July 04, 2011

久間原御嶽

竹富島に数多く点在する御嶽(オン)。
沖縄本島では“ウタキ”や“オタケ”と呼びます。
現在、竹富島には28あるとされ、
竹富島の精神世界の中心に位置する神聖な場所です。


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今回は、竹富島の久間原村の創設の神で、
竹富島で執り行われる神事の中心となる六山(ムーヤマ)のひとつ、
久間原御嶽(クマーラオン)をご紹介します。

(ta)

久間原御嶽には、
久間原村の氏神である久間原発金殿(クマーラハチンガニ)と
渡来先の沖縄島から招かれた神がまつられています。

創建の由来は、
琉球王国が1713年に編纂した『琉球国由来記』に記されています。
久間原御嶽
神  名 東久間真神山
御いべ名 友利大あるじ
(をきなわかなしより御渡久間原はつおかみ初る)


六山の神々には数多くの伝承が遺されていますが、
久間原発金殿の伝承はごく僅かしか遺されていません。
しかし、
それが久間原発金殿の出自に何らかの意味があるのではないか
とも推測することができます。


− 六酋長の土地と海の配分の伝説 −

 昔、竹富島には六ヶ村の酋長がいた。
その酋長たちは、屋久島、久米島、徳之島、沖縄本島から竹富島へ渡来した。
島は小さい上に、土地は狭くして生活に不便であるため、
六人の酋長はそれぞれの領地について協議した。

花城村の酋長は、少しの土地を六つに分けることは無理と思い、
土地をもらうよりは広い海を多く分けてくれ、と真っ先に願い出て、
東方から南方にわたる卯辰巳午の四ヶ所をもらい、
大きな海の所有者になった。

玻座間村の酋長は耕作面を良い土地から多くと言って、
玻座間村を中心に、美崎付近を自分のものに分けてもらい、
その地で粟作につとめた。それで粟の主として尊敬されるようになった。
かわりに海としては島の子の方向にある
「ヒラソイ」「東ヌソイ」「西ヌソイ」という、三つの大岩を分けてもらった。

幸本村の酋長は、玻座間村と同様、良い土地を多く取ることを望んだ。
「フウジャヌクミ」を中心として西方へ耕地を分けてもらい、
大豆、小豆、赤豆、下大豆等の豆類の研究を重ねたので、
豆の主として尊敬された。そして、海は西の方向の一部をもらって生活した。

仲筋村の酋長は、竹富島の中央を選び、
アラ道からンブフル、仲筋フウヤシキまでの耕地をもらいうけ、
麦作の研究をしたので、麦の主として尊敬された。
海は戌亥の方向を二部自分の海としてもらいうけた。

波利若村の酋長は、やさしい欲のない方で、
五名の選び残りでよいとのことから、
美崎原にある新里村の土地の一角をもらい、
海は寅の方向の一部をうけてバイヤピーと名づけた。
そして自分は、六名の内一番後輩である、
先輩たちの諸作物に一番大切な天の恵みである雨を祈り、
島の豊作を祈念するということから雨の主になった。

久間原村の酋長は、良い土地より悪い石原を多く持ち、
その土地に植林をして人民の幸福をはかることが望みだった。
そのため石の多い野原を取り、
ヒシャール山、ヘーマジッタイ、クムクシマフ、カイジを所有地にし、
石原に木を植え、竹富島の山林の主となって、
人民から山の神として尊敬された。
また海の方は、未申にある「ヒサラピーナノウーピー」を自分のものとした。

六人の酋長は、自分の担当した職を神司に告げたので、
竹富島の六人の神司はその由来から土地や海を祝詞に唱え、
麦、粟、豆、山、海、雨、
この六つに分かれた主の神として六つの御嶽を創立したと言うことである。

出典 『竹富島誌 ―民話・民俗編― 』上勢頭亨著 法政大学出版局発行

※ 御嶽は神聖な場所です。
   鳥居から中へのお立ち入りはご遠慮ください。

投稿者 takidun : July 4, 2011 08:33 AM