August 08, 2011

花城御嶽

竹富島に数多く点在する御嶽(オン)。
沖縄本島では“ウタキ”や“オタケ”と呼びます。
現在、竹富島には28あるとされ、
竹富島の精神世界の中心に位置する神聖な場所です。

0808hanakkuon.jpg

今回は、竹富島の花城村の創設の神で、
竹富島で執り行われる神事の中心となる六山(ムーヤマ)のひとつ、
花城御嶽(ハナックオン)をご紹介します。

花城御嶽には、
花城村の氏神である他金殿(タキンドゥン)と
渡来先の沖縄島から招かれた神がまつられています。

(ta)

※ 御嶽は神聖な場所です。
  鳥居から中へのお立ち入りはご遠慮ください。

創建の由来は、
琉球王国が1713年に編纂した『琉球国由来記』に記されています。

花城御嶽
神  名 豊見はなさう
御いべ名 いへすしやかわすしや
(をきなわかなしより御渡たかねとのおかみ初る)


竹富島にもっとも早く渡来したと云われる他金殿には、
竹富島の名前の由来(タキンドゥン~タキドゥン~テードゥン)
を始めとして、
六山の神々のなかで最も多くの伝承が遺されています。
ここでは、
老練で勇猛な武人としての他金殿の伝承をご紹介しましょう。


− 竹富武士と崎枝武士の力くらべの話 −

昔、八重山一の力もちと言われていた崎枝武士と、
離島一の力もちと言われていた
竹富島の他金殿という二人の武士がいた。
ある日二人は話し合って、
石垣島にあるヤドバーレと言う所にある
大きな石の戸を押す勝負をすることにした。
 崎枝武士は年若く、体が太く力も大変強いので、
八重山島民の間の前評判では崎枝武士が勝つと言われていた。
一方、竹富の他金殿は年寄りであった。
しかし他金殿は崎枝武士より先輩であり、才知にたけていた。

いよいよ勝負の日となり、他金殿は腹ごしらえのために、
部下に命じて餅米の御飯を一斗準備させた。
崎枝武士の方は勝負の時間であると言って、
早くから現場に来て待っていた。
崎枝武士は今やおそしと他金殿へ使者をやった。
他金殿は、
「私は年寄りで歯がなく、御飯を食べるのに時間がかかります、
あと二時間後に勝負をいたしましょう、お待ち下さい」
と使者に返事をした。
そして他金殿の返事を待っている崎枝武士の所へ
使者がまだ帰らないうちに、
大急ぎで餅米の一斗を一口で食べ、腹ごしらえを十分にしてから、
馬に乗って急ぎ現場にかけつけた。
そして、崎枝武士に向かって言った。
 「私は昼食を済ませて勝負すると連絡しましたが、
あなたの折角の希望である時間を尊重して、食事もせずに急ぎ参りました」
そこで、それでは早く勝負を済ませて食事にしようと言って、
勝負を始めることにした。
そして、地面にある一坪の重い石の戸を両人で立て、
両側からその石戸を押し始めた。
崎枝武士は手で力いっぱいに押し、他金殿は両手に櫂を持って押した。
崎枝武士は時間がたつにつれ、力が弱くなってきた。
彼は食事をとっていないので腹に力が入らなくなってきたのである。
一方の他金殿はまだ十分に力があったので、
この時とばかりに石の戸を押し始めた。
崎枝武士は初めから力を出していたので、今になって力を出せず、
後ろへ後ろへと押された。
他金殿は遠くの岬まで石戸を押していって、
そこで石戸でもって崎枝武士を押し倒して殺した。
そのためこの地をケーラ岬と言う。
ケーラという地名は「けたおされて」
死んだという意味から名付けられたと言い伝えられている。

出典 『竹富島誌 ―民話・民俗編― 』上勢頭亨著 法政大学出版局発行

投稿者 takidun : August 8, 2011 11:05 AM