June 23, 2008

もうひとつの慰霊祭

 沖縄県では6月23日を「慰霊の日」として独自に公休日としています。
これは、第二次世界大戦における沖縄戦の組織的戦闘が終結した日として、
また、県民に対して沖縄戦で犠牲になったかたがたを弔うための日とされています。
以前、沖縄県議会はこの日を休日にすることを中止する法案を提出しましたが、
県民からの大反対を受け、現在も公休日として、犠牲者を弔う日として存続しています。

 竹富町には、竹富島の世持御嶽境内にある竹富町戦没者慰霊碑にて
慰霊祭が毎年とり行われています。今年も竹富町長はじめ多くの方々が
慰霊碑に手を合わせ、戦没者を偲び、恒久平和を願いました。

 ところで、みなさんは竹富島にもう一つの慰霊塔があるのをご存知でしょうか。
喜宝院蒐集館敷地内にある「大石隊戦没者慰霊之塔」のことです。
 大石隊は高知県人を中心とした150余名の部隊で、竹富島を守備範囲
として配属されていました。
竹富島は、石垣島の軍事基地を攻撃する拠点として占領される恐れがあったのです。

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 大石隊隊長であった大石喬さんは陸軍中野学校卒とは異なり、私学である明治大学
法学部卒という肩書もあってか、住民との信頼関係を保つことを重視しました。
そのため、竹富島では石垣島や波照間島などで見られた日本軍の横暴な行動はみられず、
島民とは良好な関係が築かれていたそうです。

 こうした背景もあり、上勢頭亨前喜宝院院主が私費を投じてマラリアなど不慮の事故
で亡くなった9名の隊員に対し、1970(昭和45)年8月に慰霊の塔を建立したのです。
軍人による悲惨な行為が伝えられる沖縄において、こうした例は、稀だといっても良いでしょう。

 温和で住民との信頼関係を第一と考えた大石喬さんが駐屯されたことは、
竹富島にとって幸いだったと言えます。

 これに対して、波照間島は山下虎雄(偽名)が住民の指揮を執ることにより、
強制疎開先の西表島にて1,587名の住民がマラリアに罹災し、477名のかたが亡くなられ、
八重山における沖縄戦による最大の被害者を出しています。

 八重山における戦闘による死亡者は178名。沖縄本島に比べるとわずかな被害ですが、
軍命などによる強制疎開先でのマラリアによる死亡者は3,647名に上ります。
 しかし、戦争は負傷者や死亡者の数だけではありません。

竹富島のあるお年寄りの一番の自慢が
「南方(サイパンなどは日本の占領地であった)から引き揚げた際、
自分の子供に手をかけることなく無事に育て上げた」
という一言が、この戦争がいかに住民を巻き込んできたかということを浮き彫りにしています。

 戦後、台湾、南方から逃れた方々が竹富島に戻り、
一時、島内は2,000名を超える人口となります。戦争は8月15日を終えても、
なお竹富島に食糧難という重大な問題を抱えさせました。竹富島、八重山ばかりでなく、
全国にこのような光景がいたるところで見られたのでしょう。

 私たちは、6月23日の慰霊の日を迎えるにあたり、
沖縄戦を振り返り、過去の愚行を謙虚に受け止めなければならないと切に感じました。

(ta)

投稿者 takidun : June 23, 2008 06:34 PM
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