August 04, 2007

波照間屋敷

東集落集会所(あいのた会館)前の対角に大きな岩があります。
現在は、『蟷螂の斧』の著述で知られる崎山 毅先生の記念碑が
建立されていますが、この地には、「波照間屋敷」の伝承が残っています。

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波照間屋敷の大岩

~波照間屋敷の話~
 竹富島の南海岸に網張り蜘蛛の家と言う岩がある。昔、その岩に波照間
 人が住んでいた。岩の奥には蜘蛛が糸を掛け、網糸に虫や蝶類を掛け取り、
 餌としていた。それを見た波照間人は大いに感じ、山に行ってかずらを取り、
 それで網を作り、魚類を捕まえて生活していた。波照間人は村に来て島人と
 も親しくなり、島人の信用を得て村内に屋敷を求め、屋敷の前にある大岩の
 上に池を掘り、池の水で海で使用した大切な網を洗って大岩に乾し、常に岩、
 池と網への感謝の念を持って生活していた。
   《中略》
 波照間人は竹富島にしばらく住んでのち石垣島に渡り、大浜村に行って偉い
 武士になったと言われている。波照間人が住んでいた屋敷は波照間屋敷と呼ば
 れている。
   《以下略》

 ● 上勢頭 亨 著/『竹富島誌 民話・民俗篇』 法政大学出版局 (絶版)

この伝承から、波照間屋敷の主人公はオヤケアカハチであろうと推測されます。

オヤケアカハチという人物は、八重山の歴史を語る上で欠くことのできない重要な方で、
1500年に起こった「オヤケアカハチの乱」(オヤケアカハチ戦争とも云う。)の中心人物
であり、アカハチが敗れた結果、八重山は琉球王朝の統治下に置かれることになります。
そして、島の偉人である西塘は、この乱の結果、首里へ上がり自らの才能を開花させ、
八重山初の八重山人の行政長官として錦を飾ることになります。

オヤケアカハチの出身は波照間島南部落であるとされ、現在、波照間島には
「オヤケアカハチ生誕の地」として史跡が残っています。(竹富町文化財)
また、石垣市大浜地区では、いまなおアカハチを英雄として尊敬しています。

1500年の竹富島の動向については
● 「西塘とその時代」論争 西里喜行・狩俣恵一往復書簡/『竹富町史だより』
  第21号・第22号に詳しい記述があります。

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「波照間屋敷」敷地内に建立する崎山毅先生の記念碑

(TA) 
 


 
 

投稿者 takidun : August 4, 2007 09:15 AM
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