January 08, 2011

国仲御嶽

竹富島に数多く点在する御嶽(オン)。
沖縄本島では“ウタキ”や“オタケ”と呼びます。
現在、竹富島には28あるとされ、
竹富島の精神世界の中心に位置する神聖な場所です。

今回は、
あいのた集落(東集落)の東端、
集落を囲む環状線の内側の鬱蒼とした森のなかに佇む、
国仲御嶽(フィナーオン)をご紹介します。

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国仲御嶽は、八重山で唯一の首里王府と関わりがある御嶽で、
創建は通説では1524年と云われていますが定かではありません。
創建の由来は、
琉球王国が1713年に編纂した『琉球国由来記』に記されています。

国仲根所
神名     なし
御いべ名  しそのひやふの御神勧請也

西暦1500年、大浜村の英雄オヤケアカハチが
首里王府に反旗を翻したため
首里王府、宮古連合軍がオヤケアカハチを征伐するために
八重山へ攻め込みます。
その際、竹富島の西塘(にしとう)は、首里王府軍の総大将であった
大里親方に見出され首里へ連行されます。
首里王府の中枢を担う三司官の下に仕えた西塘は、
石工の才能を開花させ、当時の琉球王である尚真王に
園比屋武御嶽(ソノヒヤンウタキ)の石門の建立を命じられます。
西塘は、園比屋武御嶽石門を建立することができたならば、
郷里竹富島に園比屋武の神をお招きし、まつると祈願します。


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国指定重要文化財 園比屋武御嶽石門
(琉球王国のグスク及び関連遺産群として世界遺産に登録されています)


祈願の甲斐あって、
1519年、西塘は見事園比屋武御嶽の石門を完成させ、
琉球王から絶大な信頼を寄せられます。
やがて、八重山の統治者の役職を授かった西塘は、
1524年に故郷竹富島に錦を飾ったと云われています。
そして、西塘は竹富島の中央と云われる地に
国仲御嶽を創建し、園比屋武の神との約束を果たします。

西塘が八重山を統治した時代、
西塘は諸役人を引き連れ、冬至、元旦その他の慶節には
国仲御嶽を参拝し、中山(首里王府)に向かって祈りを捧げたと
云われています。

今もなお神事の際、
竹富公民館執行部と神司が必ず祈願に訪れる
国仲御嶽。


国泰く民やすらかにとの願いは、今も昔から変わりません。


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拝殿から臨む国仲御嶽のウブ


※ 御嶽は神聖な場所です。
   鳥居から中へのお立ち入りはご遠慮ください。


(ta)

投稿者 takidun : January 8, 2011 01:15 PM