June 07, 2011

幸本御嶽

竹富島に数多く点在する御嶽(オン)。
沖縄本島では“ウタキ”や“オタケ”と呼びます。
現在、竹富島には28あるとされ、
竹富島の精神世界の中心に位置する神聖な場所です。

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今回は、竹富島の幸本村の創設の神で、
竹富島で執り行われる神事の中心となる六山(ムーヤマ)のひとつ、
幸本御嶽(コントゥオン)をご紹介します。
幸本御嶽には、
幸本村の氏神である幸本節瓦殿(コントゥフシンガーラ)と
渡来先の久米島から招かれた神がまつられています。
ちなみに、幸本御嶽が置かれている地は
フージャヌクミ(長者の地)と云われており、
幸本節瓦殿がいかに裕福で力を持っていたのかを偲ぶことができます。

創建の由来は、
琉球王国が1713年に編纂した『琉球国由来記』に記されています。

幸本御嶽
神  名 国の根の神山
御いべ名 もちやい大あるじ
(久米島より御渡幸本ふしかわらおかみ初る)

また、幸本御嶽の東側には、
小底場(クックバー)と呼ばれる小高い丘があります。
この丘は祭主である竹富公民館執行部と
神司のみが年に僅か2回(プイ・ユーンカイ)だけ
立ち入ることを許される場所であり、
竹富島において最も神聖な場所と云ってもいいでしょう。

さらに、ブログをご覧のみなさまに、
昭和51年『八重山文化論集』にて発表された
論文「竹富島のユーンカイ(世迎い)」を、
八重山の文化人のひとりに挙げられる、
著者の石垣博孝氏に転載のご承諾を頂きましたので、
抜粋してご紹介いたします。

※ 御嶽は神聖な場所です。
   鳥居から中へのお立ち入りはご遠慮ください。

(ta)

石垣博孝 1976(昭和51)年 「竹富島のユーンカイ(世迎い)」
八重山文化研究会編  『八重山文化論集』

三.行事の内容

旧暦の八月八日の早朝、ツカサ達は準備を整えて集会所に集まり、
村の幹部たちを伴って島の西海岸コンドイ浜へ向う。
以前はクツクバ嶽のツカサをしていた
西表ナへ氏(イリムティヤー)で祈願を行ってから、
浜へ行く慣いになっていたが、
ツカサの死亡(1963年頃)により、現在の形をとるようになった。
イリムティヤーにはかって、ニイランの香炉と舟の掛軸があったが、現在はない。

コンドイ浜は、ゆるい曲線を描く砂浜とサンゴ石灰岩で出来、
凪いだ海、澄んだ水のはるか西方海上に小浜島、西表島が横たわっている。
その浜に高さ1.2メートル、幅0.60メートル、厚さ0.25メートルのニイラン石があり、
石の根もとにキクメイシで出来た二基の香炉が置いてある。
アンナイコオロ(案内香炉)とニガイコオロ(願い香炉)である。
 浜に着くと砂の上にゴザを敷いて席を作り、
ツカサ達は心得たように自分の席へつく。
ニイラン石に向かって
左から、小底モウシ(クックバ御嶽)、仲本静(コントゥ御嶽)、請盛ユキ、
崎山苗(ハナスク御嶽)、石川明(ハサマ御嶽)、大山静(バイヤー御嶽)、
登野原ミツ(サージ御嶽)、安里八重(クマハラ御嶽)の順である。
村の幹部や世話人達は、その左手に座を占める。

ツカサ達は白い朝衣(神衣)をまとい、
静かにぬがずいて、コーハナ(香、白米)と酒を並べる。
白い朝衣は苧麻布または芭蕉布でつくられた打掛で、
神行事の時だけ、着物の上に着用する。
一番香(一握りの香束)が二つの香炉にたかれ、合掌祈願が行われる。
祈願の後、ツカサ達はそれぞれの香箱をささげ持って、
口々に「シィサリー」といって拝する。
シィサリーは、おうがいします、お知らせしますの意で、神への案内である。
 二番香までの間に小休止があって、
酒がまわされ、マースウサイが配られる。
マースは塩、ウサイは肴のことである。
ここでは神酒の肴として塩を用いることから、この名がある。
小皿に盛ったマースウサイを世話人が持ちまわり、
箸で一はさみずつ全員の左手に置いていく。
人々は左手の塩をなめながら神の酒をいただくのである。
次いで二番香による祈願がある。ほとんど一番香の時と同じである。

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2008年9月7日の「世迎い」

古老の説明によれば、三番香を継いで祈願し、
両の手で拝み招く間に神の舟が到着するというのである。
三番香が立てられると、全員が鉢巻をしめ、
ドラや太鼓に合せて「トゥンチヤマ」という謡をうたう。
ツカサ達は正座のまま両の掌を向に向け肘を折って
我が身へ招き寄せる所作をくり返しくり返し行なう。
整然とした中に真剣な熱気がこもっている。

《中略》

 「トゥンチヤマ」が終り、神舟が着くと、
ツカサ達はニイラン石のもとをはなれ、
神をともなってコントゥ御嶽への道への道につく。
道々「トゥンチヤマ」をうたいながらである。
途中、浜に近いニイウスイ御嶽へ参詣し、礼拝を行なう。
ニイウスイ御嶽は竹富島のために抜荷という
大それたことをした神を祀ったところである。
おそらく種子袋をかくした所で、
中喬木が繁茂し、今なお物をかくすのに格好の場所である。
ひっそりとした形ばかりの囲いの中に、香炉を一つ置いただけの拝所である。

《中略》

 ツカサ達がナージ(仲筋)村に近づくと、
村はずれに鉢巻をしめた婦人達が待ち受けていて、
謡をうたい両手を上げ単純な振りを行ないながら、うやうやしく一行を迎える。
 迎える方も迎えられる方も満面に笑みを浮かべて交わり、
ともに「トゥンチヤマ」をうたい、ガーリィを行なう。
ガーリィはドラの連打に乗って、
両側から相寄るように中心部に集約されたり、
波紋をおもわせるひろがりをみせたりしながら、規則正しく、幾度もくり返される。

 村の入り口での一連の所作は、
今しがた神を伴なった一行を迎え、
この村に快よく富貴の世(豊年)をもたらして下さい、という願いがこめられている。
一行はこの歓迎を受けた後、ナージ村にあるコントゥ御嶽に入る。
コントゥ御嶽は先にも記したとおり、
神名、国ノ根山。御イベ名、モチヤイ大アルジで、
久米島より渡来した
クバムトゥフシカーラ(小波本節瓦)によって拝み始めたとされているところである。

《中略》

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2010年9月15日の「世迎い」

拝殿には二つの香炉があって、
正面はコントゥ御嶽、
右手東向きの香炉はクツクバ御嶽へのトゥーシィ(遥拝)香炉である。
ツカサはそれぞれの香炉に香を立て、供物をそなえて祈願を行なう。
一通りの祈願がすむと、一同は座をくずし、
酒とマースウサイがまわされる。
更にお茶、お菓子が出て、くつろぎながら一時を過ごす。

一息入れると、クツクバ御嶽のツカサは一人拝殿を出て、
クツクバ御嶽へ通じる道を行く。
ツカサは手前でフクギの葉を三枚とり、その一枚を口にくわえ、
残る二枚は一枚ずつ左右の手に持つ。
神へ向う際吐息のかかることをおそれてのものであり、
竹富島ではウブ(イビ)入りの時にそれを行なう習慣がある。
ツカサはクツクバ御嶽の下で香をたき、
神にうかがいをたてる祈願を行なう。
しかる後履物をとり、素足で曲がりくねった岩の間の道を登りはじめる。
クツクバ御嶽はコントゥ嶽と境内を同じくする拝所で、
うっそうとした原生林に囲まれた岩の上にある。
岩の上にはちょっとした神座があって香炉が置いてある。
このクツクバ御嶽は、
ニイラン神の持ってきた種子をハヤマワリハイタツ神に命じて、
九つの村へ配布させた所だという。
クツクバ御嶽のツカサが登って後に、
他のツカサは並んで登り、村の幹部たちはその後に続く。

《中略》

 クツクバ御嶽は日頃上ることを許されない。
もっとも、他の拝所にしたところでみだりに立入ることは許されない。
この「禁」は定められたことというより、
人々の畏敬の念のあらわれであることが多い。
しかし、クツクバ御嶽の場合は、岩全体が神座であることから、
一般にみられる御嶽のイビと同じ性格を持っており、
もっと厳しい「禁」がいいわたされている。
 公然と上れるのは、
ユーンカイの日にツカサと行動をともにする村の幹部や手伝人に限られている。
クツクバ御嶽は樹々の間を通してンブフル(牛丘)を望むことができる。
祈願の方法はコントゥ御嶽と同じで、供物をそなえて香をたき、
全員による合掌祈願である。ここでも、「トゥンチヤマ」がうたわれる。

 クツクバ御嶽での祈願が終ると、一行は再び上ってきた道を降りて、
コントゥ御嶽の前庭で揃い、
ツカサ達を行列の前に立ててハサマ村へ向かうのである。
ハサマ村でもナージ村と同じく婦人達に迎えられ、
トゥンチヤマをうたいガーリィが行なわれる。

 しかる後、集会所へ行き再びガーリィをして円座をくむ。
ユーンカイの行事をつつがなく終えた安堵感が集まった人々の表情にあって、
それぞれの労をねぎらいながら飲み物や菓子をいただくのである。
なごやかな語らいがあって、
心を一つにして行って来た行事の首尾をかみしめる。
ユーンカイの行事はすべて終了し、
ツカサ達は白朝の神衣を脱ぎ鉢巻をはずして人間にかえる。
まだ正午には間のある時刻である。

投稿者 takidun : June 7, 2011 08:00 AM