9月7日、シチマツリ(節祭)。
シチマツリは季節の変わり目で古代の正月といわれております。
農耕サイクルの折り目を表した祭事で、八重山地域における1年間のサイクルのとらえ方が、この行事からうかがえます。
竹富島では、土地のお祓いと井戸のお清めをし、大地に感謝を捧げ、作物が豊作でありますように、と祈願します。
秋季に入ると「己亥(つちのとい)」の日をもって祭日とします。かつては、この日から三日間の物忌みがあり、村鍛冶屋の「鎚(つち)」の音でもって終了したといいます。今年度の節願いは9月7日に執り行われました。
早朝より、神司と公民館執行部により、国仲御嶽、西塘御嶽、清明御嶽、根原神殿を参拝し、厳かな祈願を捧げます。その後、神司は、各自の御嶽を参拝し、井戸水の清めのため、それぞれ管轄する井戸をひとつひとつめぐります。各井戸のでは、浜の砂により結界をつくり、香を立て、ろうそくを灯し、花米1合を供えて祈願します。
そして、夕刻には、公民館執行部と有志が、弥勒奉安殿に集い、弥勒神に祈願しました。
また、各家では魔除けとして、サン結びをしたススキ(フキ)を家の建物の軒、四隅に差し、屋敷の柱と鋤・鍬・ヘラ・臼・杵などの農具にはシチカヅラと呼ぶカズラの一種を巻きつけます。
そして夕刻、公民館執行部と有志が、弥勒奉安殿で弥勒神に祈願を行います。
この日から49日目の戊子(つちのえね)の日。
タナドゥイ(種子取祭)の種子蒔きの。
節祭で、祓い清めた土地に、種子の蒔き始めをするのがタナドゥイーーー
節祭を迎えると、いよいよタナドゥイがやってきたと実感します。
魔除けとなる、サン結びしたススキの由来
○結びのススキの話
昔、竹富島にアールマイという男がいた。この男は海が好きで、畠仕事の合間には海に出て魚を獲るのが習わしだった。
ある晩のこと、アールマイハ¥は夜釣りに行き、沖で魚を釣っていると自分の目の前に舟が現れ、舟人から付近の港口を教えてくれと声をかけられた。アールマイがこの舟は何のためにこの島に来たのかと訪ねると「私は病魔の神である。舟いっぱいの病気の種を載せてきたのだ。この島の出入港を教えてくれれば、そのお礼にあなたの畠に蒔く農作物だけは特別に稔らせてやるから、あなたの畠にはススキの葉の先の方をひと結びに結んで目印にしておき、あなたの家の門には七五三の注連縄を張っておきなさい。そうしたらあなたの所にだけは病の種をいれないから。」と、病魔の神がアールマイに答えた。
アールマイは病魔船に遠廻りの船着き場を教え、自分は一足先に村に帰り、途中の道の両側にある村人たちの畠にススキを差しつつ村に上り、村の入り口には七五三の注連縄を張って病魔の神を村内に入れないようにした。アールマイのおかげで、病魔船は竹富島に厄病をまき散らすことができずに、その船はそのまま島を去った。
それ以後、竹富島ではアールマイの教えとして農作物の種子蒔きをした時に、結びススキをし、また畠には「アールマイ ヌ ノールフキ」すなわち「アールマイの稔る茎」と唱えて農作物の豊作を祈ることにした。さらに、「ハナキ ヌ ニガイ」(病魔祓い)には、村の入口ごとに注連縄を張って魔祓いの祈願をした。
このアールマイの教えから始まった習慣は、現今まで行われている。
(『竹富島誌』より)