6月23日は、
沖縄戦の組織的戦闘が終結した日。
沖縄県ではこの日を慰霊の日とし、
戦没者の英霊を弔う日として公休日としています。
日本に復帰して40周年を迎えた県内では、
20万余名の尊い命が失われた
沖縄戦の悲劇を風化させないようにと、
各地で追悼式が執り行われています。
竹富島では、
世持御嶽北側の竹富町戦没者慰霊之塔前にて
第51回竹富町戦没者追悼式が執り行われています。
(ta)
八重山地方では,
米軍の上陸作戦が計画されていたものの、
実行されることはなく、直接の戦闘はありませんでしたが、
約3,600名の非戦闘員の尊い命が失われました。
なかでも、
“戦争マラリア”として国家賠償となった
波照間島住民の軍命による強制疎開の悲劇は、
西表島南風見田に遺された、
「忘勿石 ハテルマ シキナ」
によって、今もなお多くの人々に語り継がれています。
竹富島では、駐屯した独立歩兵301大隊第一中隊
大石喬隊長の正しい判断により、
波照間島に起こった悲劇はありませんでしたが、
今もなお機銃掃射のあとや塹壕などが残されています。
竹富町戦没者慰霊之塔には、
太平洋戦争で亡くなられた軍人・軍属128柱が祀られていますが、
~ここはもや 汝が古里ぞ 帰りきし
みたま安かれ この島とともに ~
の鎮魂歌は、軍人・軍属ばかりではなく、
現在の豊かになった八重山をみることなく散華した
英霊すべてに捧げられています。
※ 八重山の戦争に関しては、
『八重山の戦争』(大田静男著 南山舎発行)に詳細に記されています。