August 07, 2007

アーパー石

 竹富島の北、美崎浜の旧桟橋跡
(以前は北の桟橋として利用されていました。)
の左側に、アーパー石と呼ばれる岩があります。
美崎浜には、美崎御嶽、親泊御嶽、アイヌソイ・イルノソイなど
見所が沢山あるのでつい見過ごしがちですが、
このアーパー石には幾つもの伝承が残されています。

apastone.jpg

 ~アーパー石の伝承~

 昔、竹富島の北にある新里村に若くて美しい女がいた。
毎日、家にいて食べては眠ることをくりかえしていたので、両親
は怒って、娘を「フータバ娘」と呼んでいた。それでも娘は平気
で、眠ることを仕事のようにしていた。
 ある日のこと、母は娘を連れ出して海に行き、きれいな白浜
でも眺めさせようと、無理矢理手をとって家を出た。その時は潮
がずいぶん引いていて、岸には青々としたおいしそうなアーサ
(青のり)が沢山あったので、母はその青のりを欲しくなり、娘を
引き連れて青のりのある場所まで行った。
 すると、急に潮が満ち、その娘を海に引きこむと、美しい娘は
見る間に老婆に変わり、石となって海中に立つようになった。
それがアーパー石と伝えられている。
 竹富島の美崎御嶽の海の前に立っているため、同御嶽の祝詞
には、アーパー石を立神と称し、海の守り神として崇めている。

●上勢頭 亨 著/『竹富島誌 民話・民俗篇』92~93頁 法政大学出版局(絶版)

 また、1500年に起こったオヤケアカハチの乱の際、美崎浜に現れた琉球王府の戦船(※)
を目の当たりにした竹富島の動揺を謡ったユングトゥも残されています。

 「アーパー石ユングトゥ」

 そーるぬ あーぱーたあ しるはまにおーりて 
 (そーる(岩石名)の老女達は 白浜に降りて)
 アーサふちに おーりて ふびむたいみりばと ふびすらし 
 (浅瀬に来られて 首を持ち上げてみたら、首をそらしてみたら)
 いっさーふぬどぅやんぬんせー ひとふぁいふにどやんぬんせ
 (戦船が押し寄せ 人喰船が押し寄せている)
 まーがにみちからはりぬぶり
 (真金道から走り登り)
 しるがにみちからはりぬぶり
 (白金道から走り登り)
 あななるあなまがりゃ
 (穴の穴曲がり)
 すんなーるすんまがりゃ
 (大谷わたり(植物名)の寸曲がり)
 はたきまーるしみみりばど
 (畠巡りをしてみたら)
 ひとのはたぎはそいばかり
 (人の畠は整地され)
 ばーはたぎやありはてて
 (私の畠は荒れ果てて)
 がーふちぬ
 (ガーラフチ(地名)の)
 うふいしがなしぬ まいゆ ひされー
 (大石神様でございます)

● 訳:本庄正佳 著/『竹富島古謡誌』 竹富島古謡研究会
● ※ 中山軍(琉球王府軍)の戦船は46隻・兵力は約3,000人と伝え
    られています。
    喜舎場永珣 著/『石垣町史』 国書刊行会

  さらに次のような不思議な伝承もあります。

 ~ビーチン山の神について~

 昔、ビーチン山(※)という所に、徳の高い神様がおられた。
海が近いのでよく魚釣りに海にでられたそうです。
竹富島のある物知りオジサンが神様の釣りを遠くから眺めましたところ、
神様は珍しい鍋の蓋のような大きい鉄の帽子をかぶり釣りをされていた。
 ある日のこと、神様が釣りをなさっているところに近く寄り、大きな木の蔭に隠れて神様の
かぶられている珍しい金帽子に小石を投げ金帽子のなる音を聞き、楽しみながら何回も
いたずらをした。
 神様は大変おこって、「我に石を投げるものはだれじゃ、許してはおかぬ」
とオジサンを追いかけた。
 追われたオジサンは御岬浜までかけつけた。浜には一隻の西表舟が停泊し、
この舟には一人の舟子が舟番人として寝ていた。オジサンは急いで自分の着物を
脱いで舟番人にかぶせ海の中にあるかくれ岩石という岩陰にかくれてみていた。
 神様は自分をおこらせた者は間違いなくこの着物を着けたものだと鉄棒で舟子を
打ち殺し、西表人を困らせてやろうと神風を吹き起し悪天候に変じ西表舟の一行
は死人を前に苦心し、宿泊せること一週間に至ったそうです。
 この伝説により西表舟が御岬浜に着いて立て神アーパー石を舟のとも綱でしばり
つけると海が荒れると伝えられている。(海原の神であると言われている。)

※ビーチン山
 現在ではビッツァーラと呼ばれている。
 アイホーシ道と花城・久間原遺跡間の地域の名称。
 よくマジューヌ(魔物)に惑わされる場所なので、
 一人では入らないほうがよいとされている。
 《F.S氏(大正15年生)より聞き取り》


● 崎山 毅 著/『蟷螂の斧』 金友堂写植(絶版)

(TA)

投稿者 takidun : August 7, 2007 02:10 PM
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