竹富島に数多く点在する御嶽(オン)。
沖縄本島では“ウタキ”や“オタケ”と呼びます。
現在、竹富島には28あるとされ、
竹富島の精神世界の中心に位置する神聖な場所です。
今回は、
島づくりの神々がまつられ、
竹富島で執り行われる神事の中心となる
六山・八山(ムーヤマ・ヤーヤマ)のひとつ、
清明御嶽(マイヌオン)をご紹介します。
清明御嶽は、国仲御嶽、西塘御嶽、世持御嶽と同様に、
竹富公民館が管理するムラオン(トゥクルウガン)のひとつであり、
竹富島の氏神と氏神が招いた神がまつられる6つの御嶽、
六山(ムーヤマ)とともに祭事行事の中心となる御嶽です。
創建された年代は明らかではありませんが、
前浜玉仁(まえはまたまに)という神霊を受けた人によって
拝みはじめられたと云われています。
また、創建の由来については
次のように伝えられています。
― 清明御嶽の由来 ―
はるか昔、
天の神さまは、
清明加那志(シンミンガナシ)と
オモト・ホーラステラスヌ神の二神に
人間の住む島を造るようにと仰せ付けた。
清明加那志は広い海の中にあった小さい岩に降りたち、
その岩を中心として付近の石や砂利や砂土を盛り上げて
竹富島を造り上げた。
その岩はアガリ=パイザーシの岩といわれ、
島の中央部の清明御嶽の東方にある。
オモト・ホーラステラスヌ神は
石垣島の於茂登岳を築き、その山の上に住んだ。
その後、
オモト・ホーラステラスヌ神と
清明加那志は共同で
もっと大きな島を造ろうということで
大石垣島すなわち石垣島を造り、次々と島を造った。
あわせて八つの島を造ったので、
八重山と呼ばれるようになったと云われている。
島造りの神である清明加那志と、
山造りの神であるオモト・ホーラステラヌスの二神を祀ってあるのが、
竹富島の中央部に建てられている清明御嶽である。
清明御嶽を島の人々は島の元御嶽と称している。
出典『竹富島誌―民話・民俗編―』 上勢頭亨 著 法政大学出版局発行
清明御嶽は、別称「マイヌオン(前の御嶽)」と呼びますが、
竹富島の元の岩となる東パイザーシ御嶽の南に位置するためや、
竹富島最大の偉人が祀られる西塘御嶽の南に位置するためなど、
これも諸説があり定かではありません。
雨乞いの儀式、
結願祭、
年に3回執り行われる大祭の夜籠の御嶽
として、
竹富島の祭事には必ず訪れる重要な御嶽です。
※ 御嶽は神聖な場所です。
鳥居から中へのお立ち入りはご遠慮ください。
(ta)