November 08, 2007

火番盛烽火(のろし)リレー

 今年3月に「先島諸島の火番盛」の1つとして国の史跡
に指定された小城盛(クック)は、1644年に建立されています。
 この火番盛とは、1609年の薩摩藩の琉球侵攻後、
江戸幕府と明国の二重属国となった琉球国が、
薩摩藩の要請により、周辺海域の監視のみならず、
当時のヨーロッパ列強の海外進出、中国国内の情報を伝達する
目的のために建造しました。

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 1600年にイギリスは「東インド会社」を設立し、同2年には
オランダにも同様に会社が設立され、ヨーロッパ諸国は貿易を
国の最重要課題として、さらにアジアに目を向けていました。
 また、中国においては1644年に明国が争乱により滅亡し、
満州で興った女真族の国、清の勢力が台頭し、
国内は南北に分かれ動乱の時期を迎えています。  
 このような歴史の流れを背景にして、
日本の最西端に位置する先島諸島の各島々には烽火を上げ、
情報を伝達する火番盛が造られることになります。
 小城盛の建立は、八重山地方の小さな島、
竹富島が世界情勢のなかにあることを象徴しています。


 この宮古・八重山に残る18箇所の火番盛のうち、
竹富町の島々に残る7箇所の火番盛に烽火(のろし)をあげて、
その機能を検証することを通し、各島に残る文化遺産に
目を向けるとともに、島々のつながりを再確認する烽火リレー
が行なわれました。
 烽火リレーは2通りあり、竹富島には2つの烽火を確認し、
石垣島へ連絡する役目があります。

1 コート盛(波照間島)→中森(新城下地島)→タカニク(新城上地島)
  →プズマリ(黒島)→小城盛(竹富島)→蔵元(石垣島)

2 中森(鳩間島)→大岳(小浜島)→小城盛(竹富島)
   →竹富町役場もしくは浜崎町(石垣島)
 
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竹富小中学校の生徒達も烽火リレーに参加しました。

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黒島からの烽火を確認し、竹富島でも烽火の点火です!

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ゆがふ館スタッフも子ども達とともに西桟橋へ移動します。
果たして、大岳の烽火は見えるのでしょうか?

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残念ながら写真では確認できませんが、小浜島からの
烽火を望むことができました。

 今日も生憎の天気で烽火が望めるか心配でしたが、
 無事に烽火は石垣島の蔵元まで届いたようです。
 
 (TA)


投稿者 takidun : November 8, 2007 04:58 PM
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