April 07, 2011

玻座間御嶽

竹富島に数多く点在する御嶽(オン)。
沖縄本島では“ウタキ”や“オタケ”と呼びます。
現在、竹富島には28あるとされ、
竹富島の精神世界の中心に位置する神聖な場所です。

今回は、竹富島で最も徳の高い神とされ、
竹富島で執り行われる神事の中心となる六山(ムーヤマ)のひとつ、
玻座間御嶽(ウーリャオン)をご紹介します。

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玻座間御嶽は、6つに分かれていた竹富島の村を一つにまとめあげ、
数多くの伝承がのこされている氏神、
根原金殿(ネーレカンドゥ)と渡来先の屋久島から招いた神がまつられています。

創建の由来は、
琉球王国が1713年に編纂した『琉球国由来記』に記されています。

波座真御嶽
神  名 豊見を永山
御いべ名 はたと大あるじ
(屋久島より御渡根原かんとのおかみ初る)

根原金殿は、竹富島最大の祭である種子取祭を統合したと伝えられており、
奉納芸能初日(サチブドゥイ)は、根原金殿の日とされています。


(ta)

― 種子取祭の由来伝承 ―

かつて、竹富島には6つの村があり、
それぞれの酋長がいて村人を愛し、
島のため農作物の作り方を各自の村で指導していた。
根原金殿と仲筋村の新志重成殿(アラシハナカサナリ)は
「つちのえね」の吉日を選んで種子を蒔きはじめの種子取祭を行っていたが、
他の4村は「つちのとうし」「きのえうま」と別の日取りを決めて行なっていた。
根原金殿は、6名の酋長が心を合わせて行事を行うのが
将来の竹富島のためであり、
神からの恵みも大きくなり農作物の豊穣も期待できると考え、
自分の選んだ「つちのえね」の吉日にこの行事をまとめたいと思い、
幸本村の幸本節瓦殿(コントゥフシンガーラ)に自分の妹を嫁がせて、
その対策を講じた。
嫁に行った妹は、
まず兄の根原金殿が「つちのえね」の日に蒔いた粟で神酒を造った。
この粟は発芽がよく、穂の稔りもよかったので一斗甕に原料八升を入れて置き、
七日目に甕の蓋を開けてみると一斗甕にいっぱいに湧いて、
箸を中につき立てても倒れないほどの濃くおいしい神酒ができた。
ところが、
夫の幸本節瓦殿が「つちのとうし」の日に
種子蒔きはじめの式を行った粟で神酒をつくると、
同じ一斗甕に八升の原料を入れても、
七日目に蓋を開けると、
自分の入れた八升のままで一合も増すことがなく、
薄水のようで、箸も立てられず、風味の悪い神酒ができた。
それで夫に対し、
「私の兄は長年、玻座間村で神酒の造り方を研究してきました。
神酒の造り方には変わりがないのにあなたの神酒の出来がよくないのは、
私の考えでは種子取祭の日取りのせいだと思います。
玻座間村の兄の選んだ「つちのえ ね」の日が一番よいと思います。」と言った。
そのことを聞いた幸本節瓦殿は妻の言うことを信じ、
それなら自分だけではいけないと、
東方の村の三名の酋長にもそのことを話し、
四名の酋長は一緒になって
玻座間村の酋長根原金殿の習わしである
「つちのえ ね」の日に行われる種子取祭を見るために相計り、
覆面に身を装ってはるばる遠方より訪ねてきたのである。

出典 『竹富島誌 ―民話・民俗編― 』上勢頭亨著 法政大学出版局発行

また、根原金殿は竹富島を統一したのち、
与那国島へと勢力を伸ばそうとしますが、
姦計によって同島で没したとの伝承がのこされています。

そのため、
1941(昭和16)年7月6日に竹富島の神司および当時の指導者が、
根原金殿の神霊を竹富島へお戻しになるため、
与那国島へ出向いたという事件があったそうです。

現在、根原金殿の神霊は、
玻座間御嶽にて竹富島を安らかに見守っています。


※ 御嶽は神聖な場所です。
   鳥居から中へのお立ち入りはご遠慮ください。

投稿者 takidun : April 7, 2011 09:00 AM