言う。
ミナーカーと言うのは、神の見つけた井戸と言う意味であり、島のカンツカサ神司たちは、この井戸を深く信仰している。
ね子の方向にある星を父星と言い、うま午の方向にある星を母星と言う。
ある日、母星がお産をしたいとのことで、天の大明神に申し出た。大明神は竹富島の美しい、広い南の海に降りてお産をするよう命じた。母星はその通りに竹富島の南の海に降りて、沢山の子供を産みおとした。すると、海の係の七竜宮神が、「自分の所有のこの海を、母星が勝手にお産の場所に使ったことは決して許せない」と、海のフージャ大蛇を使って、星の子供を全部かみ殺させた。大蛇が食べた星の子供の骨がフンとなって、南の海岸に打ち上げられらのが星砂である。
島のアイミシャシ東美崎の神は、この星の子の骨をひろい集めて自分のそばに祀り、いつか天国に返してやろうと考えていた。
そのことから、御嶽の神女のおかげで、星の子は昇天しているので、午の方角の母星のそばに多くの子星が光っていると言う。出典:竹富島誌(民話・民族篇) 上勢頭 亨