November 22, 2012

外間守善先生を悼む

昨日のブログでお知らせしたとおり、
沖縄学の第一人者で竹富島の民俗学研究に
多大なる貢献をされた
法政大学名誉教授の外間守善先生が肺炎のため
87歳で逝去されました。

外間先生の竹富島においての最大の功績は、
上勢頭亨著
『竹富島誌』(民話・民俗編)(歌謡・芸能編)
を世に送り出すきっかけを作ってくれたことですが、
今回のブログでは、
『竹富島誌―歌謡・芸能編―』に掲載されている「跋」を
上勢頭本家に転載のご承諾をいただいたうえで、
皆さまにご紹介いたします。

外間先生のお人柄や竹富島に対する深い愛情、
そして、
何よりも故上勢頭亨翁への畏敬の念が込められた
「跋」をぜひご一読くださいませ。

(ta)

『竹富島誌―歌謡・芸能編―』
(1979年11月10日発行)巻末掲載

「跋」
法政大学沖縄文化研究所所長  外間守善

 喜宝院院主上勢頭亨さんが、その生涯の大半をかたむけて収集し
整理し続けてこられた竹富島に関する言語、文学、民俗、歴史等々の
貴重な原資料が、ついに陽の目をみることができた。
 実に喜ばしいことである。上勢頭さん御自身はもちろんのこと、
竹富島の島民の皆さんも首を長くして刊行の日を待ったということであり、
かさねておめでたいことだと思う。
 それにしても、原稿を入れてから数年もかかって本になるという、
かなりな難産模様であった。その間、じっと耐えてくださった上勢頭さん
に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいである。
 三年前に刊行された『竹富島誌』(民話・民俗編)とともに、本書の果たす
学問的意義ははかり知れないものがあると思う。「民話・民俗編」に収集
された「神口」「願い口」とともに、本書収載の「歌謡・童謡」の資料価値の
高さは、いまさらいうまでもないことであるが、なんといっても「狂言」資料
の豊かさと、「狂言」の中で「例(じー)狂言」と「笑(ばら)し狂言」の弁別が
明確であるという事実は驚きであり、学問的に重要な示唆を含む資料になる
ことと思う。「狂言」の文字化なども、口承性の強い南島では珍しい例であり、
上勢頭さんだからこそできた記録であるといえる。
 一般に、八重山を含む南島地域の祝詞、神歌、歌謡、民俗等々は口承で
伝えられることが原則であり、しかもそれらのすべてが神事にかかわりを
持っているため、秘伝性をおびた口承であるという特色を持っているのだが、
竹富島のそれらのすべてを受けついで今日に伝えている方が上勢頭亨さん
である。竹富島の語り部とでもいったほうがふさわしい方で、その抜群の
記憶力に支えられて、島の歴史や民俗や神歌が、よどみなく、果てしなく
語られるのを聴いていると、奈良朝のいにしえ、『古事記』を語り伝えたという
語り部の面影が髣髴としてくる。

 私は、神歌を収集し記録するために、奄美、沖縄、宮古、八重山の島々を
巡訪して二十数年になるが、上勢頭さんほどに記憶力がすぐれ、しかもなお、
受けついできた伝承事実をなんとかして後世に伝えようとする意識に目ざめた
方にお目にかかったことがない。上勢頭さんがなぜ、口伝による伝承を文字化
しようとなさったのか、ついうかがいそびれてしまったが、島に押し寄せてくる
近代化の波の急なるさまをみると、上勢頭さんがそうせざるを得なかった歴史
の必然をみるような気がする。時宜を得たわけであり、口伝の歴史に逆らって
文字化してくださった上勢頭さんに、私はあらためて深い敬意を表したいと思う。
上勢頭さんの勇気と御努力は、竹富島の歴史に刻まれて不滅であろう。
 さいごに、上勢頭亨さんの原ノートの整理からさいごの校正にいたるまで、
黙々と手伝ってくれた宮良安彦君など、さらに宮良君の良き助力者になって
くれた石垣久雄、石垣繁両君の御努力が本書を生み出す力になったことも、
感謝の気持ちを込めて記しておきたいと思う。長い間、うむことなく本書を担当
してくださった法政大学出版局の秋田公士さんに対しても、
上勢頭さんにかわってお礼申しあげる。

昭和54年9月9日記


投稿者 takidun : November 22, 2012 07:40 AM