July 26, 2013

竹富島の豊年祭(オンプイ)

竹富島では、7月25・26日とプイ(豊年祭)が執り行われています。
八重山各地で執り行われる豊年祭、地域によって日の選び方が異なりますが、
竹富島の場合、旧暦6月第2の壬・癸(みずのえ・みずのと)の日を選びます。
壬の日はムーヤマ(六山)の氏子たちが中心となり豊穣に感謝するオンプイ。
癸の日は新たな世を迎えるユーニンガイ(世願い)が中心となるトゥヌイプイです。

本来、
癸の日にはムーヤマの氏子たちの総責任者の家系である
トゥヌイムトゥの家に氏子たちが集っていたそうですが、
現在では初日に行われています。
オンプイでの氏子たちの動きは各御嶽によって異なりますが、
ここでは、花城御嶽の動きをご紹介します。

(ta)

・午前09時30分頃: ムラオン(竹富公民館が管理する御嶽)への参拝を終えた神司がトゥヌイムトゥ
             を訪れ、豊年祭のウッカイ(ご案内)をジージョン(地上御嶽)とザー(床の間)に
             行い、花城御嶽と縁の深い東美崎御嶽を参拝します。

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・午前10時30分頃: 東美崎御嶽では氏子たちが準備を行い、1年間無事に過ごせたことへの御礼を
             します。その際、供物として奉げるムチャネーとシュナイをいただききます。

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・午後01時30分頃: いったん解散した氏子たちは、今度は花城御嶽に集います。
             花城御嶽でも東美崎御嶽と同様に御礼を行い、
             「大みしゃく」と「願いの盃」を謡います。

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・午後03時30分頃: 竹富公民館執行部および有志が花城御嶽を訪れます。
             オンプイのハイライトのひとつで、島では「参詣」と云います。
             公民館執行部一行は、玻座間御嶽、仲筋御嶽、幸本御嶽、久間原御嶽、
             花城御嶽、波里若御嶽の順で訪れ、各御嶽でそれぞれ約30分程度歓談します。

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・午後04時00分頃: 竹富公民館一行の参詣を終えると後片付けをして氏子たちは解散し、
             郵便局や東門屋横での一行とのガーリ(願礼)に参加したり、
             その他の片づけをしたりします。

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・午後07時00分頃: 氏子たちは再びトゥヌイムトゥを訪れ、
             無事にオンプイを執り終えたことをジージョンとザーに報告し、
             集まった氏子たちでミシャク(お神酒)やシュナイをいただきます。

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・午後09時00分頃: 花城御嶽のオンプイはこうして終了します。

投稿者 takidun : 10:11 AM

June 23, 2013

慰霊の日

沖縄県では、
太平洋戦争における沖縄戦での組織的戦闘が終結した
6月23日を「慰霊の日」として公休日とし、
県内数多の地域で慰霊祭を執り行なっています。

島々で構成される竹富町では、
竹富島に竹富町出身者戦没者慰霊之塔が置かれ、
毎年6月23日に竹富町戦没者追悼式を執り行い、
今回で52回を数えています。

今年も竹富町長をはじめ、
関係者ならびに一般参列者、
竹富小中学校児童生徒が参列し御霊を弔いました。

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ご遺族の焼香者は年を重ねるごとに少なくなっていますが、
今年は一般焼香のご参列者が増え、
世持御嶽境内の式典会場では、多くの方々が祈りを捧げていました。

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「月桃」を参列者で歌いました。

(ta)

投稿者 takidun : 10:52 AM

April 26, 2013

新任教職員歓迎会

今夜は、
竹富公民館および竹富小中学校PTA主催による、
「平成25年度新任教職員歓迎会」
が竹富島まちなみ館にて開催されました!

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(ta)

今年度は学校長、教頭が新たに赴任し
新体制で新学期を迎えた竹富小中学校。
地域と触れ合う最初の行事でもあります。

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会場には多くの島民が集い、赴任された先生方を祝いました。

学校の児童生徒をはじめPTA、そして地域のみなさんと
様々な余興が提供され、
和やかに、さらに沢山の笑い声が聞こえた歓迎会でした。

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仲筋集落の子供たちによる「御前風」

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竹富中学校生徒による寸劇。
さて、2頭のヤギは一体いくらで売れたのでしょうか?

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新任教職員提供による「馬乗者」

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学校長8名?によるダンス (竹富青年会提供)

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あいのた会提供による○○体操


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竹富小中学校PTA会長の音頭による万歳三唱


投稿者 takidun : 10:12 PM

April 18, 2013

ブー(苧麻)倒し

クンシャー(国吉屋)北側で行われたブー倒し。

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収穫したブーは皮を剥がして繊維を採ります。

その繊維は良質の糸となり、
私たちの
生活に欠かせないあらゆるモノにカタチを変えます。

(ta)

投稿者 takidun : 11:31 AM

April 15, 2013

平成25年度竹富公民館祭事・行事表

4月15日に3集落ごとの月例会にて
発表された
「平成25年度竹富公民館年間祭事行事予定表」を、
ブログをご覧の皆さまにお知らせいたします。

Download file

竹富島の氏子が集うまつり、
「オンプイ」は7月25日
「ナーキ祝い」は12月15日

今年度で
第90回を迎える敬老会は9月8日

そして、
多くの人々が心待ちにしている
「タナドゥイ」は、
11月14日から11月22日まで。
そのうちの
11月20、21日が奉納の二日間となっています。


(ta)

投稿者 takidun : 11:29 PM

February 06, 2013

津波注意報発令中

本日午前10時頃、
南太平洋でマグネチュード8.0の地震が発生しました。

その影響で、
八重山地方には、
今晩午後6時頃、50僂曚匹猟吐箸到達する恐れがあると
竹富町役場からの島内放送がありました。

同時刻の海遊びは危険です。
海岸線には足を運ばないようお知らせいたします。

竹富島ビジターセンター運営協議会

投稿者 takidun : 03:12 PM

January 21, 2013

竹富島は断水中です

竹富島は昨夜から、突然の断水です。
竹富町からの情報では、石垣島から竹富島間の海底送水が原因ではないかということです。
当然、飲料水、生活用水全てストップしております。
あまりにも突然のことで、島民も水の準備もなにもなく大変困惑しております。

竹富島へ来島される方へも大変ご不便おかけしております。
何卒、ご理解くださいますようご協力お願いいたします。

*ゆがふ館のトイレの使用はできますが、手洗いができません。
只今、アルコール消毒液で対応しております。
ご了承ください。

投稿者 takidun : 01:40 PM

January 15, 2013

三連休明けの朝日

全国各地と同様に、
大荒れの天候だった三連休の八重山地方。

しかし、
連休明けの今朝の竹富東港桟橋では、
美しい朝日を望めることが出来ました。

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今日は、
すがすがしい気分で一日を過ごせそうです。

(ta)

投稿者 takidun : 08:38 AM

January 06, 2013

今日の竹富島

「年末年始のお休みも本日限り」
と云う方々に、
竹富島からの素敵なプレゼント。

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心地よい気候とやわらかな風は、
訪れる人々を和ませます。

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(ta)

投稿者 takidun : 02:20 PM

December 21, 2012

“シンダンナーの休憩小屋”の修復

「シンダンナーの休憩小屋」
の愛称で島民に親しまれている、
喜宝院蒐集館南側の
休憩小屋の修復が大詰めを迎えています。

休憩小屋は、場儀納屋と同様に、
カヤ葺き屋根の
重要伝統的建造物群保存地区における
伝統的建築物(保存物件)です。

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島民をはじめ、大勢の観光客もくつろぐ休憩小屋。
笑い声が聞こえるようになるのも、あと僅かです。

(ta)

投稿者 takidun : 02:48 PM

November 29, 2012

彌勒奉安殿にて

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平成24年11月25日 サチブドゥイ

タイククヌ ミルク タキドゥンニ イモチ
ウカキブセ ミショーリ
シマヌアルジ シマヌアルジ

サーサー サーサー
ユーヤー サースリ サーサー

(ta)

投稿者 takidun : 10:34 AM

November 27, 2012

奉納 【種子取祭7日目・8日目】

竹富島では、
11月25日(庚寅 かのえとら)・26日(辛卯 かのとう)
はタナドゥイのもっとも華やかな二日間が行われました。

初日はミルク興しから始まり、
乾鯛の儀式〜参詣〜サチブドゥイ〜世乞い

二日目は世乞い留めから始まり、
シドゥリャニの奉納〜乾鯛の儀式〜参詣〜アトゥブドゥイ

諸々の儀式が執り行われています。

今回は、
ブログをご覧のみなさまへ、
写真を通して
タナドゥイのハイライトの二日間をご紹介します。

(ta)

【11月25日(日)】
かのえとら ネーレカンドゥの願い日
玻座間村の芸能

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踊り幕は西集落提供

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奉納芸能初日 バルヒルの願い

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仲筋集落主事への参詣

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〜 庭の芸能 〜 「棒」

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〜 庭の芸能 〜 「マミドー」 仲筋会

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〜 舞台の芸能 〜 「彌勒」 玻座間民俗芸能保存会

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「世持」(種子蒔狂言) 玻座間民俗芸能保存会

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「胡蝶の舞」 いんのた会

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「竹富口説」 いんのた会

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「しきた盆」 あいのた会

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「安里屋」 あいのた会

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世乞い (西集落・横目屋)

【11月26日(月)】
かのとう コントゥフシンガーラの願い日
仲筋村の芸能

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奉納芸能二日目 ムイムイの願い

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クーバン小屋

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「シドゥリャニ」 仲筋民俗芸能保存会

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西集落主事への参詣

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時折り降雨があった二日目ですが、大勢の方々がお越しになっていました。

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「鬼捕り」 仲筋民俗芸能保存会

投稿者 takidun : 03:02 PM

November 24, 2012

祈願と幕舎張り 【種子取祭5日目】

11月19日のトゥルッキから
はじまったタナドゥイ(種子取祭)。

昨日(23日)は
干支の戊子(つちのえね)の日。
竹富島では、
タナドゥイの祈願と幕舎張りが行われました。

戊子の日は、
種子取祭でもっとも重要な一日である祈願の日。
午後1時30分から
竹富公民館執行部と神司一行は、
玻座間御嶽、世持御嶽、清明御嶽、根原屋を祈願します。
(チチヌニヌ タニドゥルヌ ニガイ)

一方、午前8時から、
18歳から69歳までの男性たちは、
タナドゥイの奉納の舞台となる
世持御嶽のテントを設営しました。
(トゥマヤ張り、幕舎張り)

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折しも昨日は三連休の初日とあって
大勢の観光客も訪れ、
島人は、
まつりと仕事に追われる多忙な一日となりました。

本日(24日)己丑(つちのとうし)の日は、
ンガソージ(大精進)の日。
大きな音を立てず、静かに過ごします。

しかし、
夜になると、
タナドゥイの奉納の稽古総見とあり、
帰省した竹富島出身者をはじめ、
大勢の人々が、
玻座間長者の国吉屋、
仲筋長者の生盛屋、
三支会の会館を訪れることでしょう。

(ta)

投稿者 takidun : 10:39 AM

November 22, 2012

外間守善先生を悼む

昨日のブログでお知らせしたとおり、
沖縄学の第一人者で竹富島の民俗学研究に
多大なる貢献をされた
法政大学名誉教授の外間守善先生が肺炎のため
87歳で逝去されました。

外間先生の竹富島においての最大の功績は、
上勢頭亨著
『竹富島誌』(民話・民俗編)(歌謡・芸能編)
を世に送り出すきっかけを作ってくれたことですが、
今回のブログでは、
『竹富島誌―歌謡・芸能編―』に掲載されている「跋」を
上勢頭本家に転載のご承諾をいただいたうえで、
皆さまにご紹介いたします。

外間先生のお人柄や竹富島に対する深い愛情、
そして、
何よりも故上勢頭亨翁への畏敬の念が込められた
「跋」をぜひご一読くださいませ。

(ta)

『竹富島誌―歌謡・芸能編―』
(1979年11月10日発行)巻末掲載

「跋」
法政大学沖縄文化研究所所長  外間守善

 喜宝院院主上勢頭亨さんが、その生涯の大半をかたむけて収集し
整理し続けてこられた竹富島に関する言語、文学、民俗、歴史等々の
貴重な原資料が、ついに陽の目をみることができた。
 実に喜ばしいことである。上勢頭さん御自身はもちろんのこと、
竹富島の島民の皆さんも首を長くして刊行の日を待ったということであり、
かさねておめでたいことだと思う。
 それにしても、原稿を入れてから数年もかかって本になるという、
かなりな難産模様であった。その間、じっと耐えてくださった上勢頭さん
に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいである。
 三年前に刊行された『竹富島誌』(民話・民俗編)とともに、本書の果たす
学問的意義ははかり知れないものがあると思う。「民話・民俗編」に収集
された「神口」「願い口」とともに、本書収載の「歌謡・童謡」の資料価値の
高さは、いまさらいうまでもないことであるが、なんといっても「狂言」資料
の豊かさと、「狂言」の中で「例(じー)狂言」と「笑(ばら)し狂言」の弁別が
明確であるという事実は驚きであり、学問的に重要な示唆を含む資料になる
ことと思う。「狂言」の文字化なども、口承性の強い南島では珍しい例であり、
上勢頭さんだからこそできた記録であるといえる。
 一般に、八重山を含む南島地域の祝詞、神歌、歌謡、民俗等々は口承で
伝えられることが原則であり、しかもそれらのすべてが神事にかかわりを
持っているため、秘伝性をおびた口承であるという特色を持っているのだが、
竹富島のそれらのすべてを受けついで今日に伝えている方が上勢頭亨さん
である。竹富島の語り部とでもいったほうがふさわしい方で、その抜群の
記憶力に支えられて、島の歴史や民俗や神歌が、よどみなく、果てしなく
語られるのを聴いていると、奈良朝のいにしえ、『古事記』を語り伝えたという
語り部の面影が髣髴としてくる。

 私は、神歌を収集し記録するために、奄美、沖縄、宮古、八重山の島々を
巡訪して二十数年になるが、上勢頭さんほどに記憶力がすぐれ、しかもなお、
受けついできた伝承事実をなんとかして後世に伝えようとする意識に目ざめた
方にお目にかかったことがない。上勢頭さんがなぜ、口伝による伝承を文字化
しようとなさったのか、ついうかがいそびれてしまったが、島に押し寄せてくる
近代化の波の急なるさまをみると、上勢頭さんがそうせざるを得なかった歴史
の必然をみるような気がする。時宜を得たわけであり、口伝の歴史に逆らって
文字化してくださった上勢頭さんに、私はあらためて深い敬意を表したいと思う。
上勢頭さんの勇気と御努力は、竹富島の歴史に刻まれて不滅であろう。
 さいごに、上勢頭亨さんの原ノートの整理からさいごの校正にいたるまで、
黙々と手伝ってくれた宮良安彦君など、さらに宮良君の良き助力者になって
くれた石垣久雄、石垣繁両君の御努力が本書を生み出す力になったことも、
感謝の気持ちを込めて記しておきたいと思う。長い間、うむことなく本書を担当
してくださった法政大学出版局の秋田公士さんに対しても、
上勢頭さんにかわってお礼申しあげる。

昭和54年9月9日記


投稿者 takidun : 07:40 AM

November 17, 2012

十月祭と長浜博行環境大臣の来島

今日の竹富島は久しぶりの雨。

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ゆがふ館敷地内に自生するパパイヤの葉の上には、
幾つもの水滴が重なっていました。

今日の干支は壬午(みずのえうま)の日。
竹富島では、
防火・防難のまつり、十月祭が行われています。

竹富公民館執行部ならびに神司は、
1年間、災害などに見舞われることなく
無事に過ごせたことに感謝し、
また1年間無事に過ごさせてくださいと
あらためて祈願します。

その一方、
環境大臣の長浜博行参議院議員が来島され、
ゆがふ館にもご来館いただきました。

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おばぁが淹れたクミスクチン茶を提供し、
くつろいでいただきました。


ふたつの大きな出来事が重なった竹富島。

いずれも、
久しぶりの降雨と同じく、
“世果報”(ゆがふ)であることは間違いありません。

(ta)

投稿者 takidun : 11:58 AM

November 11, 2012

西塘御嶽拝殿の修復

沖縄県の史跡に指定され、
重要伝統的建造物群保存地区における
伝統的建築物(保存物件)である、
西塘御嶽拝殿の修復工事が、
11月8日より始まっています。

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本来なら、昨年度(平成23年度)の
修復事業として計画されていたのですが、
東日本大震災の影響で予算を確保できず、
今年度の事業として実施されています。

(ta)

島の祭祀を執り行うムラオン(トゥクルウガン)
でもある西塘御嶽は、
竹富島にとって主要な御嶽のひとつ。

西塘御嶽拝殿の北面には、
今もなお島民から敬愛される
竹富島最大の偉人、西塘大主のお墓があります。

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【いずれも平成24年10月25日 「九月大願い」時に撮影】

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【1970(昭和45)年の西塘御嶽拝殿 (写真提供:伊藤亞人氏)】

11月17日に執り行われる
十月祭では、
西塘御嶽での参拝はありませんが、
元旦に初詣に訪れる大勢の人々のことを考慮し、
急ピッチで作業が進むことでしょう。

今年度は、
西塘御嶽拝殿のほか、

・喜宝院蒐集館南休憩小屋
・東金城屋(仲筋集落)

都合3件の修復事業が今年度に実施の予定です。

投稿者 takidun : 11:11 AM

November 09, 2012

ヤマカチニアヨー

今回で第22回を迎える
竹富町民俗芸能連合保存会主催による

「竹富町古謡発表会」が、

12月9日(日) 黒島にて開催されます。

そこで今回は、
竹富島の伝承にも登場する古謡、

「ヤマカチニアヨー」をご紹介します。

(ta)

「山かちに アヨー」

    元  歌                      対  訳
1. 山かちにぬヨホー              山の樫の木は山の底に
   根下りやヨホー                根を下ろす
   山とんにどヨホー根や下りる       山底に根を下ろす

2.アサングル木ぬヨホー           ふかの木は山の頂に
   根下りやヨホー                根を下ろす
   山頂にどヨホー根や下りる         山頂に根を下ろす

3.スンムトゥキぬヨホー            オオタニワタリは石の上に
   根下りやヨホー                根を下ろす
   石ぬ上にどヨホー根や下りる        石の上に根を下ろす

4.瓶ぬ酒ぬヨホー                瓶の酒は
   根下りやヨホー                御膳の上でお供えをする
   う膳にどヨホー根や下りる          御膳に酒は供えられる

5.台ぬ酒ぬヨホー                台の酒は
   根下りやヨホー                高台の上でお供えをする
  高台にどヨホー根や下りる          高台に酒は供えられる

6.ばやけらーぬヨホー             私たちは
   根下りやヨホー                座敷に座る
  座敷場にどヨホー根や下りる        私たちは座敷に座る

7.ゆすけらーぬヨホー             あなた方は
   根下りやヨホー                喜びの座敷に座る
  ゆはな座にどヨホー根や下りる      あなた方は喜びの座敷に座る

8.うぬざふどヨホー               このような喜びごとを
  にがゆるヨホー                 願っている
  うぬ果報どヨホー               このような果報を
  てぃじりょうるヨホー              祈っている


【対訳参照 本庄正佳著 『竹富島古謡誌』 】        


「山かちに アヨー」が登場する伝承


西塘には一人の息子、宇座がいた。
首里に登る時連れて行く事が許されないで妻子を竹富島に置いて行った。
宇座は漁りするのが好きで暇さえあれば小舟に乗って魚釣りに出た。
或る日、急に嵐に遭って、小舟は木の葉の様にもまれ、
ようやく南の島に漂着して救われた。

一人息子を失った母カナメは、宇座のことが気になり、
自分の畑にあるユーナ木の側で、雨の日も、風の日も朝夕
宇座が無事で帰ってくれるよう祈願した。

その後、八重山の御用船が、沖縄より八重山へ帰る途中、
暴風に遭って南の島に流された。
その日宇座は南の島で、好きな魚釣りに出て、
八重山の「ヤマカチニアヨー」を唄っていた。

船員達は「ヤマカチニアヨー」を聞いて驚嘆した。
あの歌の主は八重山人に違いない。
はて、
こんな南の島に八重山の人が居るとは不思議だと思い、
船を近寄せてみた。
そして大声で、「貴方はどなたです」と呼びかけたら、
宇座は大声で、
「私は竹富島の西塘の子です。今より7年前この島へ漂流してきました。
この島人より可愛がられて相当な役職に就き、何不自由なく暮らしている。
八重山へ帰りたいが役職にいる身で勝手に帰ることができません。」

八重山では母が私の帰りを待っていますから、
下記の事項と、元気で居るということを伝えてくれと頼んだ。

◎母への伝言

 ‐豕掲鴫阿慮疂にあるデイゴの大樹は相変わらず真っ赤な花が咲きますか
◆〆抔恐阿寮勝⊃童世のガジュマルは今も木根を垂れていますか
 島人は今も夜昼、公務や年貢、御用布のため忙しいか

船員達は数日の後、八重山に帰ることが出来たので、早速竹富の母、
カナメに、宇座が元気で公職に就いていることを伝えた。
母カナメは大そう喜ぶと共に、毎日祈願した甲斐があったので、
此処を守神としてその後拝むようになった。
竹富の肝合掌(シムザーシ)御嶽がそれである。
この御嶽は、
今でも旅行や出征する兵隊さんたちが拝んでいる。
神司は場儀納の子孫である粟盛家の女がしている。

(語句を読みやすく訂正して掲載しています)

引用: 『西塘傳』 與那国善三、上勢頭亨共著
     1957(昭和32)年 沖縄西塘会発行

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シムザーシ御嶽 【2011(平成23)年10月】 写真提供:槙 貴雄 氏

投稿者 takidun : 09:52 AM

November 04, 2012

音合わせ

数多くの舞踊を奉納する種子取祭。
踊り子たちは、
奉納に向けて多くの時間を費やし、
徐々に心を一つに束ねていきます。

その心を擦り合わせる大切な時間のひとつに、
地謡との音合わせがあります。

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【西集落】

爪弾く三線の音色、
軽やかに舞う手足の所作や扇の扱い。

タナドゥイの醸し出す雰囲気が、
身の周りに溢れ出してきました。

(ta)

投稿者 takidun : 10:54 AM

October 25, 2012

アイヤル浜の夕べ

九月大祭の夜籠りが執り行われている
10月24日夕刻の竹富島。

アイヤル浜に足を運ぶと、
釣りを愉しむ島人の姿。

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先日の海浜清掃で美しさを取り戻した白浜のその先には、
石垣島の夜景が徐々に浮かび上がってきます。

釣果を尋ねようとしたところ、
すぐさまアーラミーバイ (ヤイトハタ)を釣り上げました。

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まつりの雰囲気と
アイヤル浜でのゆるやかな時間の流れ。
慌ただしい日々のなかで触れる
「竹富島の世界」です。

(ta)

投稿者 takidun : 11:22 AM

October 23, 2012

アイヤル浜の海浜清掃

9月下旬に八重山を襲った台風17号によって
アイヤル浜に大量にもたらされた流木をはじめとする漂着物。

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「このまま放置する訳にはいかない」ということで、
竹富公民館が島内放送にて呼びかけを行い、
昨日、
アイヤル浜の海浜清掃を実施いたしました。

午後6時30分にはほとんど陽が落ちるため、
作業時間を通常より30分早め、
午後4時30分に開始した作業は
午後6時までに終了いたしました。

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(ta)

竹富公民館の呼びかけに応じた
島民ならびに星のや竹富島のスタッフ
総勢60名ほどが集い、
大量に流れ着いた
プラスチックやペットボトル、缶、瓶類などや、
流木・海草などの自然に還る漂着物を全て分別します。
漂着物の処分については行政に委ね、
作業を終了いたしました。

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慰労用に竹富公民館が準備したお茶の美味しいこと!
みなさま、大変お疲れさまでした。

今回の流木の多くは、
ナーラサ浜とアイヤル浜の中間に位置する
キトッチ浜の浸食によってもたらされたとも考えられます。

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島民ひとりひとりが支え続ける竹富島。
しかし、
キトッチの海浜浸食などの
島民の力では支えられない大きな規模の懸案事項は、
行政の支援を待たねばなりません。

投稿者 takidun : 11:09 AM

October 19, 2012

平成24年度種子取祭の日程について

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今日の竹富島は爽やかな風がそよぎ、
絶好の観光日和。

台風21号が去った昨日、
竹富島では竹富公民館議会が開催され、
今年の種子取祭について様々な取り決めがなされました。
タナドゥイの足音が徐々に近づいてくる竹富島。

今回は、
種子取祭の日程をみなさまにお知らせいたします。

(ta)

平成24年度竹富島種子取祭の日程

・ 9月23日(旧暦8月8日) ユーンカイ (世迎い)
  竹富島にニライカナイの国から神々によって、種もみがもたらされる神事が行われる。

・ 10月5日(つちのと ゐ)、シチマツリ (節祭)
  古代の正月といわれる。新しい季節を迎えたことを神々に祈り、
  作物を育む大地と命の水(井戸)に感謝する神事。
  古来より節祭から49日目の「つちのえね」の日を祭日とする種子取祭に入るとされている。

  本年は、11月23日が“つちのえね”の日にあたり、その日に種子を蒔く。
  それより4日前の“きのえさる”の日から種子取祭の日程に入るとされている。

1.  11月19日(きのえさる)種子取祭初日。
   初日はトゥルッキと称し、祭の計画手配を行う。玻座間、仲筋の両地区の
   長者(ホンジャー)の前で無事に奉納芸能が尽くせるようにと祈願を行なう。

2. 11月20,21,22日
   種子取祭の諸準備。踊り、狂言の稽古を行う。

3. 11月23日(つちのえね)
   公民館役員や神司は、揃って
   玻座間御嶽、世持御嶽、清明御嶽、根原屋などを廻り
   種子取祭の願いを行なう。
   神司は、その後それぞれの御嶽で祈願して案内をかける。
   男生産人(16歳〜65歳迄)は、早朝から幕舎張りなどの奉納芸能の舞台を設営する。
   出欠を取り、理由もなく出役しない者には過怠金を科す。
   各家では種まき。主婦はイイヤチ(飯初)作り。

4. 11月24日(つちのとうし)
   ンガソージといって、前日に蒔かれた種がしっかりと土につくように、
   精進を尽くす 日とされる。
   家の主がブママンガンー・ブナルンガン(姉や叔母を神とすること)を招いて
   イイヤチ戴みの儀式などもある。
   フクミといい芸能の稽古の総仕上げの日。
   午後8時から公民館役員、石垣・沖縄・東京の各郷友会長などが
   ブドゥイドゥン・狂言ドゥンを訪ねて挨拶し激励する。

 (午後5時頃、竹富公民館主催の種子取祭に関する講話がまちなみ館で開催)

5. 11月25日(かのえとら)
   バルヒル願いの日、奉納芸能初日。
 ●午前6時 
   彌勒奉安殿には公民館役員、有志、三郷友会長などが弥勒興しの祈願。
   玻座間御嶽では神司たちの祈願。
   その後、両者は世持御嶽で合流し、バルヒルの願い、イバン取りの儀式がある。
   場所を奉納芸能の舞台に移して、乾鯛の儀式が行われる。
 ●午前8時前 仲筋地区の主事宅へ参詣。
 ●午前9時頃 世持御嶽へもどる。
 ●午前9時30分頃 庭の芸能を奉納。
   棒術、太鼓、マミドー、ジッチュ、マサカイ、祝種子取、腕棒、馬乗者の順で行われる。
 ●午前10時30分頃 玻座間村の舞台の奉納芸能が行われる。
   その順序は、玻座間長者、弥勒、鍛冶工、組頭、世持、世曳狂言など。
   曽我の夜討で初日の芸能は終了する。

 ●午後5時30分頃 イバン(九年母)戴みの儀式がある。
   それから世乞い(ユークイ)が始まる。
   ユークイは、種子取祭を統一した根原カンドゥをまつる根原屋から始まり、
   その後、三集落に別れてユークイが深夜まで行なわれる。

   東集落 宇根屋、與那国屋、神司・顧問家、公民館長家、各家を回り最後は宇根屋。
   西集落 神司家、玻座間長者家、顧問家、主事家、各家を回り最後は上間屋。
   仲筋村 神司家、仲筋長者家、主事家を回り最後は顧問家。

 ●午後10時00分頃 石垣への船の臨時便あり

6. 11月26日(かのとう)
   午前5時、三地区に別れていたユークイの一団は、
   根原家で一つになってユークイ留めを行なう。

 ●午前5時30分頃、世持御嶽へ。イバン返上を行ないユークイは総て終了。
   二日目のムイムイの願い。幸本フシンガーラの願い日とされ、
   それを祝して仲筋村のシドゥリャニが奉納される。
   その後、前日同様の乾鯛の儀式が行われる。
   その後、玻座間村西地区の主事宅へ参詣。9時頃世持御嶽へもどる。

 ●午前9時30分頃、庭の奉納芸能(前日と同じ)がある。
 ●午前10時30分頃 仲筋村の舞台の奉納芸能が終日行なわれる。
   別途奉納芸能演目がある。
   仲筋村長者、弥勒、御主前狂言、種子蒔狂言、天人狂言などがあり、
   最後は鬼捕りで奉納芸能は終了。
 ●午後5時30分頃、芸能の奉納はすべて終了。
 ●午後6時30分頃、石垣行臨時船便あり。

   種子取祭首尾方の御礼(世持御嶽、彌勒奉安殿)を行う。

7.  11月27日(みずのえたつ)
    男生産人は、早朝から幕舎片付け、経理係は祭の精算に取り組む。
 ●午前10時頃 竹富公民館で公民館役員・有志と三郷友会幹部との懇談会。
   午後からは支払議会を開催し、種子取祭の日程は総て終了する。
   夜は全国竹富島文化協会総会が開催される。

8. 11月28日(みずのとみ)
   種子取祭物忌(タナドゥイムヌン)。現在は省略している。

投稿者 takidun : 10:16 AM

September 30, 2012

台風17号による被害

大型で非常に強い台風17号は、
八重山地方の南東を通過しました。
その影響により、
定期船は28,29日の二日間にわたり
全便欠航となりました。

竹富島内では甚大な被害はないものの、
28日夜半から29日早朝まで停電し、
グック(石垣)が所々崩壊した家屋が散見されました。

ゆがふ館では、フクギが倒されたほか、
シアターに設置されたプロジェクターが故障し、
島を紹介する7分間の映像『オーリトーリたきどぅん』
がご覧いただけなくなっています。
(ゆんたくコーナー奥の大型TVにて代替上映を
行っていますので、ご覧になる際はスタッフにお声掛けください)

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強風により倒されたゆがふ館のフクギ。

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9月28日14時頃のカイジ浜に設置された蔵元跡の解説板
暴風が吹き荒れる直前に撮影しました。

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9月29日18時頃のカイジ浜の蔵元跡解説板
清掃作業を終えて解説板の様子を見に行ったところ、
強風により倒されていました。

暴風が収まった昨日、
翌日(30日)に行われる十五夜祭も控えていることもあり、
島内では終日清掃作業に追われていました。

その甲斐もあり、
今日は
陽射しがこぼれる大変良い天候に恵まれています。
無事に十五夜祭が執り行うことができそうです。

(ta)

投稿者 takidun : 10:44 AM

September 18, 2012

まつりの準備

旧暦8月最初の“みずのえ”“みずのと”の二日間、
竹富島では結願祭が執り行われます。
新暦だと、
今年は9月18日(火)、19日(水)がその日にあたり、
本日の夕刻からまつりが始まります。

(ta)

一年間の願いを解く祭、結願祭は、
竹富島においては比較的新しい祭で、
1875(明治8)年に当時の役人であった知念与人が発案し、
始められたと伝えられています。

「芸能の島」として名高い竹富島ですが、
奉納芸能は「結願祭」と「種子取祭」の二つのまつりのみ。
しかし、
その奉納に懸ける島民の意気込みは強く、
概ね1か月前から奉納の稽古を開始します。

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昨夕は、
結願祭の奉納の舞台となる清明御嶽で、
舞台設営(幕舎張り・トゥマヤ張り)が行われました。
18歳から65歳までの男性が集い舞台を組み立てました。

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今晩は、
清明御嶽、幸本御嶽、西塘御嶽での
神司による夜籠りが行われます。
明日は、
早朝から竹富公民館執行部ならびに有志による
22か所の御嶽の参拝が行われ、
清明御嶽での奉納は午後2時頃から執り行われ、
今年は8点の芸能が奉納されます。

奉納芸能は、
一般の方も見学することができますので、
普段、なかなか感じることのできない、
“竹富島が漂わす香り”を感じていただきたいと思います。

投稿者 takidun : 08:58 AM

September 15, 2012

第35回テードゥンムニ大会

昨晩は、竹富小中学校PTA主催による
「第35回テードゥンムニ大会」が開催されました。

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会場となった竹富島まちなみ館には、多くの島民と宿泊客が足を運び、
子どもたちが語るテードゥンムニを理解しようと熱心に耳を傾けていました。

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テードゥンムニを標準語に翻訳すると、
“竹富島の言葉”となります。

竹富島には、
「ムニバッキタ シマバッキ シマバッキタ ウヤバッキルン」
(言葉を忘れたら島を忘れ、島を忘れたら親を忘れる)
という諺があり、言葉を使うことの大切さを伝えています。

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ご父兄も子供たちの発表のサポートに大忙しです。

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恒例となった竹富小中学校職員による寸劇 「テードゥンムニぬ授業ゆ」

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先生方のコミカルな動きや拙いテードゥンムニに会場は大爆笑の渦です。

現在、
沖縄では地域の言葉(方言)を大切にしようとする活動が
全県規模で行われていますが、
竹富小中学校PTAの活動はそれより35年も前に行われています。

竹富島が、
いかに「シマクトゥバ」の継承を大切にしているかが解ります。

竹富小中学校の児童生徒をはじめ、
学校教職員のみなさま、竹富小中学校PTAのご父兄。

楽しい時間を 
シカイト ミーハイユー

(ta)

投稿者 takidun : 02:12 PM

September 10, 2012

第89回敬老会

初秋の日差しが照りつけるここ数日の竹富島。
初夏の日差しの厳しさほどはありませんが、
四季の移り変わりが感じられます。

昨日の竹富島では、
第89回敬老会が開催されています。

数え年70歳を迎え、
敬老会に入会される島民2名をはじめ、
多くの高齢者がまちなみ館へ足を運び、
子や孫が披露する余興を愉しみました。

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(ta)


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石垣竹富郷友会長による祝辞

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竹富保育所児童による「ジッチュ」

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あいのた会提供による「あやかり節」

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仲筋会提供による「あかまた」

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新入会親族提供による「太鼓」

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竹富小中学校教職員提供による寸劇「銭形平次」
写真左手はお祝いに駆けつけてくれた写真家の大塚勝久さん。

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あいのた会提供による「兄弟小」

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仲筋会提供による「ゆがふ節」

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いんのた会提供による「串本節」

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余興を支える地謡のみなさま

投稿者 takidun : 11:27 AM

July 02, 2012

西桟橋の夕暮れ

先月に引き続き夕焼けを拝めることができた
西桟橋。
昨夕も大勢の宿泊客が訪れていました。

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7月1日19時39分の西桟橋


西桟橋の美しい夕闇に包まれていると、
訪れる人それぞれが豊かな気持ちをお持ち帰りいただける喜びと、
危険を顧みず西表島へと舟を繰り出し、
「ユタカナヨニナレ」と働き、祈り続けた先人への感謝の念に堪えません。


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7月1日20時08分の西桟橋

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イリュークイの畑から。南東から顔を覗かせた月。

(ta)

投稿者 takidun : 09:08 AM

June 30, 2012

大還暦のあゆみ

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1892(明治25)年6月25日に
大川尋常小学校竹富分教場として産声を
あげた「竹富島の学び舎」は、
竹富尋常小学校から竹富小学校となり、
幾多の辛苦や喜びを経たのち、
本日、
創立120周年の記念祝賀行事が行われています。

(ta)

午前中は児童生徒によるパレードが集落内にて行われ、
午後から記念式典、祝賀会が学校体育館にて催されています。

数多くの文化財を有し、
さらには有名な観光地として、
多くの観光客が訪れるようになった竹富島ですが、
昔から変わらないのは「子どもは宝」の精神。

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会場には約300名の卒業生や関係者が集いました。

2,496名の卒業生を輩出し、
地域・郷土の発展に大いなる貢献をしてきた、
小さな島の深い伝統と校風を築き上げてきた竹富校。
まことにおめでとうございます。

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取材時には感謝状贈呈式が行われていました。

そして、
現在、小学生23名と中学校14名の在籍する児童生徒たち。
素晴らしい地域と環境、頼もしい大先輩方に囲まれ、
さらには、
大還暦という節目に浮かぶ数多の竹富島を支え続けた
卒業生の大きな志を胸に、
心穏やかで豊かな感受性を育んでほしい。
そう思いました。

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投稿者 takidun : 02:20 PM

June 23, 2012

慰霊の日

6月23日は、
沖縄戦の組織的戦闘が終結した日。

沖縄県ではこの日を慰霊の日とし、
戦没者の英霊を弔う日として公休日としています。
日本に復帰して40周年を迎えた県内では、
20万余名の尊い命が失われた
沖縄戦の悲劇を風化させないようにと、
各地で追悼式が執り行われています。

竹富島では、
世持御嶽北側の竹富町戦没者慰霊之塔前にて
第51回竹富町戦没者追悼式が執り行われています。

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(ta)

八重山地方では,
米軍の上陸作戦が計画されていたものの、
実行されることはなく、直接の戦闘はありませんでしたが、
約3,600名の非戦闘員の尊い命が失われました。

なかでも、
“戦争マラリア”として国家賠償となった
波照間島住民の軍命による強制疎開の悲劇は、
西表島南風見田に遺された、
「忘勿石 ハテルマ シキナ」
によって、今もなお多くの人々に語り継がれています。

竹富島では、駐屯した独立歩兵301大隊第一中隊
大石喬隊長の正しい判断により、
波照間島に起こった悲劇はありませんでしたが、
今もなお機銃掃射のあとや塹壕などが残されています。

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喜宝院で執り行われた大石隊戦没者追悼式


竹富町戦没者慰霊之塔には、
太平洋戦争で亡くなられた軍人・軍属128柱が祀られていますが、

〜ここはもや 汝が古里ぞ 帰りきし
  みたま安かれ この島とともに 〜

の鎮魂歌は、軍人・軍属ばかりではなく、
現在の豊かになった八重山をみることなく散華した
英霊すべてに捧げられています。

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※ 八重山の戦争に関しては、
   『八重山の戦争』(大田静男著 南山舎発行)に詳細に記されています。

投稿者 takidun : 10:09 AM

June 22, 2012

白砂の道

昨日の豪雨から一夜明けた竹富島。

本日は時折にわか雨が降るものの、
天気も大崩することもありませんでした。

ご来島いただいた皆さまは
竹富島の雰囲気を十分に満喫して
お帰りいただけたのではないでしょうか。

来島者を受け入れる傍らでは、
昨日の豪雨で白砂が流れた道の補修を徐々に始めています。

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昨日午後のアサッティヤ(安里屋)東の道

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本日午後のアサッティヤ(安里屋)東の道

個人で、事業者で、村を挙げて、島を挙げて。

竹富島の白砂の道が美しいのは、
島民の絶え間ない努力のたまもの。

訪れる方々には、
是非とも少し歩みを遅めていただき、
白砂の道から垣間見える
島民の島を美しくしたいと思う心意気を
感じていただけたらと思います。

(ta)


投稿者 takidun : 04:04 PM

May 27, 2012

竹富小中学校大運動会

昨日は、
竹富小中学校の運動会が、
竹富小中学校グラウンドで開催されました!

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今年の運動会は天候にも恵まれ、
また、
竹富小学校創立120周年記念運動会として、
大勢の地域住民も参加し、
和やかな雰囲気の中で行われています。

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竹富校の運動会は、
児童生徒が紅白に分かれて様々な種目を競い合いますが、
参加者全員で行う「綱引き競争」をはじめ、

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綱引きのあとは恒例の“ガーリ”を参加者で行います。

各種団体が参加する「職域リレー」や、
集落対抗となる「支会別対抗リレー」など、
地域の方々も楽しめるよう工夫されており、
竹富保育所の子どもたちはもちろんのこと、
おじぃやおばぁ、壮年層や青年層など幅広い住民が参加しています。

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民宿のはら荘にお泊りのみなさんには「お馴染み」の方も真剣そのものです。

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小学三年生の吹くボラのもと、創立120年を祝うマスゲームも行いました。

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竹富ぶなる会提供による
『ツマベニチョウ音頭』の創作舞踊も披露されています。


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全ての種目を終えると、参加者全員でクイチャーとガーリが始まります。


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地謡のみなさまもお疲れさまでした。


今年は、
縄跳び競争が種目として復活し、
子どもたちばかりでなく、父兄、地域、
さらには宿泊客も含めて大勢のかたがたで盛り上がりました。


ところで、
竹富小学校創立120周年記念大運動会の
結果は・・・


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「紅組」の優勝です!

投稿者 takidun : 09:02 AM

May 06, 2012

竹富島の風景

ゴールデンウィークも残りあと僅か。

前半はスコールに襲われた竹富島ですが、
後半はすっきりとした好天に恵まれています。

今年のゴールデンウィークも、
大勢の皆さまに足を運んでいただきました。
シカイト ミーハイユー。

残念ながらお越しできなかった
ブログをご覧の皆さまへ、
ささやかながら竹富島の風景をUPしました。

ぜひご覧ください。

(ta)

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マチッキャ(松竹屋)前のブーゲンビリア  (4月30日)

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ユヌンニャ(與那国屋)のテッポウユリとニトベカズラ (5月5日) 

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日の入り前の竹富東港 (5月5日)

投稿者 takidun : 09:56 AM

April 25, 2012

兼高かおるさんの来島

世界150か国を廻り、
約30年間放送された人気番組、
『兼高かおる世界の旅』で知られる
ジャーナリストの兼高かおるさんが
本日竹富島を訪れました。

兼高かおるさんは
ゆがふ館にて
「オーリトーリタキドゥン」をご覧になったのち、
世持御嶽〜赤山公園〜喜宝院蒐集館を周り、
重要文化財 旧与那国家住宅にて
島のおじぃ、おばぁによる歓迎を受けました。

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写真中央 白い服をお召しの方が兼高かおるさん

島の正装で兼高さんを迎えたみなさんは、
竹富島の英雄、マサカイを謡った
「マサカイ ユンタ」を披露し、拍手喝采を受けていました。


本日の取材は、
7月頃にフジテレビ系列で放送予定とのこと。
のんびりとした島の雰囲気と、
色鮮やかなアイヂシンとミンサー帯、
島のおばぁの柔らかなテードゥンムニによる会話。
ぜひともお楽しみくださいませ。

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兼高さんを迎える前のスナップ。
島のマジューヌ(魔物)の話で大変盛り上がっていました。

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(ta)

投稿者 takidun : 02:13 PM

April 16, 2012

平成24年度竹富公民館年間祭事行事予定表

4月15日に3集落ごとの月例会にて
発表された
「平成24年度竹富公民館年間祭事行事予定表」を、
ブログをご覧の皆さまにお知らせいたします。

Download file

2日間にわたって執り行われる豊年祭(プイ)。
氏子が六山の御嶽に集う
「オンプイ」は7月30日。
竹富公民館執行部を中心に執り行う
「トゥヌイプイ」は7月31日。

今年の9月も
祭事行事が集中する大変忙しい月となりそうです。

そして、
種子取祭(タナドゥイ)の祈願は
11月23日。
大勢の方々が心待ちにする奉納の二日間は
11月25・26日となりました。

(ta)

投稿者 takidun : 08:30 AM

March 17, 2012

デイゴのレッドカーペット

早朝の竹富島。
桟橋と集落を結ぶホーシ道を歩く人に素敵なプレゼント。

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昨日島民総出で行われた恒例のホーシ道の清掃で、
きれいに掃かれたアスファルトの上には、
さながらデイゴの花びらのレッドカーペット。

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雨が落ちてしまうと台無しになってしまうため、
その上を歩くことができるのは、限られたわずかなひと時。

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深紅のカーペットを歩む名誉ある方々は、
デイゴの花を見たいと思う総ての人々。

竹富島を美しく保ちたいと願う

島民のたゆまない努力と、
温かいお志を下さった全国の皆さまへ

シカイト ミーハイユー

(ta)

投稿者 takidun : 10:06 AM

March 06, 2012

3月5日 西桟橋の夕陽

夕刻の6時30分をほどなく迎えるころ、
宿泊客が夕陽を眺めに西桟橋へと足を運びます。

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陽射しに熱を感じる3月。
それを心待ちにしていた人々が集う西桟橋。

熱を帯びた陽射しとともに、
竹富島にも、
暫くご無沙汰していた風景が戻ってきました。

(ta)

投稿者 takidun : 01:24 PM

February 11, 2012

花びより

初春を感じさせてくれた昨日の竹富島。
お陰で島内の花々は嬉々として咲き誇ります。

残念ながら、今日は生憎の天気で空には厚い雲。

しかし、雨が落ちない程度であればまさに花日和。
暖かい日の翌日の曇空の下では、
空の色に負けない色鮮やかな花たちが、
訪れる人々に素敵なプレゼントをもたらせてくれることでしょう。

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なごみの塔周辺に咲くカエンカズラ

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グック(石垣)の鼠色とヒハツモドキの緑、コスモスの橙と
白砂の道の絶妙なコントラストを至るところで見ることができます。


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大勢の観光客が思わず歩みを止め、
竹富島のシャッターポイントとなっているのが、
今年創立120周年を迎える
竹富町立竹富小中学校正門を飾る花々。

ひとつひとつの花の彩りと、
花々から放たれる芳香をお楽しみください。

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ただし、
校門から中への立ち入りと、
授業の支障をきたさないようにご配慮くださいね。

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投稿者 takidun : 01:33 PM

February 05, 2012

第53回米寿辰歳生年合同祝賀会

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今日は竹富公民館主催による、
「第53回米寿辰歳生年合同祝賀会」
が竹富島まちなみ館で開催されています。

今年は
マンダラー(数え歳97歳)は不在ですが、
米寿(数え歳88歳)が7名、
辰歳生まれが36名と
大変にぎやかな祝賀会になりそうです。

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式典を終えたのちに行われる
祝宴の部では、
ご親族からの提供による余興が盛りだくさん。
華やかな祝賀会に彩りを添えることでしょう。

(ta)

投稿者 takidun : 03:03 PM

January 24, 2012

竹富島憲章

今年(2012年)は、
沖縄が日本に復帰して40周年を迎えます。
これから様々な地域・団体が
復帰40周年を祝うイベントを計画することと思われますが、
竹富島では、
復帰40周年以外にも、ある節目を迎えます。

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1970(昭和45)年 なごみの塔からみた竹富島のまちなみ

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2010(平成22)年 なごみの塔からみた竹富島のまちなみ

(ta)

今年は、
“竹富島のまちなみ”が国重要伝統的建造物群保存地区に選定されて
25周年を迎えます。
[1987(昭和62)年4月28日選定]

種子取祭やミンサー織とならんで竹富島の象徴に挙げられる
“竹富島のまちなみ”は、
1972(昭和47)年の日本復帰前後から始まる本土資本の土地買占めに
対抗すべく起こったまちなみ保存運動によって勝ち得た成果であり、
その運動の積み重ねは、
1986(昭和61)年3月31日に制定された
『竹富島憲章』において高らかに謳われています。

西塘大主から授かった
「うつぐみ」の言葉とともに竹富島最大の遺産ともいえる、
『竹富島憲章』の全文をご紹介します。

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『竹富島憲章』

われわれが、祖先から受け継いだ、
まれにみるすぐれた伝統文化と美しい自然環境は、
国の重要無形民俗文化財として、また国立公園として、
島民のみならずわが国にとってもかけがえのない貴重な財産となっている。
全国各地ですぐれた文化財の保存と、自然環境の保護について、
その必要性が叫ばれながらも発展のための開発という名目に、
ともすれば押されそうなこともまた事実である。
われわれ竹富人は、
無節操な開発、破壊が人の心までをも蹂躙することを憂い、これを防止してきたが、
美しい島、誇るべきふるさとを活力あるものとして後世へと引き継いでいくためにも、
あらためて
「かしくさや うつぐみどぅ まさる」の心で島を生かす方策を講じなければならない。
われわれは今後とも竹富島の文化と自然を守り、
住民のために生かすべく、
ここに竹富島住民の総意に基づきこの憲章を制定する。

一、保全優先の基本理念

 竹富島を生かす島づくりは、
 すぐれた文化と美しさの保全がすべてに優先されることを基本理念として、次の原則を守る。

 1.『売らない』 島の土地や家などを島外者に売ったり無秩序に貸したりしない。
 2.『汚さない』 海や浜辺、集落等島全体を汚さない。また汚させない。
 3.『乱さない』 集落内、道路、海岸等の美観を、広告、看板、その他のもので乱さない。
   また、島の風紀を乱させない。
 4.『壊さない』 由緒ある家や集落景観、美しい自然を壊さない。また壊させない。
 5.『生かす』 伝統的祭事行事を、島民の精神的支柱として、
   民俗芸能、地場産業を生かし、島の振興を図る。

二、美しい島を守る

 竹富島が美しいといわれるのは、古い沖縄の集落景観を最も良くのこし、
 美しい海に囲まれているからである。これを保つために次のことを守り、守らせる。

 1.建物の新・改・増築、修繕は、伝統的な様式を踏襲し、屋根は赤瓦を使用する。
 2.屋敷囲いは、サンゴ石灰岩による従来の野面積みとする。
 3.道路、各家庭には、年二回海砂を散布する。
 4.看板、広告、ポスター等は、所定の場所に掲示する。
 5.ゴミ処理を区分けして利用と回収を図る。金属粗大ゴミは業者回収を行う。
 6.家庭下水は、処理して排水する。
 7.樹木は、伐採せず植栽に努める。
 8.交通安全、道路維持のために、車両制限を設ける。
 9.海岸、道路などゴミ、空きカン、吸殻などを捨てさせない。
10.空き家、空き屋敷の所有者は、地元で管理人を指定し、清掃及び活用を図る。
11.観光客のキャンプ、野宿は禁止する。
12.草花、蝶、魚貝、その他の生物をむやみに採取することを禁止する。

三、秩序ある島を守る

 竹富島が、本土や本島にない魅力があるのは、
 その静けさ、秩序のとれた落ち着き、善良な風俗が保たれているためである。
 これを保つために次のことを守り、守らせる。

 1.島内の静けさを保つために、物売り、宣伝、車両等の騒音を禁止する。
 2.集落内で水着、裸身は禁止する。
 3.標識、案内板等は必要に応じて設ける。
 4.集落内において車輌は、常に安全を確認しながら徐行する。
 5.島内の清掃に努め、関係機関による保健衛生、防火訓練を受ける。
 6.水、電気資源等の消費は最小限に留める。
 7.映画、テレビ、その他マスコミの取材は調整委員会へ届け出る。
 8.自主的な防犯態勢を確立する。

四、観光関連業者の心得

 竹富島のすぐれた美しさ、人情の豊かさをより良く印象づけるのに
 旅館、民宿、飲食店等、また施設、土産品店、運送業など
 観光関連業従事者の規律ある接遇は大きな影響がある。
 観光業もまた島の振興に大きく寄与するので、従事者は次のことを心得る。

 1.島の歴史、文化を理解し接遇することで、来島者の印象を高める。
 2.客引き、リベート等の商行為は行わない。
 3.運送は、安全第一、時間厳守する。
 4.民宿の宿泊は、良好なサービスが行える範囲とする。
 5.屋号は、規格のものを使い、指定場所に表示する。
 6.マージャン等賭け事はさせない。
 7.飲食物は、できるだけ島産物を使用し、心づくしの工夫をする。
 8.消灯は、23時とする。
 9.土産品等は、島産品を優先する。
10.来島者に本憲章を理解してもらい、協力を徹底させる。


五、島を生かすために

 竹富島のすぐれた良さを生かしながら、住民の生活を豊かにするために、
 牧畜、養殖漁業、養蚕、薬草、染織原材料など一次産業の振興に力を入れ、
 祖先から受け継いだ伝統工芸を生かし、祭事行事、芸能を守っていく。

 1.伝統的祭事、行事には、積極的に参加する。
 2.工芸に必要な諸原料の栽培育成を促進し、原則として島内産物で製作する。
 3.創意工夫をこらし、技術後継者の養成に努める。
 4.製作、遊び、行事などを通して子ども達に島の心を伝えていく。

六、外部資本から守るために

 竹富島観光は、
 もともと島民が、こつこつと積み上げてきた手づくりの良さが評価されたからである。
 外部の観光資本が入れば島の本質は破壊され、
 民芸や観光による収益も住民に還元されることはない。
 集落景観保存も島外資本の利益のために行うのではないことを認識し、
 次に掲げる事項は、事前に調整委員会に届け出なければならない。

 1.不動産を売買しようとするとき。
 2.所有者が、氏名、住所を変更しようとするとき。
 3.土地の地番、地目、地積に異動を生ずるとき。
 4.賃貸借をしようとするとき。
 5.建造物の新・増・改築、取り壊しをしようとするとき。
 6.島外所有者の土地に建物等が造られようとするとき。
 7.その他風致に影響を及ぼす行為がなされようとしているとき。

 この憲章を円滑に履行するために、
 公民館内に集落景観保存調整委員会を設け、町、県、国に対しても必要な措置を要請する。

昭和61年3月31日

*参考 竹富町民憲章
      昭和47年「竹富島を生かす憲章案」
      昭和46年「妻籠宿を守る住民憲章」
      上記の精神を引き継ぎ、修正、追加を行い、案を作成した。

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投稿者 takidun : 03:12 PM

January 05, 2012

新春凧揚げ大会

今日の竹富島は曇。
すぐにでも雨が落ちてきそうな天候でしたが、

毎年恒例の竹富小中学校PTA主催による
「新春凧揚げ大会」が開催されています。

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子どもたち以上にはしゃいでいたのは、
ご父兄の皆さま。
これも毎年恒例だそうです。

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みんなの凧は無事に天高く舞うことができたかな?

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投稿者 takidun : 04:00 PM

January 03, 2012

平成24年 新年成人合同祝賀会

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昨晩は、
竹富島の年頭行事、
竹富ぶなる会、竹富青年会共催による
「新年成人合同祝賀会」
が竹富島まちなみ館で開催されました。

(ta)

今年の成人は1名。
現在石垣島にお住まいですが、
幼少期を竹富島で過ごしたため、
島人から温かく迎えられています。
竹富島で成人を祝うのは、本人たっての希望とのこと。
ご成人おめでとうございます。

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残念ながら、
ピンボケで皆さんにご紹介することができませんが、
三集落と青年会から提供された余興はいずれも面白く、
館内は大爆笑の渦。
年始早々楽しいひと時を過ごさせてくれました。

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特に喝采を浴びていた 「串本節」 (西集落)

竹富島の活況のバロメーターとなる
「新年成人合同祝賀会」は
大変盛り上がりました。
今年の竹富島も二重丸となりそうです。

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西塘御嶽に参拝する子どもたち

投稿者 takidun : 09:24 AM

December 30, 2011

写真で見る平成23年竹富島の日々

平成23年ものこりあと僅か。
残念なことに、
今日と明日の竹富島の天気予報は雨。
今年の太陽はもう見納めになってしまったかもしれません。

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12月28日早朝、てぇどぅん・かりゆし館前から見た太陽

やがて幕を閉じる平成23年。

今年の竹富島で起こった出来事について、
写真を通じて少し振り返ってみます。
やや長くなりますが、よろしくお付き合いください。

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竹富町歴史的景観形成地区保存条例に基づき、
保存物件である「こぼし文庫」が修復されました。(1月)
(写真:2月9日に開催された竹富小中学校PTA主催による“もち焼き会”)


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ゆがふ館では、
ゆんたくコーナーに展示されているタペストリーを交換しました。
(3月23日・竹富町織物事業協同組合による制作)


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竹富島のデイゴを救おう!実行委員会を中心とする
島内でのデイゴ保護活動の結果、
ホーシ道をはじめ、デイゴの花が満開となりました。(3月)


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全国竹富島文化協会が足掛け10年にわたって進めてきた、
「上勢頭亨翁生誕100周年記念事業」による顕彰碑・梵鐘台が、
喜宝院蒐集館に建立されました。(4月23日)


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竹富小中学校が全国初となる2度目の文部科学大臣賞を受賞しました。
受賞の報告は、新任教職員歓迎会にて行われました。(4月23日)


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昨年の台風によって大きく傾き、朽ち果てた清明御嶽のヤラボ。
神司が感謝を述べたのち、竹富公民館によって伐採されました。(4月25日)


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竹富診療所に堀田洋夫医師が着任し、常駐医が2年ぶりに配置されました(4月)
(写真:6月23日に開催された堀田洋夫先生着任祝賀会。)


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7月から8月にかけては大きな台風の影響もなく、暑い暑い夏が続きました。
(写真:水遊びに興じる子どもたち 7月30日)


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ショーロ(お盆)は8月12日から14日にかけて行われました。
ちなみに8月12日は、
節祭(シチマツリ)の祈願の日である己亥(つちのとゐ)にあたるため、
竹富公民館では、節祭の祈願をその60日後の己亥にあてました。
そのため、今年のタナドゥイの祈願は11月29日に執り行われることになりました。


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竹富島の大司で、
玻座間御嶽神司の富本定子さんのカンユリ(引退式)が
行われました。(9月1日)


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同日に行われた結願奉納と世迎い。(9月5日)
奇しくもこの日の夜、
8月26日から続いていた18年ぶりの夜間断水が解除されました。


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祭事行事と台風が集中する9月。
今年の十五夜は悪天候のため、
集落ごとに旗頭のもと十五夜祭を行っています。(9月12日・写真は西集落)


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前新透著『竹富方言辞典』(南山舎発行)が、
第59回菊池寛賞を受賞(10月19日)しました。
受賞式は12月2日(アトゥブドゥイの日にあたる)東京で行われています。


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『竹富方言辞典』菊池寛賞受賞の朗報に沸き立つなか、
竹富小中学校PTA主催による、
第34回テードゥンムニ大会が開催されました。(11月2日)


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竹富町の蝶であるツマベニチョウの食草となる、
ギョボクを島内に植える活動が始まりました。
その影響でしょうか、
ゆがふ館では蝶に関する問い合わせが増えています。
(11月・写真はメスアカムラサキのオス)


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今年の種子取祭は、80年ぶりに12月に奉納が執り行われる
“冬タナドゥイ”となりました。
生憎の天候で夜間臨時便が欠航となりましたが、
各集落ではユークイの儀式が大勢の方々に支えられながら執り行われました。
(12月1日〜2日)


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竹富島の精神世界の中心に位置する御嶽。
その六山(ムーヤマ)のひとつである
花城御嶽の拝殿が、
氏子をはじめとする多くの方々からのご芳志により改築されました。(12月16日)

ブログをご覧のみなさま、
今年一年を振り返ってみていかがでしたか。

今年は、
日本では東日本大震災の影響で多くの方が被災し、
世界経済は、ヨーロッパの金融危機から端を発した不透明感が進行し、
北アフリカでは民主化運動が加速した結果政治体制が変わり、
新たな国づくりが始められるなど、大きく揺れ動いた一年でした。

竹富島の場合、
昨年(平成22年)に様々な出来事が起こったお陰でしょうか、
今年は慶事が多く、
至るところで喜びに満ち溢れていた一年ともいえます。
4名の新生児が誕生したり、
アニナー祝い(結婚式)が行われたりと、
お目出度いことが続きました。

幸いなことに、
今年の竹富島のウサギ(卯)は、
一年間、華やかに大地を舞うことができたようです。

さて、
来年はタツ(辰)の年。
天高く昇る龍のごとく大空を優雅に舞えるように。

それは、
竹富島をはじめ、
総ての人々に起こることを願っています。

ブログをご覧のみなさま、
今年もお付き合いいただいてありがとうございました。
また来年も、
竹富島と竹富島ゆがふ館をよろしくお願いいたします。

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7月24日のコンドイ浜

投稿者 takidun : 09:51 AM

December 16, 2011

タキンドゥン ヌ ヤーヌカザイ

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竹富ぬ上なか  アーシタレイ
仲嵩ぬましじに アーシタレイ
ウムーイ ブナル

白銀家ゆ作りょうり  アーシタレイ
黄金家ばしたており  アーシタレイ
ウムーイ ブナル

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柱くばりみりばど アーシタレイ
はらん八重揃ゆて アーシタレイ
ウムーイ ブナル

きたくばりみりばど アーシタレイ
きたん八重揃ゆて アーシタレイ
ウムーイ ブナル

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(ta)


投稿者 takidun : 01:45 PM

November 30, 2011

チチヌニヌ タニドゥル ヌ ニガイ

11月29日は旧暦の11月5日。
タナドゥイの祈願の日にあたるこの日は、

タナドゥイでもっとも重要な一日である
戊子(ツチノエネ)の日。

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タナドゥイを統一した根原金殿の直系にあたる
根原屋のザー(床の間)。
花生けには、
イバン(力草)とユッキ(ススキ)を飾ります。

(ta)

竹富島の種子取祭が、
他の地域で執り行われる種子取祭と大きく異なるのは、
粟の播種儀礼であることと、
戊子を祈願の日としていること。

この日の朝、
神司はそれぞれの六山の御嶽を訪れ、
神々に、
来る奉納の2日間に世持御嶽にお越しいただくことを
ご案内します。(ウッカイの儀式)
午後には世持御嶽に集った神司と竹富公民館執行部は、
玻座間御嶽、世持御嶽、清明御嶽、根原屋に
タナドゥイの祈願を執り行いました。

今年は、
タナドゥイの祈願のあと、
鍛冶屋の願い(フケニガイ)も執り行っています。

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敬老会員を除く男性のみなさんは、
早朝。世持御嶽に集い幕舎を張ります。(トゥマヤ張り)

女性のみなさんは、自宅でイーヤチづくりに励み、
イイヤチカミの儀式を行っています。

集落内の道は、
仲筋集落主事、東集落主事の参詣のため、
島民の手によってきれいに清掃されています。

投稿者 takidun : 10:32 AM

November 25, 2011

トゥルッキを目前にして

今日の竹富島は、
程よい風がそよぎ過ごしやすい一日。

竹富島では、
今日から種子取祭が始まります。

タナドゥイの役割を決める“トゥルッキ”を前にして
心なしか
島が、自分自身が
そわそわしていることを感じます。

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なごみの塔と赤山公園に彩りを添えるマリーゴールド

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投稿者 takidun : 02:22 PM

November 19, 2011

平成23年度種子取祭の日程について

● 9月5日(旧暦8月8日)、ユーンカイ (世迎い)

竹富島にニライカナイの国から神々によって、種もみがもたらされる神事が行われる。

● 10月11日(つちのと ゐ)、シチマツリ (節祭)

古代の正月といわれる。
新しい季節を迎えたことを神々に祈り、
作物を育む大地と命の水(井戸)に感謝する神事。
古来より節祭から49日目の「つちのえね」の日
を祭日とする種子取祭に入るとされている。

本年は、
11月29日が“つちのえね”の日にあたり、その日に種子を蒔く。
それより4日前の
“きのえさる”の日から種子取祭の日程に入るとされている。

1. 11月25日(きのえさる)種子取祭初日
初日はトゥルッキと称し、祭の計画手配を行う。
玻座間、仲筋の両地区の長者(ホンジャー)の前で
無事に奉納芸能が尽くせるようにと祈願を行なう。

2. 11月26,27,28日
種子取祭の諸準備。踊り、狂言の稽古を行う。

3. 11月29日(つちのえね)
公民館役員と神司は、
揃って玻座間御嶽、世持御嶽、清明御嶽、根原家などを廻り
種子取祭の願いを行なう。
神司は、その後それぞれの御嶽で祈願して案内をかける。
男生産人(16歳〜65歳迄)は、早朝から幕舎張りなどの奉納芸能の舞台を設営
する。出欠を取り、理由もなく出役しない者には過怠金を科す。
各家では種まき。主婦はイイヤチ(飯初)作り。

4. 11月30日(つちのとうし)
ンガソージといって、前日に蒔かれた種がしっかりと土につくように、
精進を尽くす日とされる。
家の主がブママンガンー・ブナルンガン(姉や叔母を神とすること)を
招いてイイヤチ戴みの儀式などもある。
フクミといい芸能の稽古の総仕上げの日。
午後8時から公民館役員、石垣・沖縄・東京の各郷友会長などが
ブドゥイドゥン・狂言ドゥンを訪ねて挨拶し激励する。

(午後5時頃、全国竹富島文化協会主催の種子取祭に関する講話がまちなみ館で開催)

5. 12月1日(かのえとら)
 バルヒル願いの日、奉納芸能初日。

● 午前6時 
彌勒奉安殿には公民館役員、有志、三郷友会長などが弥勒興しの祈願。
玻座間御嶽では神司たちの祈願。その後、両者は世持御嶽で合流し、
バルヒルの願い、イバン取りの儀式がある。
場所を奉納芸能の舞台に移して、乾鯛の儀式が行われる。

● 8時前 仲筋地区の主事宅へ参詣。
● 9時頃 世持御嶽へもどる。

(午前8時頃、全国竹富島文化協会主催の種子取祭に関する講話がまちなみ館で開催)

● 9時30分頃 庭の芸能を奉納。棒術、太鼓、マミドー、ジッチュ、マサカイ、
祝種子取、腕棒、馬乗者の順で行われる。
● 10時30分頃 玻座間村の舞台の奉納芸能が行われる。
その順序は、玻座間長者、弥勒、鍛冶工、組頭、世持、世曳狂言など。
曽我の夜討で初日の芸能は終了する。
(玻座間村の舞踊は、東と西の両集落が一年ごとに担当し、
担当しない地区は数点提供することになっており、本年は東地区の担当)。

● 17時30分頃 イバン(九年母)戴みの儀式がある。
それから世乞い(ユークイ)が始まる。
世乞い(ユークイ)は、
種子取祭を統一した根原カンドゥをまつる根原家から始まり、
その後、三集落に別れてユークイが深夜まで行なわれる。
西集落 神司の家、玻座間長者宅、顧問宅、各家を回り最後は有田家。
東集落 宇根家、與那国家、神司家、顧問宅、各家を回り最後は宇根家。
仲筋村 仲筋長者家、神司家、主事宅、その後に家々を回る。

● 22時00分頃 石垣への船の臨時便あり

6. 12月2日(かのとう)
早朝5時、三地区に別れていたユークイの一団は、
根原家で一つになってユークイ留めを行なう。

● 5時30分頃、世持御嶽へ。
イバン返上を行ない、ユークイは総て終了。
二日目のムイムイの願い。
幸本フシンガーラの願い日とされ、
それを祝して仲筋村の シドゥリャニが奉納される。
その後、前日同様の乾鯛の儀式が行われる。
その後、玻座間村東地区の主事宅へ参詣。9時頃世持御嶽へもどる。

● 9時30分頃、庭の奉納芸能(前日と同じ)がある。
● 10時30分頃 仲筋村の舞台の奉納芸能が終日行なわれる。
別途奉納芸能演目がある。
仲筋村長者、弥勒、御主前狂言、種子蒔狂言、天人狂言などがあり、
最後は鬼捕りで奉納芸能は終了。
● 17時30分頃、芸能の奉納はすべて終了。
● 18時30分頃、石垣行臨時船便あり。
種子取祭首尾方の御礼(世持御嶽、彌勒奉安殿)を行う。

7. 12月3日(みずのえたつ)
男生産人は、早朝から幕舎片付け、経理係は祭の精算に取り組む。

● 午前10時頃 竹富公民館で公民館役員・有志と三郷友会幹部との懇談会、
支払い議会を開催し種子取祭の精算を終える。
夜は全国竹富島文化協会総会が開催される。

8. 12月4日(みずのとみ)
種子取祭物忌(むぬん)。現在は省略している。

投稿者 takidun : 09:13 AM

November 11, 2011

新たな竹富島の取り組み

本日、
竹富ぶなる会(與那国光子会長)より、
竹富町の町蝶であるツマベニチョウの
食草になるギョボク(魚木)の寄贈式が行われました。

ギョボクは
島内民宿、事業所ならびに関係者へ50鉢寄贈され、
竹富島ゆがふ館は2鉢寄贈していただきました。
(ゆがふ館のナンバーはNo.35,36です。)

現在、竹富ぶなる会(婦人会)では、
島内で激減しているギョボクを増やすことを通じて、

〜竹富町蝶のツマベニチョウが飛び交う楽園へ〜

を目指してギョボクの苗を管理しながら、
ツマベニチョウの卵、幼虫、サナギの保護策を
講じていきます。

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昨日行われている、
竹富島のデイゴを救おう実行委員会
によるデイゴの保護活動とともに、
竹富島の生態系維持にまた一つ
新たな取り組みがスタートしています。

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ツマベニチョウの幼虫

(ta)

投稿者 takidun : 01:13 PM

November 05, 2011

マリーゴールド

現在、
竹富小中学校で一生懸命育てている
竹富島を彩る花々の苗。

小体連、修学旅行、八重山中学校駅伝大会、
そして第34回テードゥンムニ大会と
勉強以外でも連日大忙しの竹富島の子供たちですが、

昨夕、
先生と生徒たちが一緒に
赤山公園の花壇に335苗を植えてくれました。

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11月25日にトゥルッキを迎え、
冬タナドゥイとなった今年の種子取祭。

島が一番華やぐ頃、
黄金色に輝くマリーゴールドの花弁を一面に蓄える、
美しい赤山公園の姿も
楽しみのひとつになりそうです。

シカイト ミーハイユー

(ta)

投稿者 takidun : 10:43 AM

October 20, 2011

「竹富方言辞典」 菊池寛賞受賞!

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今年の2月に発行し、
当ブログでも紹介をさせていただいた、

http://www.taketomijima.jp/blog/archives/000949.html

前新透先生が著した
「竹富方言辞典」
(2011年2月22日 南山舎株式会社発行)
が、第59回菊池寛賞を受賞いたしました!

(ta)

菊池寛賞とは、
公益財団法人日本文学振興会が選考し、
日本の様々な文化面にのこした功績を記念するための賞で、
文学、映画・演劇、新聞などのあらゆる文化活動において、
最も清新かつ創造的業績をあげた方、
あるいは団体に贈られる賞です。

前新透先生の「竹富方言辞典」については、
琉球語と日本語の古層、民俗を研究するための貴重な文化遺産として。
さらに、
足掛け27年間にわたり地道にテードゥンムニを採集した功績を称えています。

竹富島の文化が集約しているといっても過言ではない
「竹富方言辞典」が、
日本国内においても特筆すべき文学賞を受賞したことは、
竹富島にとっても快挙です!

編集にご尽力された
前新 透先生、
高嶺方祐先生、
入里照男先生、
波照間永吉先生、
様々な努力を重ねて出版にこぎつけた
南山舎株式会社の
上江洲儀正社長をはじめとする社員のみなさま。

さらには竹富島の文化を守り、伝えてきた諸先輩方。
心より感謝申し上げます。

また、
小さなことをこつこつと続ける努力が
大きく花開き、多くの人々に認められたこと。
心よりおめでとうございます。

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竹富島の文化の礎ともいえる、
大正8年5月30日に建立された「啓蒙台」

投稿者 takidun : 08:00 AM

October 15, 2011

東パイザーシ御嶽

竹富島に数多く点在する御嶽(オン)。
沖縄本島では“ウタキ”や“オタケ”と呼びます。
現在、竹富島には28あるとされ、
竹富島の精神世界の中心に位置する神聖な場所です。

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今回は、
あいのた村(東集落)を縦断する桟橋通りに面する御嶽、
東パイザーシ御嶽(アガリパイザーシオン)をご紹介します。
東パイザーシ御嶽には、
シンミンガナシという
島つくりの神が最初に降り立ったといわれる
竹富島の島づくりの伝承に取り上げられる由緒ある御嶽です。

以前、八山(ヤーヤマ)のひとつで
竹富島の祭事行事で必ず参拝に訪れる
清明御嶽(マイヌオン)をご紹介しましたが、
マイヌオンとは“前のオン”とも解釈されており、
東パイザーシ御嶽の前にある御嶽との説もあります。

現在、東パイザーシ御嶽は、
前浜屋で管理をされていますが、
これは、
拝み始めが前浜屋の人であることに由来しています。

(ta)

霊示を受けた前浜玉仁の話

竹富451番地、
前浜重雄氏の祖先に玉仁(タマニ)と言う神霊を受けた人がいた。
この玉仁によって、
島の古いお嶽や祭事が開かれたと言う、有名な神人であった。
玉仁は、常に天の神を拝むと言うことから、
家の本尊として天照皇大神を信仰していた。
童名は玉仁であったが、霊示によって、
黄金志良嘉(クガニシラカ)と呼ばれるようになった。

明治3年のこと、
仲筋1059番地内小底加美ほか、島の役人数名の人々が、
公務のために沖縄本島に上国したが、帰国の際漂流し、
支那の国に着いて、そこで生活するようになった。
その情況を、竹富の志良嘉は霊示によって知り、
そのことを村の役人の妻子たちに報告して安心させた。
そして、
支那の国にいる一行が一日も早く無事に帰国できるように、
志良嘉は、彼らの健康と帰国の航海安全を祈願した。
3年後の10月12日をもって、
内小底加美一行が無事、竹富島に帰り、
志良嘉の祈願によって帰島できたとのことを知って一行は感謝し、
ここに内小底加美は、
支那の国王、
ドウヤーから戴いた護身用の「刀一振、麾一組、五色旗一流」
を帰国記念として、黄金志良嘉に贈った。

この品が、前浜家の家宝としてのこされている。

尚泰王33年(明治12年)の9月、
前浜玉仁、神名黄金志良嘉は、行年52歳でこの世を去った。
志良嘉が生前、「神口段ぬ法」といって唱えていたのが、
次のように伝えられている。

「段ぬ法(だんぬほう神口)」

1. いきゆる花に みどぅり花いきてぃ 春みどぅり
   花いきてぃ

2. 上天じょう 十二ヶみぐてぃ ひとぅ人間うまり
   うたびみそーたる 天徳あてぃどぅ

3. 楽ぬうどぅく 心むてぃむたば 誠ぬ心むてぃ
   りんぬ花に咲き ちゅらさ あてぃ

4. 人間てぃらむーのうー いとぅにんかゆてぃ
   心喜ぶる くぬ望やてぃからや

5. じみぬちち んでゆる しらわい しらわい
   思かななてぃ なてぃかななてぃ すみ叶てぃ

6. いんてぃる事や さる山かんきんじ 金かきてぃ
   ある金ぬ んじとぅやい

7. 百世ぬ子返し 百とぅ思いば 幾世とぅ度までぃん

【対 訳】

1. 活ける花に 緑の花を活けて 春の緑の 花を活けて

2. 上天井の 十二ヶ所を巡って 人、人間に生まれ
   なさった 天の徳があって(ぞ)

3. 楽の男が 心を持ち持ったなら 誠の心をもって
   蓮の花に咲き 美しく あって

4. 人間というものは 糸に通って 心喜ぶ 
   この望みであるから

5. じみの土に 出る しらわい しらわいと
   思いがかない そしてかなって 積み叶って

6. 縁ということは サル山にかけ 金にかけて
   ある金の 出てから

7. 百の世の子供を返し 百と思えば 幾世十度までも

出典 『竹富島誌 ―民話・民俗編― 』上勢頭亨著 法政大学出版局発行

※ 御嶽は神聖な場所です。
   石垣の中からのお立ち入りはご遠慮ください。

投稿者 takidun : 08:00 AM

September 28, 2011

波里若御嶽

竹富島に数多く点在する御嶽(オン)。
沖縄本島では“ウタキ”や“オタケ”と呼びます。
現在、竹富島には28あるとされ、
竹富島の精神世界の中心に位置する神聖な場所です。

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今回は、竹富島の波里若村の創設の神で、
竹富島で執り行われる神事の中心となる六山(ムーヤマ)のひとつ、
波里若御嶽(バイヤオン)をご紹介します。
波里若御嶽には、
波里若村の氏神である塩川殿(スーガドゥン)と
渡来先の徳之島から招かれた神がまつられています。

創建の由来は、
琉球王国が1713年に編纂した『琉球国由来記』に記されています。


波れ若御嶽
神  名 新かしの神山
御いべ名 袖たれ大あるじ
(徳島より御渡塩川殿おかみ初る)


六山の神々でもっとも若かったといわれる塩川殿は、
優しく欲のない方であったと伝えられています。
また、波里若村は、
六山の村々が次々と玻座間村と仲筋村に吸収されていくなかで、
唯一“はれはか村”の名称で、一つの村として記録されています。
(1651年『宮古八重山両島絵図帳』)

(ta)

※ 御嶽は神聖な場所です。
  鳥居から中へのお立ち入りはご遠慮ください。

これまでに、六山八山の御嶽をご紹介してきましたが、
竹富島に血縁関係がある方や古くから竹富島にお住いの
ほとんどの方が、六山の氏子に所属しています。

そこで、
六山の氏子組織についての記述をみなさまにご紹介しましょう。
【引用:崎山毅著 『蟷螂の斧』 1972年7月15日 錦友堂写植発行】

神山の組織

神山には女の神司(神官)と男のテズリビ一人と「とのい元」と氏子がいる。

 /聖 (かんつかさ・カンチカサ)
神司には、大司、次(すんぬ)の司、神女(又は脇司)、神の子、
袖ぬ子、願い人などの階段がある。
大司は男系相続の司の家の成人した子女の中から一人を選んで
相続させ、代々世襲する。未婚、既婚を問わず女子としての充分な
教養を身につけ、女としての豊かな経験を積み、
氏子の信頼の厚い女子が継承する。
司が嫁に行くときは、司の香炉は婚家へ移る。
「司の家」の長男の娘が成人して司の職がつとまるまで勤める。
次の司は大司の補佐役であって代々世襲。神女、神の子、袖の子も殆ど同じ。
  
◆ー蠕⊃諭覆討困蠅咫Ε謄ズリビ)
神山の執事役にあたる男子であって、神司と氏子との間にいて事を連絡する。
祭のときまたはおふれまいなどのときは神山の主人役を勤める。
移民当時の有力者の家系で世襲されている。

 殿居元(とのいもと・トゥヌイムトゥ)
氏子の総元帥であって、神山の祭の直接の執行責任者である。
神山を創設し、部落を創設した神々の家系で世襲している。
六山のうちで、現今まで連綿と続いていると考えられている神々の家は
玻座間御嶽の根原金殿の直系の根原家と
久間原御嶽の久間原発金殿の久間原家であって、
推定1250年以上続いていると考えられている。

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とのい元の下で、神山に関する諸事を執行する男子。
氏子のうちから選ばれる。

ァ〇畛辧覆Δ犬魁Ε筌泪縫鵐献紂
六つの部落は皆出身を異にした同郷集団で構成されているが、
島が小さく経済婚姻が六部落間で混同して一つになったため、
ハナスク・久間原・波利若はハザマ村に合併し、
小波本・仲筋は合同して仲筋村を作っている。
ところが神山の神祭りは、昔から筋のことは血統以外の人には
して上げられないといわれているため、合併することもできず、
それぞれ別個に独立して行われる。
従って各祭の経費を負担する氏子を決めるには、
昔からちゃんとした慣行がある。
即ち、氏子はすべて男系によって継承されるから、
子供は男女共に父方の神山の氏子になる。
婿養子のときは子どものうち男子のないときは女子一人を
選んで養家の神山を継がせる。
嫁(母)は、血統を異にするから、
一生里方の神山に奉仕する。
また母は(特に神山の下位の司である場合)
自分の娘のうちから一人選んで自分の後継者とすることができる。

投稿者 takidun : 10:37 AM

September 02, 2011

カンユリ

〜 カンユリ 〜

1.御嶽の神、氏神などを信奉していた人が死去した際、願い下げをすること
2.神司が引退すること。ユリは「許し、許可」のこと。「神の許し」の意。

≪ 出典:『竹富方言辞典』 前新 透 著  2011年  南山舎 発行 ≫

昨日(9月1日)は、
竹富島の神々と島人たちの思いをつなぐ仲介役を務める神職、
玻座間御嶽の神司、
富本定子さんのカンユリ(引退式)が執り行われました。
玻座間御嶽の神司は竹富島の神司の長であり、
大司(ウフツカサ)と呼ばれています。

カンユリは、親族と玻座間御嶽の氏子の皆さんを中心に行われ、
仲筋御嶽、久間原御嶽、花城御嶽、波利若御嶽の神司の協力を得て、
六山、八山をはじめとする竹富島の御嶽や8か所の井戸を参拝し、
竹富島の神々に引退の報告し、
お許しをいただいています。

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玻座間御嶽の氏神、
根原金殿の末裔にあたる
富本定子さんは、平成7年、70歳の高齢で
玻座間御嶽の神司の大役を勤めて以来、
竹富島の神行事を掌ってきました。

竹富島では、
大司の引退により神職が2名欠員となりました。
新たな神司が神々によって選ばれるまで、
4名の神司が、竹富島を見守ります。

(ta)

投稿者 takidun : 10:51 AM

August 17, 2011

お盆を終えて

3連夜にわたって行われたお盆を14日に終えた竹富島。
翌15日には各支会の8月期の月例会が行われ、
祭が集中する9月に向けての話し合いが行われました。
とりあえずひと段落ついた竹富島では、
昨夕から様々な団体が活動を開始しています。


(ta)

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あいのた会(東集落)の男性陣は、
ホーシ道の中央に鎮座する“東のスンマシャー”の清掃を
買って出てくれました。
ガジュマルとアコンの周りの除草と砂入れ、大変お疲れさまでした。

シカイト ミーハイユー


夜になると、竹富島の大小さまざまな課題を、
“みんなで一緒に考えていこう”
ということで企画された、
狩俣恵一沖縄国際大学教授と家中茂鳥取大学准教授が主催する
「狩俣・家中うつぐみ教室」が、あいのた会館にて行われました。

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今回のテーマは「聞き書き」。
講演会「記憶を記録に変える ひとりひとりの語りが紡ぎ出す土地の歴史」
と題し、作家の森まゆみさんをお招きしています。
森まゆみさんは、
地元である東京都文京区の門前町、谷中・根津・千駄木で
ご自身が関わってきた活動を通じて、
お年寄りをはじめとする市井の人々の記憶の底に眠っていた情景を、
語り聞き、書き伝えることによって目覚めさせ、
薄れ、消えつつある地域の特色を改めて再認識することの
大切さを伝えてくれました。

実は、
これこそが「それぞれの地域の本当の豊かさや奥深さを醸し出している」
という森まゆみさんのメッセージは、
私たちの生活に多くの刺激を与えてくれました。

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さらに、
9月5日に執り行われる結願祭の奉納の稽古も昨夜からスタートしました。
先ずは竹富結願祭狂言部が、
「始番狂言」「芋堀狂言」の稽古を開始しています。

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今年の竹富島は、8月中も多忙な日々が続きます。

投稿者 takidun : 03:35 PM

August 08, 2011

花城御嶽

竹富島に数多く点在する御嶽(オン)。
沖縄本島では“ウタキ”や“オタケ”と呼びます。
現在、竹富島には28あるとされ、
竹富島の精神世界の中心に位置する神聖な場所です。

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今回は、竹富島の花城村の創設の神で、
竹富島で執り行われる神事の中心となる六山(ムーヤマ)のひとつ、
花城御嶽(ハナックオン)をご紹介します。

花城御嶽には、
花城村の氏神である他金殿(タキンドゥン)と
渡来先の沖縄島から招かれた神がまつられています。

(ta)

※ 御嶽は神聖な場所です。
  鳥居から中へのお立ち入りはご遠慮ください。

創建の由来は、
琉球王国が1713年に編纂した『琉球国由来記』に記されています。

花城御嶽
神  名 豊見はなさう
御いべ名 いへすしやかわすしや
(をきなわかなしより御渡たかねとのおかみ初る)


竹富島にもっとも早く渡来したと云われる他金殿には、
竹富島の名前の由来(タキンドゥン〜タキドゥン〜テードゥン)
を始めとして、
六山の神々のなかで最も多くの伝承が遺されています。
ここでは、
老練で勇猛な武人としての他金殿の伝承をご紹介しましょう。


− 竹富武士と崎枝武士の力くらべの話 −

昔、八重山一の力もちと言われていた崎枝武士と、
離島一の力もちと言われていた
竹富島の他金殿という二人の武士がいた。
ある日二人は話し合って、
石垣島にあるヤドバーレと言う所にある
大きな石の戸を押す勝負をすることにした。
 崎枝武士は年若く、体が太く力も大変強いので、
八重山島民の間の前評判では崎枝武士が勝つと言われていた。
一方、竹富の他金殿は年寄りであった。
しかし他金殿は崎枝武士より先輩であり、才知にたけていた。

いよいよ勝負の日となり、他金殿は腹ごしらえのために、
部下に命じて餅米の御飯を一斗準備させた。
崎枝武士の方は勝負の時間であると言って、
早くから現場に来て待っていた。
崎枝武士は今やおそしと他金殿へ使者をやった。
他金殿は、
「私は年寄りで歯がなく、御飯を食べるのに時間がかかります、
あと二時間後に勝負をいたしましょう、お待ち下さい」
と使者に返事をした。
そして他金殿の返事を待っている崎枝武士の所へ
使者がまだ帰らないうちに、
大急ぎで餅米の一斗を一口で食べ、腹ごしらえを十分にしてから、
馬に乗って急ぎ現場にかけつけた。
そして、崎枝武士に向かって言った。
 「私は昼食を済ませて勝負すると連絡しましたが、
あなたの折角の希望である時間を尊重して、食事もせずに急ぎ参りました」
そこで、それでは早く勝負を済ませて食事にしようと言って、
勝負を始めることにした。
そして、地面にある一坪の重い石の戸を両人で立て、
両側からその石戸を押し始めた。
崎枝武士は手で力いっぱいに押し、他金殿は両手に櫂を持って押した。
崎枝武士は時間がたつにつれ、力が弱くなってきた。
彼は食事をとっていないので腹に力が入らなくなってきたのである。
一方の他金殿はまだ十分に力があったので、
この時とばかりに石の戸を押し始めた。
崎枝武士は初めから力を出していたので、今になって力を出せず、
後ろへ後ろへと押された。
他金殿は遠くの岬まで石戸を押していって、
そこで石戸でもって崎枝武士を押し倒して殺した。
そのためこの地をケーラ岬と言う。
ケーラという地名は「けたおされて」
死んだという意味から名付けられたと言い伝えられている。

出典 『竹富島誌 ―民話・民俗編― 』上勢頭亨著 法政大学出版局発行

投稿者 takidun : 11:05 AM

July 31, 2011

化粧なおし

集落を散策すると、
数多くの石碑・石像を見ることができます。
これらの多くが
大正〜昭和期にかけて建立されたもので、
竹富島を支えた先人の業績や、
当時の生活を伝える貴重な記録として、
竹富島の景観に染み込んでいます。

(ta)

しかし、
亜熱帯地方特有の湿気を多く含んだ気候は、
石碑を保存する良好な環境とは決して言えません。
そのため、
語句の色や刻が剥げたり摩耗したりと、
文字が判別できなくなった石碑も少なくありません。

日露戦争に従軍した4名の無事の帰還と、
戦勝を祝して掘られた井戸、
ガイセンカー
【 凱旋井戸・キニンカーともいう。1906(明治39)年1月18日落成 】
の石碑に刻まれた文字は判読できなくなっています。

0609kininka01.jpg
ガイセンカーの石碑 正面 【東集落】

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ガイセンカーの石碑 裏面

しかし、
刻まれた文字にふたたび色が注がれ、
改めて言葉に命が吹き込まれた石碑もあります。

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西塘御嶽の石碑 (6月9日)

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西塘御嶽の石碑 (7月31日)

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西塘御嶽の石碑裏面 (7月31日)

1957(昭和32)年に竹富壮年会によって建立された
竹富島最大の偉人、西塘大主を讃えるこの石碑は、
竹富島にとって重要な石碑のひとつ。

島人の想いはみな同じなのだ ・・・
と感慨深くなるほど、
心ある有志が言葉を甦られせてくれました。

先人に対する敬虔な心があるからこそ、
竹富島は美しいのです。

投稿者 takidun : 02:08 PM

July 07, 2011

西塘ばんはじり(西塘大祭)

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竹富島最大の偉人、
西塘大主の遺徳を偲び感謝する神事
西塘ばんはじり(西塘大祭)が昨日から執り行なわれています。
竹富島では数多くの祭が執り行なわれていますが、
西塘ばんはじりは、
始まりの由来が判る数少ない祭のひとつです。


(ta)

〜 西塘祭の始まり 〜

竹富島では西塘の子孫が絶えたので、
西塘をまつる方がなく、
部落で時々お祭を施行していた。
処が今より百十一年前、弘化三(1846)年
竹富島には農作物の豊穣がなく、珍しい害虫が発生して、
島の農作物は勿論、雑草に至るまで喰い尽し甚だしい事には
民家まで這入ってきた。
島民は何事かの不吉の前兆ではないかと懸念していた所へ、
大浜津良という老人が神懸かりして、高下駄をはき、
黒木の杖をついて夜明け頃各部落を廻り
親見世役人玻座間与人、部落の責任者大山親雲上、
両人よく聞け、この津良は西塘の使いであるぞ、
「両人は島民の苦しい生活を見ているか」
「島の枯れゆく姿を見ているか」
「害虫が発生している原因を知っているか」
「島の役人達、村の責任者達は、島の五穀豊穣、害虫駆除の
祈願祭を近日中に施行せよ」
神々のご照覧あって島民は救われるでしょう。

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7月6日夕刻 幸本御嶽

そこで、
玻座間与人と大山親雲上は早速、島民を集め協議の結果、
毎年6月西塘祭を挙行することに決し、
牛一頭を屠って盛大に行なう事になった。
其の後お神の御加護により、農作物が稔り、
民生活安定し幸福を招いている。

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7月7日早朝 清明御嶽

出典:『西塘傳』
   與那国善三、上勢頭亨共著 沖縄西塘会発行 1957年

投稿者 takidun : 10:01 AM

July 04, 2011

久間原御嶽

竹富島に数多く点在する御嶽(オン)。
沖縄本島では“ウタキ”や“オタケ”と呼びます。
現在、竹富島には28あるとされ、
竹富島の精神世界の中心に位置する神聖な場所です。


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今回は、竹富島の久間原村の創設の神で、
竹富島で執り行われる神事の中心となる六山(ムーヤマ)のひとつ、
久間原御嶽(クマーラオン)をご紹介します。

(ta)

久間原御嶽には、
久間原村の氏神である久間原発金殿(クマーラハチンガニ)と
渡来先の沖縄島から招かれた神がまつられています。

創建の由来は、
琉球王国が1713年に編纂した『琉球国由来記』に記されています。
久間原御嶽
神  名 東久間真神山
御いべ名 友利大あるじ
(をきなわかなしより御渡久間原はつおかみ初る)


六山の神々には数多くの伝承が遺されていますが、
久間原発金殿の伝承はごく僅かしか遺されていません。
しかし、
それが久間原発金殿の出自に何らかの意味があるのではないか
とも推測することができます。


− 六酋長の土地と海の配分の伝説 −

 昔、竹富島には六ヶ村の酋長がいた。
その酋長たちは、屋久島、久米島、徳之島、沖縄本島から竹富島へ渡来した。
島は小さい上に、土地は狭くして生活に不便であるため、
六人の酋長はそれぞれの領地について協議した。

花城村の酋長は、少しの土地を六つに分けることは無理と思い、
土地をもらうよりは広い海を多く分けてくれ、と真っ先に願い出て、
東方から南方にわたる卯辰巳午の四ヶ所をもらい、
大きな海の所有者になった。

玻座間村の酋長は耕作面を良い土地から多くと言って、
玻座間村を中心に、美崎付近を自分のものに分けてもらい、
その地で粟作につとめた。それで粟の主として尊敬されるようになった。
かわりに海としては島の子の方向にある
「ヒラソイ」「東ヌソイ」「西ヌソイ」という、三つの大岩を分けてもらった。

幸本村の酋長は、玻座間村と同様、良い土地を多く取ることを望んだ。
「フウジャヌクミ」を中心として西方へ耕地を分けてもらい、
大豆、小豆、赤豆、下大豆等の豆類の研究を重ねたので、
豆の主として尊敬された。そして、海は西の方向の一部をもらって生活した。

仲筋村の酋長は、竹富島の中央を選び、
アラ道からンブフル、仲筋フウヤシキまでの耕地をもらいうけ、
麦作の研究をしたので、麦の主として尊敬された。
海は戌亥の方向を二部自分の海としてもらいうけた。

波利若村の酋長は、やさしい欲のない方で、
五名の選び残りでよいとのことから、
美崎原にある新里村の土地の一角をもらい、
海は寅の方向の一部をうけてバイヤピーと名づけた。
そして自分は、六名の内一番後輩である、
先輩たちの諸作物に一番大切な天の恵みである雨を祈り、
島の豊作を祈念するということから雨の主になった。

久間原村の酋長は、良い土地より悪い石原を多く持ち、
その土地に植林をして人民の幸福をはかることが望みだった。
そのため石の多い野原を取り、
ヒシャール山、ヘーマジッタイ、クムクシマフ、カイジを所有地にし、
石原に木を植え、竹富島の山林の主となって、
人民から山の神として尊敬された。
また海の方は、未申にある「ヒサラピーナノウーピー」を自分のものとした。

六人の酋長は、自分の担当した職を神司に告げたので、
竹富島の六人の神司はその由来から土地や海を祝詞に唱え、
麦、粟、豆、山、海、雨、
この六つに分かれた主の神として六つの御嶽を創立したと言うことである。

出典 『竹富島誌 ―民話・民俗編― 』上勢頭亨著 法政大学出版局発行

※ 御嶽は神聖な場所です。
   鳥居から中へのお立ち入りはご遠慮ください。

投稿者 takidun : 08:33 AM

June 07, 2011

幸本御嶽

竹富島に数多く点在する御嶽(オン)。
沖縄本島では“ウタキ”や“オタケ”と呼びます。
現在、竹富島には28あるとされ、
竹富島の精神世界の中心に位置する神聖な場所です。

20110605kontohon.jpg

今回は、竹富島の幸本村の創設の神で、
竹富島で執り行われる神事の中心となる六山(ムーヤマ)のひとつ、
幸本御嶽(コントゥオン)をご紹介します。
幸本御嶽には、
幸本村の氏神である幸本節瓦殿(コントゥフシンガーラ)と
渡来先の久米島から招かれた神がまつられています。
ちなみに、幸本御嶽が置かれている地は
フージャヌクミ(長者の地)と云われており、
幸本節瓦殿がいかに裕福で力を持っていたのかを偲ぶことができます。

創建の由来は、
琉球王国が1713年に編纂した『琉球国由来記』に記されています。

幸本御嶽
神  名 国の根の神山
御いべ名 もちやい大あるじ
(久米島より御渡幸本ふしかわらおかみ初る)

また、幸本御嶽の東側には、
小底場(クックバー)と呼ばれる小高い丘があります。
この丘は祭主である竹富公民館執行部と
神司のみが年に僅か2回(プイ・ユーンカイ)だけ
立ち入ることを許される場所であり、
竹富島において最も神聖な場所と云ってもいいでしょう。

さらに、ブログをご覧のみなさまに、
昭和51年『八重山文化論集』にて発表された
論文「竹富島のユーンカイ(世迎い)」を、
八重山の文化人のひとりに挙げられる、
著者の石垣博孝氏に転載のご承諾を頂きましたので、
抜粋してご紹介いたします。

※ 御嶽は神聖な場所です。
   鳥居から中へのお立ち入りはご遠慮ください。

(ta)

石垣博孝 1976(昭和51)年 「竹富島のユーンカイ(世迎い)」
八重山文化研究会編  『八重山文化論集』

三.行事の内容

旧暦の八月八日の早朝、ツカサ達は準備を整えて集会所に集まり、
村の幹部たちを伴って島の西海岸コンドイ浜へ向う。
以前はクツクバ嶽のツカサをしていた
西表ナへ氏(イリムティヤー)で祈願を行ってから、
浜へ行く慣いになっていたが、
ツカサの死亡(1963年頃)により、現在の形をとるようになった。
イリムティヤーにはかって、ニイランの香炉と舟の掛軸があったが、現在はない。

コンドイ浜は、ゆるい曲線を描く砂浜とサンゴ石灰岩で出来、
凪いだ海、澄んだ水のはるか西方海上に小浜島、西表島が横たわっている。
その浜に高さ1.2メートル、幅0.60メートル、厚さ0.25メートルのニイラン石があり、
石の根もとにキクメイシで出来た二基の香炉が置いてある。
アンナイコオロ(案内香炉)とニガイコオロ(願い香炉)である。
 浜に着くと砂の上にゴザを敷いて席を作り、
ツカサ達は心得たように自分の席へつく。
ニイラン石に向かって
左から、小底モウシ(クックバ御嶽)、仲本静(コントゥ御嶽)、請盛ユキ、
崎山苗(ハナスク御嶽)、石川明(ハサマ御嶽)、大山静(バイヤー御嶽)、
登野原ミツ(サージ御嶽)、安里八重(クマハラ御嶽)の順である。
村の幹部や世話人達は、その左手に座を占める。

ツカサ達は白い朝衣(神衣)をまとい、
静かにぬがずいて、コーハナ(香、白米)と酒を並べる。
白い朝衣は苧麻布または芭蕉布でつくられた打掛で、
神行事の時だけ、着物の上に着用する。
一番香(一握りの香束)が二つの香炉にたかれ、合掌祈願が行われる。
祈願の後、ツカサ達はそれぞれの香箱をささげ持って、
口々に「シィサリー」といって拝する。
シィサリーは、おうがいします、お知らせしますの意で、神への案内である。
 二番香までの間に小休止があって、
酒がまわされ、マースウサイが配られる。
マースは塩、ウサイは肴のことである。
ここでは神酒の肴として塩を用いることから、この名がある。
小皿に盛ったマースウサイを世話人が持ちまわり、
箸で一はさみずつ全員の左手に置いていく。
人々は左手の塩をなめながら神の酒をいただくのである。
次いで二番香による祈願がある。ほとんど一番香の時と同じである。

2008.09.07 yhunkai.JPG
2008年9月7日の「世迎い」

古老の説明によれば、三番香を継いで祈願し、
両の手で拝み招く間に神の舟が到着するというのである。
三番香が立てられると、全員が鉢巻をしめ、
ドラや太鼓に合せて「トゥンチヤマ」という謡をうたう。
ツカサ達は正座のまま両の掌を向に向け肘を折って
我が身へ招き寄せる所作をくり返しくり返し行なう。
整然とした中に真剣な熱気がこもっている。

《中略》

 「トゥンチヤマ」が終り、神舟が着くと、
ツカサ達はニイラン石のもとをはなれ、
神をともなってコントゥ御嶽への道への道につく。
道々「トゥンチヤマ」をうたいながらである。
途中、浜に近いニイウスイ御嶽へ参詣し、礼拝を行なう。
ニイウスイ御嶽は竹富島のために抜荷という
大それたことをした神を祀ったところである。
おそらく種子袋をかくした所で、
中喬木が繁茂し、今なお物をかくすのに格好の場所である。
ひっそりとした形ばかりの囲いの中に、香炉を一つ置いただけの拝所である。

《中略》

 ツカサ達がナージ(仲筋)村に近づくと、
村はずれに鉢巻をしめた婦人達が待ち受けていて、
謡をうたい両手を上げ単純な振りを行ないながら、うやうやしく一行を迎える。
 迎える方も迎えられる方も満面に笑みを浮かべて交わり、
ともに「トゥンチヤマ」をうたい、ガーリィを行なう。
ガーリィはドラの連打に乗って、
両側から相寄るように中心部に集約されたり、
波紋をおもわせるひろがりをみせたりしながら、規則正しく、幾度もくり返される。

 村の入り口での一連の所作は、
今しがた神を伴なった一行を迎え、
この村に快よく富貴の世(豊年)をもたらして下さい、という願いがこめられている。
一行はこの歓迎を受けた後、ナージ村にあるコントゥ御嶽に入る。
コントゥ御嶽は先にも記したとおり、
神名、国ノ根山。御イベ名、モチヤイ大アルジで、
久米島より渡来した
クバムトゥフシカーラ(小波本節瓦)によって拝み始めたとされているところである。

《中略》

2010.09.15 yhunkai.JPG
2010年9月15日の「世迎い」

拝殿には二つの香炉があって、
正面はコントゥ御嶽、
右手東向きの香炉はクツクバ御嶽へのトゥーシィ(遥拝)香炉である。
ツカサはそれぞれの香炉に香を立て、供物をそなえて祈願を行なう。
一通りの祈願がすむと、一同は座をくずし、
酒とマースウサイがまわされる。
更にお茶、お菓子が出て、くつろぎながら一時を過ごす。

一息入れると、クツクバ御嶽のツカサは一人拝殿を出て、
クツクバ御嶽へ通じる道を行く。
ツカサは手前でフクギの葉を三枚とり、その一枚を口にくわえ、
残る二枚は一枚ずつ左右の手に持つ。
神へ向う際吐息のかかることをおそれてのものであり、
竹富島ではウブ(イビ)入りの時にそれを行なう習慣がある。
ツカサはクツクバ御嶽の下で香をたき、
神にうかがいをたてる祈願を行なう。
しかる後履物をとり、素足で曲がりくねった岩の間の道を登りはじめる。
クツクバ御嶽はコントゥ嶽と境内を同じくする拝所で、
うっそうとした原生林に囲まれた岩の上にある。
岩の上にはちょっとした神座があって香炉が置いてある。
このクツクバ御嶽は、
ニイラン神の持ってきた種子をハヤマワリハイタツ神に命じて、
九つの村へ配布させた所だという。
クツクバ御嶽のツカサが登って後に、
他のツカサは並んで登り、村の幹部たちはその後に続く。

《中略》

 クツクバ御嶽は日頃上ることを許されない。
もっとも、他の拝所にしたところでみだりに立入ることは許されない。
この「禁」は定められたことというより、
人々の畏敬の念のあらわれであることが多い。
しかし、クツクバ御嶽の場合は、岩全体が神座であることから、
一般にみられる御嶽のイビと同じ性格を持っており、
もっと厳しい「禁」がいいわたされている。
 公然と上れるのは、
ユーンカイの日にツカサと行動をともにする村の幹部や手伝人に限られている。
クツクバ御嶽は樹々の間を通してンブフル(牛丘)を望むことができる。
祈願の方法はコントゥ御嶽と同じで、供物をそなえて香をたき、
全員による合掌祈願である。ここでも、「トゥンチヤマ」がうたわれる。

 クツクバ御嶽での祈願が終ると、一行は再び上ってきた道を降りて、
コントゥ御嶽の前庭で揃い、
ツカサ達を行列の前に立ててハサマ村へ向かうのである。
ハサマ村でもナージ村と同じく婦人達に迎えられ、
トゥンチヤマをうたいガーリィが行なわれる。

 しかる後、集会所へ行き再びガーリィをして円座をくむ。
ユーンカイの行事をつつがなく終えた安堵感が集まった人々の表情にあって、
それぞれの労をねぎらいながら飲み物や菓子をいただくのである。
なごやかな語らいがあって、
心を一つにして行って来た行事の首尾をかみしめる。
ユーンカイの行事はすべて終了し、
ツカサ達は白朝の神衣を脱ぎ鉢巻をはずして人間にかえる。
まだ正午には間のある時刻である。

投稿者 takidun : 08:00 AM

May 20, 2011

仲筋御嶽

竹富島に数多く点在する御嶽(オン)。
沖縄本島では“ウタキ”や“オタケ”と呼びます。
現在、竹富島には28あるとされ、
竹富島の精神世界の中心に位置する神聖な場所です。

今回は、竹富島の仲筋村の創設の神で、
竹富島で執り行われる神事の中心となる六山(ムーヤマ)のひとつ、
仲筋御嶽(サージオン)をご紹介します。

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仲筋御嶽には、仲筋村の氏神である
新志花重成殿(アラシハナカサナリ)と
渡来先の沖縄島から招かれた神がまつられています。
新志花重成殿には、ンブフル丘を一晩で積み上げた牛の伝承や、
竹富島最大の井戸である
仲筋井戸(ナージカー)を掘り当てた伝承がのこされています。
ちなみに、仲筋御嶽は“サージオン”と呼び、ナージオンとは云いません。
これは、
“サージ”と呼ばれる地に仲筋御嶽が置かれていることに由来しています。


創建の由来は、
琉球王国が1713年に編纂した『琉球国由来記』に記されています。

仲筋御嶽
神  名 宮鳥や神山
御いべ名 いへすし
(をきなわかなしより御渡あらしはなかさなりおかみ初る)


仲筋御嶽と密接な関わりがある仲筋井戸の水は、
正月元旦の初水として
国仲御嶽、清明御嶽、西塘御嶽へ捧げられており、
また、旧暦の1月8日と8月8日には、
竹富島の命を育んできた井戸への感謝の儀式を
仲筋御嶽の神司を中心に執り行なっています。

(ta)

― 犬の発見した仲筋井戸の話 ―

 はるか昔、竹富島の仲筋村の酋長、
新志花重成殿は竹富島の人々が飲料水に困らぬようにと
絶えず良い泉を探し求め続けていた。
ある日のこと、新志花重成殿は一匹の犬と散歩に出かけたところ、
後ろを付いてきた犬が一時見えなくなり、
しばらくしてその犬が尾を振りながら嬉しそうに戻ってきた。
その仕草に不思議そうに思いながら犬の尻尾を見たところ、
尾の先には泥水がついていた。
長らく干ばつが続き、
付近には水たまりもないのに犬の尻尾が濡れるわけがないが、
と思いながらも犬の後を追って茂みの中に入ってみると、
犬は蟹の穴に尻尾を入れ、
ここぞと云わんばかりに尻尾で水を巻き散らかした。
これは、もしかしたら自分が望んでいた泉かも知れない。
と感じた新志花重成殿は、自分の持っていた杖で蟹の穴を掘り起こすと、
清らかな水が湧き出てたちまち周りには水が溜まり小さな池となった。

新志花重成殿は、ここを深く掘り下げ、
立派な飲料水を湧き出せることができたため、
犬に感謝し、その井戸を犬の形に積み上げた。
それから後、
竹富島では正月元旦の若水、初水、出産祝いの命名水など、
おめでたいことがあった時には、
必ずこの井戸、すなわち仲筋井戸の水を使用するようになったのである。

出典 『竹富島誌 ―民話・民俗編― 』上勢頭亨著 法政大学出版局発行

※ 御嶽は神聖な場所です。
   鳥居から中へのお立ち入りはご遠慮ください。

投稿者 takidun : 11:33 AM

April 24, 2011

竹富島でのお祝いごと

 昨日(23日)は大安吉日。
竹富島では、ふたつのお祝い事が行われました。

ひとつめは、竹富島の文化・歴史・民俗を語る上で
欠かすことの出来ない人物、
上勢頭亨翁の生誕100年記念顕彰碑の除幕および
鐘つき堂の初打式が行なわれました。

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故上勢頭亨翁は
著作
『竹富島誌ー民話・民俗編ー』
『竹富島誌ー歌謡・芸能編ー』
を通じて数多くの竹富島の伝承、風習、古謡や民謡を継承し、
島内の史跡を紹介する石碑を数多く残しました。
さらに数多くの学識経験者や著名人に竹富島の文化を伝え、
現在の竹富島を育んだ功労者のひとりです。

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鐘の初打は、
上勢頭芳徳蒐集館長とふたりの亨翁の曾孫によって行なわれました。

島内外から60名を超える関係者が足を運び、
上勢頭亨翁の思い出話に花を咲かせていました。


夜には、
竹富公民館と竹富小中学校PTA主催による
新任郵便局長・教職員歓迎会が
まちなみ館にて行なわれました。
出席者は100名を超え、三支会や教職員など
各種団体が繰り広げる余興を楽しみました。

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余興に先立ち、
竹富小中学校による
文部科学大臣賞受賞の報告が行われました。
竹富校は平成17年度に続き、
全国初の2回受賞の快挙です!


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東支会
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西支会
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竹富中学校生徒によるダンス
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仲筋支会
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青年会による「ロンドンの花売り娘」

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上勢頭芳徳公民館長による万歳三唱

(ta)

投稿者 takidun : 08:55 AM

April 16, 2011

平成23年度竹富公民館祭事行事表

昨晩、東・西・仲筋集落の
三支会月例会にて発表された
「平成23年度竹富公民館祭事行事表」
をブログをご覧のみなさまにお知らせします。
(下のDownload file をクリックしてください)

Download file

沢山のお問い合わせをいただく
豊年祭(プイ)は7月16・17日 (土・日)。
多くの方が心待ちにしている
種子取祭(タナドゥイ)は
11月25日にトゥルッキを迎えます。
奉納の二日間は
12月1日(木)・2日(金)に執り行なわれます。

(ta)

投稿者 takidun : 08:00 AM

April 09, 2011

入学式

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寒暖が激しかった今年の春先ですが、
ようやく春らしさが感じられるようになった昨日、
竹富島では、
竹富小中学校の入学式が行われました。
今年の新一年生は
小学校は4名
中学校は6名
児童生徒数は合計38名です。

島の入学式らしく、
地域の方も大勢訪れ、
和やかな雰囲気のなか式が行われています。

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昨年度はソニー賞を12年連続で受賞したり、
こぼし文庫の修復や赤山公園の花壇の整備で
大活躍したりと大忙しだった島の子どもたち。


10名の子どもたちとご父兄、
さらには進級した子どもたち。

今年も竹富島を明るく元気に照らして下さいね。
おめでとうございます。

(ta)

投稿者 takidun : 02:45 PM

April 07, 2011

玻座間御嶽

竹富島に数多く点在する御嶽(オン)。
沖縄本島では“ウタキ”や“オタケ”と呼びます。
現在、竹富島には28あるとされ、
竹富島の精神世界の中心に位置する神聖な場所です。

今回は、竹富島で最も徳の高い神とされ、
竹富島で執り行われる神事の中心となる六山(ムーヤマ)のひとつ、
玻座間御嶽(ウーリャオン)をご紹介します。

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玻座間御嶽は、6つに分かれていた竹富島の村を一つにまとめあげ、
数多くの伝承がのこされている氏神、
根原金殿(ネーレカンドゥ)と渡来先の屋久島から招いた神がまつられています。

創建の由来は、
琉球王国が1713年に編纂した『琉球国由来記』に記されています。

波座真御嶽
神  名 豊見を永山
御いべ名 はたと大あるじ
(屋久島より御渡根原かんとのおかみ初る)

根原金殿は、竹富島最大の祭である種子取祭を統合したと伝えられており、
奉納芸能初日(サチブドゥイ)は、根原金殿の日とされています。


(ta)

― 種子取祭の由来伝承 ―

かつて、竹富島には6つの村があり、
それぞれの酋長がいて村人を愛し、
島のため農作物の作り方を各自の村で指導していた。
根原金殿と仲筋村の新志重成殿(アラシハナカサナリ)は
「つちのえね」の吉日を選んで種子を蒔きはじめの種子取祭を行っていたが、
他の4村は「つちのとうし」「きのえうま」と別の日取りを決めて行なっていた。
根原金殿は、6名の酋長が心を合わせて行事を行うのが
将来の竹富島のためであり、
神からの恵みも大きくなり農作物の豊穣も期待できると考え、
自分の選んだ「つちのえね」の吉日にこの行事をまとめたいと思い、
幸本村の幸本節瓦殿(コントゥフシンガーラ)に自分の妹を嫁がせて、
その対策を講じた。
嫁に行った妹は、
まず兄の根原金殿が「つちのえね」の日に蒔いた粟で神酒を造った。
この粟は発芽がよく、穂の稔りもよかったので一斗甕に原料八升を入れて置き、
七日目に甕の蓋を開けてみると一斗甕にいっぱいに湧いて、
箸を中につき立てても倒れないほどの濃くおいしい神酒ができた。
ところが、
夫の幸本節瓦殿が「つちのとうし」の日に
種子蒔きはじめの式を行った粟で神酒をつくると、
同じ一斗甕に八升の原料を入れても、
七日目に蓋を開けると、
自分の入れた八升のままで一合も増すことがなく、
薄水のようで、箸も立てられず、風味の悪い神酒ができた。
それで夫に対し、
「私の兄は長年、玻座間村で神酒の造り方を研究してきました。
神酒の造り方には変わりがないのにあなたの神酒の出来がよくないのは、
私の考えでは種子取祭の日取りのせいだと思います。
玻座間村の兄の選んだ「つちのえ ね」の日が一番よいと思います。」と言った。
そのことを聞いた幸本節瓦殿は妻の言うことを信じ、
それなら自分だけではいけないと、
東方の村の三名の酋長にもそのことを話し、
四名の酋長は一緒になって
玻座間村の酋長根原金殿の習わしである
「つちのえ ね」の日に行われる種子取祭を見るために相計り、
覆面に身を装ってはるばる遠方より訪ねてきたのである。

出典 『竹富島誌 ―民話・民俗編― 』上勢頭亨著 法政大学出版局発行

また、根原金殿は竹富島を統一したのち、
与那国島へと勢力を伸ばそうとしますが、
姦計によって同島で没したとの伝承がのこされています。

そのため、
1941(昭和16)年7月6日に竹富島の神司および当時の指導者が、
根原金殿の神霊を竹富島へお戻しになるため、
与那国島へ出向いたという事件があったそうです。

現在、根原金殿の神霊は、
玻座間御嶽にて竹富島を安らかに見守っています。


※ 御嶽は神聖な場所です。
   鳥居から中へのお立ち入りはご遠慮ください。

投稿者 takidun : 09:00 AM

March 14, 2011

3月14日、竹富島のデイゴ

0314deigo01.jpg

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桟橋から集落へ至るホーシ道の中ほどの、
一生懸命に蕾を蓄えるデイゴ。

深紅の色をその身にまとうのもあともう少しです。

3月14日、今日は竹富小中学校の卒業式。
ひとりの中学生が竹富島を巣立ちます。

未曽有の危機が起こるなか、
打ちひしがれる人々に、
ささやかな安らぎをもたらせてくれる
ゆっくりと深紅に染まるデイゴの花のように、
穏やかで、大きく育ってほしいと願います。

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(ta)

投稿者 takidun : 04:29 PM

March 12, 2011

竹富島の津波による被害

昨日、三陸沖で発生した巨大地震。
竹富島にも親戚縁者と連絡が取れない方も居り、
これ以上被害が拡大しないことを祈るばかりです。

被災者の皆さまに心よりお悔やみ申し上げます。

全国的に津波注意報・津波警報が発令された
巨大地震の影響で、八重山でも定期船は全線ストップ。
昨晩開催を予定していた祭事教室も延期となりました。

引き続き本日も定期船は運休していましたが、
13時50分に津波警報が津波注意報に切り替わり、
定期船の運行が再開されています。

竹富島での津波による被害は特にない模様です。

今回の地震で全国各地の方から、
「竹富島はどうなってる?」
とのご連絡をいただきました。
この場を借りて、
ご連絡いただいた皆さまに心から御礼申し上げます。

標高僅か24mほどの
ヌングン島(ひらべったい島)の竹富島。

テレビの映像で繰り返し報じられる惨状に、
竹富島を重ね合わせることの恐怖心を感じました。

(ta)

投稿者 takidun : 03:42 PM

March 04, 2011

世持御嶽

竹富島に数多く点在する御嶽(オン)。
沖縄本島では“ウタキ”や“オタケ”と呼びます。
現在、竹富島には28あるとされ、
竹富島の精神世界の中心に位置する神聖な場所です。

今回は、竹富島の史跡が集中し、
多くの観光客が訪れる世持御嶽(ユームチオン)をご紹介します。

竹富公民館が管理するムラオン(トゥクルウガン)のひとつで、
火の神と農耕の神がまつられる世持御嶽は、
竹富島最大の祭、
種子取祭の奉納芸能が執り行われる御嶽として
島人から愛されています。

火の神とは琉球士族が篤く信仰していた神で、
村番所(オーセー)でまつられていました。
ところが、
1908(明治41)年、村番所が廃止されることになり、
火の神は清明御嶽へ移されました。
そのため、
清明御嶽で火の神行事や種子取祭を執り行なっていました。

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平成22年9月15日 香炉交換の儀での世持御嶽

しかし、
清明御嶽には島造りの2神がまつられているため
様々な問題が起こりかねないということで、
1914(大正2)年
竹富村役場が世持御嶽敷地に置かれるとともに
世持御嶽を創建し、
再び火の神と農耕の神を世持御嶽にお招きし、
さらに、種子取祭の奉納も執り行われるようになります。

1970 yumuchion.jpg
1970(昭和45)年3月の世持御嶽


種子取祭の七日目・八日目には、
六山・八山の神々が世持御嶽にお集まりになり、
さらに弥勒奉安殿からミルク神もお出ましになり、
島人や帰省した島の出身者が奉納する芸能をご覧になります。


ちなみに世持とは部落の代表との意味もあり、
種子取祭で奉納される芸能のうち、
世持狂言は玻座間村と仲筋村双方で奉納されています。
ここには、
世持が諸々を指導して豊穣へ導く重要な役割を担っていたことを物語っています。
現在、世持御嶽敷地には、
小城盛(国指定史跡)、弥勒奉安殿、竹富町戦没者慰霊碑など
多くの史跡が置かれており、竹富島の観光名所となっています。


※ 御嶽は神聖な場所です。
   世持御嶽拝殿の奥へのお立ち入りはご遠慮ください。


(ta)

投稿者 takidun : 03:16 PM

February 24, 2011

咲き誇る花々

竹富島の集落のいたるところで、
暖かさに誘われて花が色づきます。

青い空
白い雲
エメラルドグリーンの海
樹木の緑
集落の赤瓦

そして、色とりどりの花。


やがてデイゴの花の紅色も加わり、
竹富島は、
さらに自然が生みだす鮮やかな彩りに包まれます。

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ヒマワリ 【西集落】

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ハイビスカス 【西集落】

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カンヒサクラ 【東集落】

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キンチョ 【西集落】

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コスモス 【西集落】

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カエンカズラ 【西集落】

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マリーゴールド・インパチェンス 【東集落】

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デイゴ 【ホーシ道】

(ta)


投稿者 takidun : 03:22 PM

February 23, 2011

今日の竹富島

連日穏やかな天気の竹富島。

ウルズン(初春)の陽気に誘われて、

シロバナセンダンソウに、
ミツバチが花の蜜を求めてやってきます。

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(ta)

投稿者 takidun : 03:48 PM

February 14, 2011

小さな島の大きな辞典

日本語の“古いかたち”を残す地域として知られ、
多くの言語学者が訪れる八重山地方。

『古事記』『日本書紀』に綴られている言葉が、
今もなお口語として用いられている地域として、
ゆがふ館にも大学、研究所から言語学者が調査に訪れています。

こうしたなか、
竹富方言(テードゥンムニ)約20,000語を収録した
『竹富方言辞典』が上梓され、いよいよ販売を開始します。

発行元の南山舎株式会社のHPアドレス
http://jaima.net/modules/guide6/content/index.php?id=145

著者の前新 透 氏は、
竹富島出身、かつ竹富中学校の教論を務め、
大勢のテードゥンヒトゥ(竹富人)を育てられました。

琉球文学、文化研究の第一人者で
『おもろそうし』の翻訳者として知られる
外間守善 法政大学名誉教授は、
前新 透 氏の一期後輩にあたりますが、
外間先生は、前新氏と竹富島について次のように記しています。


「青年初期の多感な頃の私が、畏敬の念をもって影響を受けた人に
前新透さんという竹富島出身の秀才がいたが、
その人の生れた島だというひそやかな憧れと、
エメラルドに輝く周辺の海、色とりどりの魚が群れる環礁、
白砂を敷きつめた部落の道、赤い屋根瓦のしっとりとした情緒等々が重なって、
竹富島の島の美しさは、島に渡る前から、島に渡って後まで、
さまざまに私を魅了し続けているのだが、
それらのすべての奥深くに、竹富島の深沈たる歴史があり、
その風貌を伝える呪詞、神話、伝説、古謡、狂言等々があることを知らされると、
私は、私などの筆やことばではとうてい包み得ない深淵をのぞく思いに、
身が引きしまるのであった。」

引用:『竹富島誌―民話・民俗編―』 上勢頭亨 著 法政大学出版局発行


前新 透 氏は定年退職した後、
かねてからの念願であったテードゥンムニの収集に取り掛かります。
そして、石垣島から竹富島へ足しげく通い、
今では鬼籍に入られた多くの古老から聞き取りを重ねます。

竹富島の伝統文化の底辺を支える“ことば”
このことばを後世へ伝えるための欠かすことができない
『竹富方言辞典』

発行部数は僅か500部。
竹富島を深く知りたい方には必携です。

(ta)

投稿者 takidun : 12:02 PM

February 13, 2011

今日の竹富島

ゆったりとした時間が流れる今日の竹富島。

しかし、
島の風景は
少しずつ、少しずつ移り変わっていきます。
こうした
竹富島の姿を皆さまにご紹介しましょう。

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竹富小中学校校門に咲き誇る花々

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喜宝院蒐集館入口 「感謝の碑」

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修復を終えたこぼし文庫

(ta)

投稿者 takidun : 02:44 PM

February 11, 2011

素敵なプレゼント

竹富島を訪れる度に、
ゆがふ館を訪ねてくれる常連のお客さまが
贈ってくれた一冊の本。

開けてみると、
素敵な表紙を配した
「平成22年度(2010‐2011)郵便番号簿」
が出てきました。

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表紙の絵は原田泰治画伯が描く、「島の郵便局」。
原田画伯はさまざまなご縁で3度竹富島を訪れています。

なかでも、1983(昭和58)年にはじめて竹富島を訪れた際、
島で理髪店を営んでいた
“カーカンのおじぃ”故河上親雄翁と親交を深め、
「島の床屋」を描きます。

原田画伯は、
竹富島の文化人のひとりに挙げられる故河上親雄翁の、
ご自身の生涯を記した『島の床屋一代記』を発刊する際、
「島の床屋」の掲載を快く了承し、さらに特別に寄稿もされています。

全国の郵便局で見ることができる
竹富島のひとコマ。

ここには、
原田泰治画伯と
“カーカンのおじぃ”との
心の交流を感じることができます。

(ta)

投稿者 takidun : 09:24 AM

February 06, 2011

第52回(卯歳生)合同祝賀会

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本日は、今年の干支「卯」年生まれと米寿を祝う
第52回米寿生年合同祝賀会
がまちなみ館で開催されました。

今年は数え年88歳の米寿を迎える方が不在のため、
卯歳生まれ41名の
島民および竹富島出身者の皆さまを
竹富島を挙げて祝福します。

祝宴の部では、
あいのた(東集落)、いんのた(西集落)、仲筋村の
三支会から楽しい余興が提供されました。

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仲筋支会提供 「繁盛節〜とまた」

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西支会提供 「しょんかね小」

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東支会提供 「殿様節」

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仲筋支会提供 「バッサイロン」

祝賀会には
竹富町長、副町長も出席し、華やかな舞台を一層引き立たせ,
祝福を受ける生れ年の方のなかには、
沖縄本島や東京からも駆けつけ、
故郷からの暖かい心遣いに感謝されていました。

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数え年73歳のみなさんによる合唱 「ふるさと」

(ta)

投稿者 takidun : 03:51 PM

February 05, 2011

子どもたちの活躍

2月3日は旧正月、翌4日は立春と
厳しい北風が吹き荒れた最近の竹富島ですが、
暦のうえでは春の訪れを知らせています。

竹富島においても、
例年にないほどの寒い日々も、
ようやく一息つきそうな兆しが
昨日から感じられるようになってきました。

それは、
波照間歳暮風(ハティローシーブパイ)

と呼ばれる穏やかな南風の影響。
例年では、旧正月前の1週間にこの南風が島を流れると、
浜辺はアーサ(海藻)の緑色に染まり、
集落では色鮮やかな花が咲き、厳しい北風の中休みを告げます。

今年は少々遅く、旧正月後の昨日から
波照間歳暮南風の到来を感じさせてくれました。


その季節の節目を迎えた竹富島では、

先日、
2010年度ソニー子ども科学教育プログラム(ソニー賞)
の優秀校に選ばれ、
12年連続ソニー賞入賞の朗報を届けてくれた
竹富中学校の生徒たちが、
3日には、修復を終えたこぼし文庫の整備の手伝いを、
4日には、赤山公園の花壇に花を植えてくれました。


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国指定登録有形文化財のなごみの塔を有し、
竹富島の観光スポットのひとつで、大勢の観光客が足を運ぶ
赤山公園を管理する西集落では、
こぼし文庫の修復に役立ててと200の花の苗を購入し、
赤山公園の花壇を彩ろうとしましたが、
北から吹きつける風の影響でいくつかの花は咲かずじまい。

見かねた竹富小中学校長からの提案で、
あらためて花を提供し、きれいに植えてくれました。

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今度は、波照間歳暮風の力も借りて、
コスモス、サルビア、ケイトウ、アスターの花が咲き、
なごみの塔に訪れる人々を、
なごませることができるでしょう。

竹富小中学校長ならびに
竹富中学校の生徒のみなさま

シカイト ミーハイユー

(ta)

投稿者 takidun : 10:59 AM

February 02, 2011

清明御嶽

竹富島に数多く点在する御嶽(オン)。
沖縄本島では“ウタキ”や“オタケ”と呼びます。
現在、竹富島には28あるとされ、
竹富島の精神世界の中心に位置する神聖な場所です。

今回は、
島づくりの神々がまつられ、
竹富島で執り行われる神事の中心となる
六山・八山(ムーヤマ・ヤーヤマ)のひとつ、
清明御嶽(マイヌオン)をご紹介します。

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清明御嶽は、国仲御嶽、西塘御嶽、世持御嶽と同様に、
竹富公民館が管理するムラオン(トゥクルウガン)のひとつであり、
竹富島の氏神と氏神が招いた神がまつられる6つの御嶽、
六山(ムーヤマ)とともに祭事行事の中心となる御嶽です。

創建された年代は明らかではありませんが、
前浜玉仁(まえはまたまに)という神霊を受けた人によって
拝みはじめられたと云われています。

また、創建の由来については
次のように伝えられています。

― 清明御嶽の由来 ―

はるか昔、
天の神さまは、
清明加那志(シンミンガナシ)と
オモト・ホーラステラスヌ神の二神に
人間の住む島を造るようにと仰せ付けた。

清明加那志は広い海の中にあった小さい岩に降りたち、
その岩を中心として付近の石や砂利や砂土を盛り上げて
竹富島を造り上げた。
その岩はアガリ=パイザーシの岩といわれ、
島の中央部の清明御嶽の東方にある。

オモト・ホーラステラスヌ神は
石垣島の於茂登岳を築き、その山の上に住んだ。

その後、
オモト・ホーラステラスヌ神と
清明加那志は共同で
もっと大きな島を造ろうということで
大石垣島すなわち石垣島を造り、次々と島を造った。
あわせて八つの島を造ったので、
八重山と呼ばれるようになったと云われている。

島造りの神である清明加那志と、
山造りの神であるオモト・ホーラステラヌスの二神を祀ってあるのが、
竹富島の中央部に建てられている清明御嶽である。
清明御嶽を島の人々は島の元御嶽と称している。

出典『竹富島誌―民話・民俗編―』 上勢頭亨 著 法政大学出版局発行


清明御嶽は、別称「マイヌオン(前の御嶽)」と呼びますが、
竹富島の元の岩となる東パイザーシ御嶽の南に位置するためや、
竹富島最大の偉人が祀られる西塘御嶽の南に位置するためなど、
これも諸説があり定かではありません。

雨乞いの儀式、
結願祭、
年に3回執り行われる大祭の夜籠の御嶽
として、
竹富島の祭事には必ず訪れる重要な御嶽です。

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十月祭での祈願


※ 御嶽は神聖な場所です。
   鳥居から中へのお立ち入りはご遠慮ください。


(ta)

投稿者 takidun : 01:04 PM

January 25, 2011

西桟橋

西表石垣国立公園の中核を成す
石西礁湖(せきせいしょうこ)に浮かぶ竹富島。

竹富島を取り囲む海には美しいさんご礁が広がり、
訪れる人々を感嘆とさせます。

竹富島は島全体が
西表石垣国立公園普通地域に指定されていますが、
西海岸線
(西桟橋〜コンドイ浜〜カイジ浜〜キダール海岸)は
特別地域の第2種に指定されています。

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西桟橋から望む ニーラン海岸、コンドイ浜


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1月25日午前の西桟橋

その起点となる西桟橋は、
島内屈指の名勝地として知られています。

一年を通じ、宿泊される多くの皆さまは、
西桟橋に足を運び、
小浜島、西表島に沈む夕陽を眺め、壮大な自然を感じながら
それぞれの時間を過ごします。

また、西桟橋は
2005(平成17)年に国から登録有形文化財の指定を受けています。
現在の姿は1950(昭和25)年に拡張工事が行なわれた際の姿で、
石灰石を乱積みしたのち、コンクリートで固められており、
総延長105m、幅員は4.4mあります。

西海岸に桟橋が建造された経緯は、
悪税として名高い人頭税時代(1637-1903年)に遡りますが、
人頭税が廃止されても、
竹富島の人々の米つくりの拠点は西表島や由布島でした。

太平洋戦争(1941-1945年)終結後、
台湾や戦地からの引揚者により、
島には約2,150もの人々が生活していました。
当然ながら食料の確保が急務であり、
西表島への入出航、荷物の搬出入も頻繁に行なわれていました。
このような状況で桟橋を近代化することは必須でした。

そのため、竹富部落会(現竹富公民館の前身)は、
島の生産人(15才から60才の男性)に
決められた大きさ以上の石を3〜4個持参するように割り当てます。
そして、皆がうつぐみの精神をもって桟橋の拡張工事に参加しました。


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桟橋には、登録有形文化財の証とともに、
拡張を指導した当時の方々の名前が記されています。

今でこそ、
美しい夕陽、満天の星空を眺める憩いの場としての西桟橋ですが、
島人の苦しかった時代を偲ばずにはいられません。

(ta)

投稿者 takidun : 10:26 AM

January 16, 2011

今日の竹富島は・・・。

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現在の竹富島は気温12℃。
ゆがふ館に訪れる皆さまも厚手の衣類の襟を立て、
吹きつける北風に堪えながら入館しています。

冒頭の写真は2010年6月29日のコンドイ浜。

暑い暑い夏の竹富島ですが、
冷たい北風が吹き荒れるこの季節には、
夏がとても恋しくなります。


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2011年1月16日13時30分頃のコンドイ浜


この寒さのなか、
同志社女子大の学生さんにご来館いただきました。
卒業旅行で八重山を訪れたとのことです。
再び竹富島に訪れる際は、
暑い暑い夏の竹富島を是非とも満喫してくださいね。

シカイト ミーハイユー。

また、
本日は石垣島にて、
第36回八重山毎日駅伝が開催されています。
19の島・地域が16区に分かれて石垣島一周をタスキでつなぎます。
今年は昨年に引き続き与那国チームが優勝。
竹富うつぐみチームは昨年より3つ順位を上げ、
総合7位との速報が入りました。

総勢304名の走者の健脚を称えつつ、
竹富うつぐみチームの奮闘を祝します。

(ta)

投稿者 takidun : 03:10 PM

January 14, 2011

こぼし文庫の修復

今日の竹富島は雨。
あいにくの天気ですが、
大勢の観光客が竹富島を訪れています。

多くの皆さまがゆったりとした時間を満喫する、
竹富島観光の目玉である水牛車観光。

その水牛車観光を初めて立ち上げたことで知られる
新田観光さんの受付窓口の東側の家屋では、
赤瓦を屋根から下ろし、修復作業を行っています。

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この建物は「こぼし文庫」と名づけられ、
1972(昭和47)年5月15日、
沖縄が日本に復帰した日に、
随筆家の故岡部伊都子氏が
竹富島の子どもたちへ寄贈された家屋です。

当ブログでもこぼし文庫と故岡部伊都子氏との深い
繋がりについて何度かご紹介しています。

http://www.taketomijima.jp/blog/archives/000684.html


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全国竹富島文化協会が発行する会誌『星砂の島』の最新号では、
岡部伊都子さんの追悼特集が組まれています。


今年度の文化庁による

「竹富島重要伝統的建造物群保存地区保存修理事業」

による修復工事は「こぼし文庫」の1件。
昨年度はこぼし文庫の南側にある
竹富島最古の家屋で1866(慶応2)年に
建てられた場儀納屋(バギナヤ)が修復されています。


保存物件を修復するにあたり、
費用の1割は所有者が負担します。
そのため今回の修復では、
竹富公民館より管理を委託されている
竹富小中学校PTAのみなさんが、
竹富小中学校教職員、児童生徒と一緒になって
サルビア、インパチェンス、マリーゴールドの苗を育て、
島人に販売し費用を捻出しています。

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竹富小中学校校門の見事な花々のディスプレイとプランター

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赤山公園の花壇とプランターには、
サルビア70苗、インパチェンス80苗、マリーゴールド70苗
が植えられています。

快く購入した島人に育てられる3種類の花は、
暖かくなる頃には竹富島を鮮やかに彩り、
訪れる人たちの目を楽しませてくれることでしょう。

さらに、
修復されたこぼし文庫を訪れる子どもたちの元気な姿を、

名言「沖縄に照らされて」が刻まれた石碑から、
岡部先生は変わらぬ温かい眼差しで見守っていることでしょう。

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(ta)

投稿者 takidun : 04:06 PM

January 08, 2011

国仲御嶽

竹富島に数多く点在する御嶽(オン)。
沖縄本島では“ウタキ”や“オタケ”と呼びます。
現在、竹富島には28あるとされ、
竹富島の精神世界の中心に位置する神聖な場所です。

今回は、
あいのた集落(東集落)の東端、
集落を囲む環状線の内側の鬱蒼とした森のなかに佇む、
国仲御嶽(フィナーオン)をご紹介します。

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国仲御嶽は、八重山で唯一の首里王府と関わりがある御嶽で、
創建は通説では1524年と云われていますが定かではありません。
創建の由来は、
琉球王国が1713年に編纂した『琉球国由来記』に記されています。

国仲根所
神名     なし
御いべ名  しそのひやふの御神勧請也

西暦1500年、大浜村の英雄オヤケアカハチが
首里王府に反旗を翻したため
首里王府、宮古連合軍がオヤケアカハチを征伐するために
八重山へ攻め込みます。
その際、竹富島の西塘(にしとう)は、首里王府軍の総大将であった
大里親方に見出され首里へ連行されます。
首里王府の中枢を担う三司官の下に仕えた西塘は、
石工の才能を開花させ、当時の琉球王である尚真王に
園比屋武御嶽(ソノヒヤンウタキ)の石門の建立を命じられます。
西塘は、園比屋武御嶽石門を建立することができたならば、
郷里竹富島に園比屋武の神をお招きし、まつると祈願します。


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国指定重要文化財 園比屋武御嶽石門
(琉球王国のグスク及び関連遺産群として世界遺産に登録されています)


祈願の甲斐あって、
1519年、西塘は見事園比屋武御嶽の石門を完成させ、
琉球王から絶大な信頼を寄せられます。
やがて、八重山の統治者の役職を授かった西塘は、
1524年に故郷竹富島に錦を飾ったと云われています。
そして、西塘は竹富島の中央と云われる地に
国仲御嶽を創建し、園比屋武の神との約束を果たします。

西塘が八重山を統治した時代、
西塘は諸役人を引き連れ、冬至、元旦その他の慶節には
国仲御嶽を参拝し、中山(首里王府)に向かって祈りを捧げたと
云われています。

今もなお神事の際、
竹富公民館執行部と神司が必ず祈願に訪れる
国仲御嶽。


国泰く民やすらかにとの願いは、今も昔から変わりません。


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拝殿から臨む国仲御嶽のウブ


※ 御嶽は神聖な場所です。
   鳥居から中へのお立ち入りはご遠慮ください。


(ta)

投稿者 takidun : 01:15 PM

January 03, 2011

2011年 新春の竹富島

八重山の古典民謡において、
新春を飾る代表的な唄といえば、
殆どの方が「鷲ぬ鳥節」を連想します。

元日の早朝、
凛とした空に太陽が水平線から顔を覗かせる頃、
東の空に大きく羽ばたくカンムリワシ。

まさに一年のはじまりを祝うに相応しい唄といえます。


昨日の竹富島では、
新年に相応しい出来事が二つありました。

ひとつめは、
大きな猛禽類が無事に保護されたこと。
竹富島の北西部で怪我をして飛べなくなったところを、
松竹荘のみなさまが保護してくれました。
タカやワシなどの大型の猛禽類も、
弱ってしまえば、カラスやネコの餌食になってしまいます。

もしかしたら、カンムリワシ・・・!?
と心躍らせて松竹荘に取材に行きましたが、
カンムリワシではなく、タカ目タカ科のミサゴ。

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【ミサゴは、環境省レッドデータブックの準絶滅危惧(NT)と評価されています】

元日に保護されたときは、かなり衰弱していたとのことですが、
昨日時点では一応に落ち着いており、ほっと一安心です。
仕事始めの1月4日に石垣島の環境省指定の動物病院に搬送するよう
準備を進めています。

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松竹荘のみなさま、シカイト ミーハイユー!


ふたつめは、
竹富ぶなる(婦人)会、竹富青年会の共催による
新年成人合同祝賀会が開催され、
大勢の方が新年と二人の成人の門出を祝ったことです。

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19時30分からはじまった式典には、
島人は勿論のこと大勢の観光客も足を運び、
会場のまちなみ館は立ち見になるほどの大盛況でした。

新年と二人の成人を祝うため、
東、西、仲筋の各支会をはじめ様々な余興が披露され、
新春に相応しい竹富島の夜となりました。

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富本傳副町長の代読による竹富町長の祝辞を受ける二人

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ぶなる会長と青年会長による「かぎやで風」

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竹富青年会による「ロンドンの花売り娘」は会場を大いに沸かせてくれました

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余興を楽しんだ後は、出席者全員で巻き踊りとクイチャーを踊ります

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上勢頭芳徳公民館長による万歳三唱


縁起の良い話題を紹介することができた竹富島。
楽しみな卯年になりそうです。

(ta)

投稿者 takidun : 09:45 AM

November 11, 2010

竹富島の沖縄県指定文化財

 国の指定・選定を9つ有する文化遺産の島、竹富島。
つい、国の指定ばかりに目が向きがちですが、
沖縄県から指定を受けている文化財も2件有しています。

いずれも竹富島出身で、
かつ竹富島最大の偉人として、『球陽』をはじめとする歴史書に名が記される
西塘大主(にしとう:1400年後半〜1550年頃)
と密接なかかわりを持っています。


1. 蔵元跡 (くらもとあと:昭和34年12月16日指定 当時は琉球政府指定文化財)

現在では「星砂浜」として大勢の観光客が訪れるカイジ浜。
その片隅にひっそりと蔵元跡の碑が佇み、
石垣が積まれ、蔵元の面影を残しています。。
蔵元(現在の支庁にあたる)が竹富島に設置されたのは、
通説では1524年と云われていますが、定かではありません。
その蔵元を竹富島に置いたのは、
琉球王(尚真王)から竹富大首里大屋子の官位を授かった
西塘大主です。

竹富大首里大屋子(たけとみうーしゅりうーやく)
とは、現在の支庁長にあたります。
つまり、琉球王国における八重山地域のトップとして、
八重山を統治します。

その後、立地上の問題から蔵元を石垣島に移し、その地で西塘大主も没しますが、
八重山における琉球王国最初の拠点として、竹富島に諸役人が集まっていたのです。

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因みにカイジ浜は、漢字では“皆治浜”とあてます。
総てを治める浜。そこがカイジ浜であったのでしょう。


2.西塘御嶽 (にしとうおん:昭和34年12月16日指定 当時は琉球政府指定文化財)

竹富島のコミュニティの中心である
竹富島まちなみ館の北に建立されている
西塘御嶽は、
西塘大主のお墓と伝えられており、
竹富島の神事には必ず参拝し、
大勢の島人が集う会合には西塘御嶽に出席者全員で祈願をするなど、
今もなお島人から敬愛されています。

西塘御嶽がいつ建立されたのかは定かではありませんが、
1550年、石垣島で逝去された西塘大主を慕う蔵元の諸役人の協議により、
郷里竹富島の旧屋敷に墓を造りそこへ改葬されたと云われています。
(出典:『西塘傳』 与那国善三・上勢頭亨共著 沖縄西塘会発行 1957年)

西塘大主の業績は、竹富島を代表する古謡
『しきた盆』にて謡われ、

西塘大主が竹富島に遺した最大の遺産、
「うつぐみ」の言葉は、
現在でも島人の拠りどころとして心に刻まれています。

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(ta)


投稿者 takidun : 03:59 PM

November 04, 2010

第33回テードゥンムニ大会

11月2日の夜、竹富小中学校PTA主催による
「第33回テードゥンムニ大会」
がまちなみ館にて開催されました!


テードゥンムニとは竹富島言葉のこと。
竹富島には、
「ムニバッキタ シマバッキ シマバッキタ ウヤバッキルン」
(言葉を忘れたら、島を忘れ 島を忘れたら、親を忘れる)
ということわざがあり、言葉を忘れないこと、伝えることの大切さを教えています。


沖縄県では2006年3月30日に、
毎年9月18日をシマクトゥバ(島言葉)の日として制定し、
地域独特の言葉を触れる機会を増やしていますが、
竹富島では、33年前からこうした活動を行っています。

また、ユネスコ(国連教育科学文化機関)では、
2009年に、世界の2500に及ぶ言語のうち消滅の危機にある言語に、
八重山語(八重山言葉)を与那国語などとともに
「重大な危険」の一つ下のランク「危険」にリストアップし、
八重山各地域の言語を総称して八重山語とみなし、
日本語の枠に収めずに独立した言語として認識し、
八重山に残されている言葉の消滅に警鐘を鳴らしています。


さて、この日は、
普段はなかなかお会いできないおじぃやおばぁも、
児童生徒のテードゥンムニを楽しみに足を運び、
100名以上集まった会場では、
“こんばんは”の挨拶が“クヤーナラー”に変わります。

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漢那憲吉学校長のテードゥンムニによる挨拶

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学校職員による寸劇 ムヌンガタイ(昔話)『金の鍬、銀の鍬』

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生徒による寸劇 『わらしべ長者』

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生徒による種子取祭奉納芸能 『世持狂言』

学校教職員はじめ全校児童生徒が発表する内容は、
作文の朗読や寸劇、種子取祭の呪狂言(ジーキョンギン)など様々。
ひとりひとりがテードゥムニを肌で感じます。

竹富小中学校長をはじめとする学校教職員のみなさま。
竹富小中学校PTAのみなさま。
テードゥンムニを悪戦苦闘しながら覚え、島人を盛り上げてくれた子供たち。

バナユー ヘーゴサラ サニサシ オーリティ  シカイト  ミーハイユー
(私たちを たいへん  楽しませてくれて   どうもありがとうございます。)

(ta)

投稿者 takidun : 12:01 PM

November 02, 2010

敬老席の碑

 「敬老の日」は祝日法に基づき、
1964(昭和39)年に日本の祝日に定められ、
現在では長寿を祝う式典が全国各地で行われています。

それを遡ること41年前の1923(大正13)年、
竹富島では、
裕仁親王(昭和天皇)御成婚記念事業として敬老会を組織し、
長寿者の功績を感謝し慰安会を催します。

この慰安会は今年で87回を数え、
竹富島を挙げて、
数え年70歳以上の敬老会員を祝福しています。


敬老会を組織するほど長寿者を敬う島人の精神は、
清明御嶽の東にひっそりと佇む「敬老席」の碑に込められています。


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1919(大正8)年9月18日竣工、在郷軍人建設
と記されている敬老席の碑からは、

かつては清明御嶽で行われていた種子取祭の歴史と、
現在も島人に脈々と伝わる、“敬い”の精神を感じることができます。


(ta)

投稿者 takidun : 12:02 PM

October 23, 2010

台風の爪あと

台風13号と秋雨前線の影響で、
10月13日以降、
本来の陽ざしを見ることができない竹富島。
ここ連日続く豪雨により、集落の白砂の道は
大きな被害を受けています。

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なかなか気づかないのですが、
西集落は、東集落に比べると土地が低く、
雨水は東集落から西集落へ向かって流れます。
そのため、西集落の外れへと
さながら「川」の様になった雨水が流れていきます。
ところが、竹富島は隆起サンゴ礁の島。
溜まった雨水は、数日後には地下へと浸み込み、
海へと戻っていくので、道路冠水による被害はありません。

しかし、大量の雨水によって白砂が流れ去った道は、
凹凸が激しく、通行もままなりません。
現在、観光関連事業者の方々を中心として、
美しい道に戻そうと復旧作業に励んでいます。

今日も一日ぐずついた天気予報。
美しい道に戻るのは、
竹富島に陽ざしが戻ってからになりそうです。

さらに、9月18・19日に八重山を襲った台風11号の突風の影響で、
竹富島の島づくりの2神がまつられている清明御嶽のテリハボク
が大きく傾いています。

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樹齢数百年とも推定される神聖な御嶽の木です。
むやみに伐採せず、
現在、竹富公民館では、竹富町教育委員会、
沖縄県森林資源研究センターに相談をしながら
巨大なテリハボクを生かすよう調整しています。


地球温暖化の影響により大型化した台風の爪あとは、
八重山の小さな島に生きる人々にも、大きな負担を強いています。

(ta)


投稿者 takidun : 11:58 AM

October 16, 2010

平成22年度秋季清掃検査実績表

昨晩の三集落ごとの月例会にて、
9月28日に実施された
平成22年度秋季清掃検査実績表が配布されました。

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春と秋、年2回行われるこの検査の歴史は古く、
1895(明治28)年に施行された「清潔法施行規則」
に端を発します。
伝染病の蔓延を防ぐために、官主導により始められたこの検査は、
大正・昭和初期には畳の下まで調査する徹底した
ものであったそうです。

現在では島勢の指標を表すものとして、
島人は高い関心を持っているほか、
不合格になると、
島内放送で放送されるという不名誉を受けますので、
島人は一生懸命清掃に励みます。

定期便が去った後、巷で聞こえる草刈り機の音は、
種子取祭前の風物詩ともいえます。

5月10日の春季に比べると人口は18名増加し、
347名が島内で生活しています。

(ta)

投稿者 takidun : 11:52 AM

September 25, 2010

第87回敬老会

 本日は、竹富公民館主催による
第87回敬老会が竹富島まちなみ館にて開催されています。

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今年の敬老会は9月19日に予定されていましたが、
台風11号の影響により延期となっています。


これで、竹富島の敬老会員は全部で90名。
竹富公民館発表による5月10日現在の竹富島の人口は329名。
つまり、島内人口の約27%の方が69歳以上の高齢者です。


竹富島では、数え年70歳を過ぎると敬老会員に入会します。
今年の新会員は東集落4名、西集落4名、仲筋集落0名の計8名。

しかし、「えぇー あの人が敬老会員!」
とびっくりするほど元気な方もいらっしゃいます。

竹富島が元気な秘訣は、
子どもたちの明るさと、
お年寄りの矍鑠(かくしゃく)とした姿といってもいいでしょう。

現在、まちなみ館では、三集落から提供される余興を楽しみながら、
元気なお年寄りたちの笑い声が聞こえていることでしょう。

(ta)


投稿者 takidun : 02:46 PM

September 17, 2010

世持御嶽の香炉

 9月15日、ユーンカイの儀式が終了したのち、
竹富公民館執行部と神司は、
種子取祭の舞台となる世持御嶽の香炉を交換しました。

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世持御嶽には、
火の神(ピーヌカン)と農耕の神が祀られていますが、
今回の交換は、
昨年の種子取祭において、火の神の香炉が
割れていたことによるものです。
神聖な香炉を交換することは滅多にありませんが、
割れている香炉を使うのは失礼にあたるとのことで、
昨年度の公民館執行部と神司が相談したのち、
前公民館執行部3名が香炉を寄贈する形式で、
今回の香炉の交換の儀が行われています。

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新しく制作された2つの香炉

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香炉の灰を入れ替える前に、お酒と塩で清めます。

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神司の手によって、香炉の灰が入れ替えられます。

香炉の制作者は、
竹富島でアトリエ五香屋を主宰する
陶芸家の水野景敬さん。
作陶するにあたり、香炉が収縮しない温度
を設定することに一番気を使ったそうです。

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丹精込めてつくり上げた二つの香炉。
今年の種子取祭も着々と準備が進められています。

(ta)

投稿者 takidun : 04:33 PM

September 13, 2010

新たな門出

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9月09日 19時17分 結願祭


〜花城御嶽のツカサが交代する度に、
  アイヤルの海ではたくさんの魚が獲れたそうだ〜

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9月12日 19時08分 アイヤル

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9月13日 07時14分 アイヤル

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それは、
ひとりの女性に戻る神司を労り、新たな神司の門出を祝う、
海の神である他金殿(タキンドゥン)の業(わざ)

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世ば稔れ


(ta)


投稿者 takidun : 02:32 PM

September 03, 2010

竹富島の空

 弾かれたビリヤードの玉のように、
見事に台風6・7・8号が逸れた竹富島。

時折襲う降雨のほか、ほとんど影響を受けませんでした。

しかし、そのお陰で、ことのほかぐんぐん植物は育ちます。
植物の力強さに辟易しつつ、除草作業を始めています。

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暑い暑い竹富島ですが、
ふと空を見上げると、秋の訪れを感じさせてくれます。


慌ただしい日々を過ごし、
ふと気づいてみると、もう9月を迎えています。

2010年9月の竹富島は、

9月 9・10日 結 願
9月15日   世迎い
9月19日   第87回敬老会
9月22日   十五夜祭

と祭事行事が集中する大変忙しい月です。

そして、
10月1日から竹富島最大の祭、タナドゥイが始まります。

(ta)


投稿者 takidun : 04:10 PM

August 12, 2010

ゴミ有料化に関する住民説明会

昨晩、竹富島まちなみ館において
「竹富町ゴミ袋有料化に関する住民説明会」
が開催されました。

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説明会には島民85名が参加し、
9月から始まるごみの出し方についての関心の高さが窺えます。

8つの有人島で構成される竹富町では、
ゴミ処理施設を各島で建設しなければなりません。
徐々に整備を進め、これらの施設が稼働することにより、
自然環境に負荷がかからなくなりましたが、
2008年度は約8,000万円、今年度は1億円を超える処理費用が
計上されると予測されています。

竹富島では独自に環境美化費を島人から毎月徴収し、
島内の環境美化に努めて来ましたが、
今後はさらに竹富町から1枚60円のゴミ袋を購入するため、
島人のゴミ処理に関する負担が増すことになります。

排出するゴミをどのように工夫して減らすのか、
私たちのズンブン(知恵)が必要です。

美しい島を維持するためには、
ひとりひとりのゴミ問題に対する心掛けと、
行政のこれらの事業に取り組む姿勢が
結び付くことが大切です。

(ta)


投稿者 takidun : 04:15 PM

July 25, 2010

変わっていくことと変わらないこと

 昨晩は、竹富島ゆがふ館主催による
アーカイブ上映会を開催いたしました。
1976(昭和51)年の竹富島の映像を、
ご参加いただいた27名の皆さまと一緒に楽しみました。

当時の映像と現在の竹富島を比べてみると、
集落の景観は現在も美しく、
島人の努力を垣間見ることができます。
当時の人口とほぼ変わらぬ329名で、
竹富島の美しさを保っています。

大きく変わったことは、訪れる人々が増えたこと。

1976年は約4万人
2008年は約46万人

大勢の皆さまを受け入れるために、ホーシ道は舗装され、
環状線が造られ、お土産屋も増えてきました。

しかし、変わらないのは、祭の風景。

祭を支える人は変われど、豊年祭の道歌を皆で謡い、
祭主の竹富公民館執行部を出迎える人々の笑顔は、今も変わりません。

アーカイブ映像から流れた豊年祭の道歌は、今も謡い継がれています。

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2009年 オンプイ 清明御嶽にて

(ta)

投稿者 takidun : 12:22 PM

June 23, 2010

慰霊の日

6月23日は沖縄県民にとって忘れがたい一日。

1945(昭和20)年6月23日、
沖縄戦における日本軍による組織的戦闘が終結した日。
この日は「慰霊の日」として、沖縄県では公休日扱いとして、
国の機関を除き休日となります。

八重山地方では本島のような大規模な局地戦はなかったものの、
空襲による戦死者や、軍命による強制疎開の結果、
大勢の方がマラリアに罹災し多くの命を失いました。

竹富島では、高知県、愛媛県、新潟県民を中心とした、
独立歩兵301大隊第一中隊150名による部隊、
通称:大石隊が駐屯していました。
石垣島攻略の最前線基地として戦闘が行われると
予測されていた竹富島でしたが、
隊長の故大石喬氏は、
錯綜する軍命の強制よりも島民とのコミュニケーションを重視し、
幸いなことに軍と住民との大きな軋轢はありませんでした。
そのため、
現在も大石部隊に所属していた兵隊のご親族と竹富島民との交流が続いています。


しかし、竹富島にも今もなお戦争の足跡は残されています。


それは、平和の象徴ともいえる、ゆったりと集落を歩む水牛車の道の端にも
見ることができます。

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河上屋(カーカン)の貯水タンクに遺された機銃掃射の跡


今日は、竹富町主催による竹富町戦没者慰霊祭が
世持御嶽北の戦没者慰霊碑の前で行われています。

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(ta)


投稿者 takidun : 10:16 AM

June 18, 2010

竹富日和学級開級式

 昨晩は、竹富ぶなる会が主催する
「竹富日和(ひより)学級」の開級式が竹富島まちなみ館
で開催されました。

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この事業は、竹富町教育委員会からの助成を受け、

『伝承文化に見る・聴く・触れる。』

をテーマに、
講座は20時間以上、祭祀からわらべうた、そして織糸など、
様々な竹富島の伝統文化を学びます。

女性の視点からみた
「竹富島の小さいが豊かな精神世界」

第1回講座は6月21日(月)、ブー(苧麻)倒しからスタートします。

(ta)

投稿者 takidun : 11:57 AM

May 30, 2010

竹富小中学校大運動会

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昨日は、
平成22年度竹富町立竹富小中学校大運動会が
学校グランドにて開催されました!

今年度、竹富小学校児童30名、竹富中学区生徒9名
合計39名の在校数ですが、
竹富小中学校の運動会の特徴は、地域の皆さんも参加して
運動会を盛り上げます。
昨日はあいにくの天気で競技が中断されたものの、
毎年同様、楽しく挙行されています。


 まずは小学生によるかけっこ
低学年は80m、中学年は100m、高学年は130mです。
続いて中学生による150m走が行われました。
さらには保育所園児8名によるかけっこも行われ、
場内は和やかな雰囲気に包まれます。

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 さらに地域の人々が参加する「みんなでつなごう!」や
保育所園児と父兄がによる演技「親子でゴーゴー」と続きます。

 竹富ぶなる会(婦人会)によるダンスでは、
竹富島のデイゴを救おう実行委員会の活動の後押しとなる、
デイゴTシャツを身に着け、デイゴの飾り物を制作してみんなで踊りました。

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竹富島の運動会らしく、地謡の提供もありました。


前半のハイライトは地域住民も参加し、紅白に分かれての綱引き。

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今年は2勝1敗で白組が勝利しました。


昼食後は
竹富島内の団体によって行われる職域リレー。
今年は石垣竹富郷友会やあずま会、西会、仲筋会も参加し、
盛り上がりに一層花を添えています。

子ども達によるエイサーが披露されたあと、
後半のハイライトである竹富島の3集落別による
支会別対抗リレーが行われました。

あいのた会(東集落)、いんのた会(西集落)、仲筋会(仲筋集落)
が自らの村を威信をかけて競います。

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今年は見事いんのた会が優勝を飾りました。

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さらに児童生徒教職員で紅白に分かれて競う“紅白リレー”
子どもと大人も同じトラックで走ります。
抜きつ抜かれつの激しい争いを繰り広げ、場内はレースに
くぎ付けでした。

その後、毎年恒例の校歌ダンスを児童生徒地域みんなで踊ります。


 今年の結果は・・・。


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大逆転で白組の勝利でした。

(ta)
 

投稿者 takidun : 02:50 PM

May 16, 2010

こぼし文庫読み聞かせの会

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今日は日曜日。

毎週恒例となった子どもたちへの読み聞かせの会
がこぼし文庫で行われます。

読み聞かせは

子どもから大人になった、大人が子どもへ。
そして、子どもからこどもへと語られます。

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始まる前のゆんたくのスナップ。
これから、徐々に子どもたちが集まり、楽しい会が始まります。

(ta)


投稿者 takidun : 04:21 PM

May 08, 2010

グラジオラス

毎年、この時期になると
美しい花を咲かせてくれるグラジオラス。

わずかな期間ですが、
ささやかな喜びを与えてくれます。


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(ta)

投稿者 takidun : 11:37 AM

May 01, 2010

東京で竹富島を感じてみましょう!

 アカショウビンやアオバトのさえずりも
身近に聞けるようになり、徐々に南の島らしさを
感じられるようになった今日の竹富島ですが、
ブログをご覧のみなさまに耳寄りなお知らせです!

6月10日より、東京表参道ヒルズやラフォーレミュージアム原宿
などで上映される
Short Shorts Film Festival&Asia2010AWARDS
に新たに設けられた旅ショーット!プロジェクト部門において、

『うつぐみの色』(田野聖子監督 橋本総業チームみらい制作)
『青春マンダラー!』(田蔦直子監督 旅ショーットプロジェクト特別製作作品)

の竹富島を舞台とした2作品が上映されます。

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『うつぐみの色』は2008年に制作し、義足のランナー島袋勉さんや、古堅節さん
をはじめとする島民の演技が大好評で、沖縄の各地域で上映会が開催されました。
竹富島でも上映され、島民からも喝采を浴びた作品です。

『青春マンダラー!』は2010年2月〜3月にかけて制作され、
竹富島の老舗旅館、高那旅館を舞台とした作品で、
島民多数の協力を得てマンダラー祝いを再現しています。

2作品とも大勢の島民が出演し、名演技を披露しています。
また、「竹富島の世界」を都会で触れる絶好の機会です。

みなさまのお馴染みのお顔も観れるかもしれません。

是非とも情報をチェック! してくださいね。


(ta)

 

投稿者 takidun : 03:27 PM

April 30, 2010

月桃忌

 竹富島をこよなく愛し、今もなお島人に慕われる
故岡部伊都子先生の3回忌が、昨晩こぼし文庫で行われました。

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先生が大好きだった月桃(げっとう)に因んで月桃忌と名付けた
わずか1時間ほどの小ぢんまりとした追悼式ですが、
竹富小中学校の生徒たちは勿論のこと、学校関係者、
岡部先生との交流があった島人たちが集いました。

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岡部先生は一昨年の2008年4月29日に
肝臓癌による呼吸不全で85歳でご逝去されましたが、
こぼし文庫に並べられた書物には、毎年こつこつと先生が
送り続けてきた想いがいっぱい詰まっています。

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新一年生は、クバの葉ユンタを元気よくうたってくれました。


いま、この瞬間も、
岡部先生は
竹富島の“こぼしさま”たちをお見守り下さって
いることと思います。

合掌

(ta)

投稿者 takidun : 04:24 PM

April 26, 2010

竹富島のデイゴを救おう実行委員会の活動(その2)

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竹富島のデイゴを救おう実行委員会は、
24日・25日の二日間にわたってデイゴヒメコバチ駆除のための
薬剤の樹幹注入を実施しました!

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樹幹注入を行う前に、器具の使い方、デイゴのアフターケアのやり方を教わります。
樹幹注入の技術指導、器具類のご提供は、
井筒屋化学株式会社からご支援をいただきました。
まことに有難うございました。

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ホーシ道での作業

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世持御嶽での作業。高所につき、重機を使用しての作業です。

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朽ちたデイゴを解体し、処分も併せて行いました。


2日間で実施した場所は〜
ホーシ道(桟橋から集落へ至る道:別名桟橋通り)
世持御嶽
仲筋井戸周辺
そば処竹の子前

島内に自生するデイゴのほぼ7割にアトラック液剤を注入し終えました。
注入に必要な器具類が不足していたため、全てのデイゴに注入することは
出来ませんでしたが、器具が届き次第再度実施する予定です。
なお、今後の予定としては・・・・。

旧ビジタセンター北及び南周辺
環状線および外周道路、崎山毅翁碑周辺、
蔵元跡付近、竹富診療所南、仲筋集落などです。

今後は一日の仕事を終えた夕方に島民が集い、
作業を行います。

作業をする島民を見かけましたら、是非ともあたたかいご声援を
よろしくお願いいたします。

また、この二日間の作業をお手伝いいただいた
八重山農林高等学校の生徒さん、石垣竹富郷友会青年部の皆さん
シカイトミーハイユー。


(ta)

投稿者 takidun : 11:58 AM

April 22, 2010

竹富島のデイゴを救おう実行委員会の活動(その1)

 新年度の竹富公民館執行部体制も落ち着いた竹富島では、
いよいよ本格的にデイゴヒメコバチの駆除作業に取り掛かります。

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竹富島を訪れた方は、デイゴ並木のホーシ道(桟橋通り)
をご覧になって、「おや??」と思われたかもしれません。

これは、先日(17日)にホーシ道のデイゴ6本を、
試験のため枝落としをしています。

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これらは焼却処分され、デイゴヒメコバチの飛散を防ぎます。

いよいよ24日(土)・25日(日)には薬剤をデイゴに注入します。
作業は午前9時、世持御嶽前からはじまります。

(ta)

投稿者 takidun : 03:54 PM

April 17, 2010

竹富島の年間祭事行事

 4月15日に行われた3集落の定例会にて
発表された竹富島の年間祭事行事一覧表を
ブログをご覧のみなさまにお知らせいたします。

 今年の豊年祭(プイ)は7月31日・8月1日
皆さまが心待ちにしている種子取祭(タナドゥイ)
は10月1日から執り行われ、奉納芸能は10月7・8日です。

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(ta)

 

投稿者 takidun : 12:05 PM

March 26, 2010

奇妙な出来事

二月風廻り(ニンガチカザマーイ)が吹き荒れて
肌寒さを感じた今日の竹富島。

ご来島いただいた方々のなかには、奇妙な光景を
ご覧になったかと思われます。

それは、小城盛(クック)に点在する黒い異物・・・。

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知らせを受けた有志によりこれらを除去しましたが、
恐らく、島北部のミシャシに生息する
野生のヤギのフンではないかと思われます。

今日の竹富島は気温も低く、
群がるハエがいなかったことが不幸中の幸い。

ただし、

〜ヤギは高いところが好き〜
〜一度来た所は再度訪れる〜

といった習性があるそうです。

しばらく、小城盛には目が離せません。

(ta)

投稿者 takidun : 07:55 PM

March 17, 2010

竹富小中学校卒業式

3月17日、
竹富島の小中学校では、卒業式が行われました。

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小学校を卒業して中学に上がる子どもたちは5名
中学校を卒業するのは3名。

中学校を卒業した子供たちは、
島に高校が無いため、島外へ出ての通学となります。
親元を離れ、寮に入ったり、下宿をしたりしながらの生活が始まり、
都会の子たちよりもちょっと早い親離れを経験することになるわけです。
この日は多くの島の方々が集まり、
島を巣立っていく子供たちを見守ってくださいました。

投稿者 takidun : 04:43 PM

March 15, 2010

「竹富島のデイゴを救おう!」講演会

 昨晩、竹富島まちなみ館において、
「竹富島のデイゴを救おう!」講演会が開催されました。

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昨晩は64名の島民ならびに観光客の皆さまが足を運ばれました。

この講演は、2010年2月27日に発足した
“竹富島のデイゴを救おう!実行委員会”
の活動の一環として行なわれています。

現在、デイゴヒメコバチの影響でデイゴが枯死している光景を、
八重山の到るところで目にします。
こうしたなか、竹富島の有志のみなさんが、
竹富島内の156本のデイゴを、デイゴヒメコバチによる被害を人的レベルで防ぎ、

1 薬剤の注入
2 枯死したデイゴの除去
3 新たなデイゴの植樹

などの活動を展開します。

これらの活動を支えるため、
島内に募金箱を設置して募金を呼びかけたり、
7月にはチャリティコンサートを計画しています。

講演会では、これからの実行委員会の動きを後押しする様々な情報が
提供されました。

講師は
独立行政法人森林総合研究所研究コーディネーター 福山研二氏 ならびに
沖縄県森林資源研究センター主任研究員 喜友名朝次氏

福山氏は、「なぜ害虫は悪さをするのか」と題し、
自然の大きな枠組みのなかで繰り広げられる特定生物の異常繁殖とその終結を分かりやすく
説明してくれました。
 アフリカで発生したデイゴヒメコバチは、天敵が存在しない地域に徐々に活動範囲を広げています。
つまり、被害が拡大している地域では天敵が不在であり、これがデイゴを枯死させる最大の要因
であるとのことです。
デイゴヒメコバチの被害が拡大した原因は、侵入害虫を船舶や飛行機などで知らずに
運搬させてしまう人間の行為や、喫緊の課題である地球温暖化にあると説明してくれました。

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喜友名氏は、「デイゴヒメコバチの生態と防徐」を講演し、
現在、奄美大島まで被害が及んでいる“デイゴヒメコバチ”について詳しく解説してくれました。
 デイゴヒメコバチは、2003年には台湾、シンガポールなどでの被害が報告されたのち、
八重山では2005年頃から被害が及んでいます。八重山に流入した原因は、
風や気流によってもたらされたと見られています。
 メス1匹が400個もの卵を産み、僅か1.5mのデイゴの苗に4,700匹も発生するなど、
旺盛な生殖活動を行うデイゴヒメコバチからデイゴを守るには、
現在は薬剤の散布しかないと解説されていました。

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竹富島のデイゴを救おう実行委員会では、
バイエルクロップサイエンス社や森林総研による実証実験の労力提供や、
HPを立ち上げ、島内のデイゴを守るための薬剤を購入(概算で1,052本が必要)
するための募金を呼び掛けます。

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ブログをご覧のみなさまも、竹富島に赤い花が咲くデイゴを残すために、
ぜひご協力下さるようお願いいたします。

(ta)

投稿者 takidun : 10:21 AM

March 05, 2010

ブーゲンビリア

色鮮やかに咲き誇る
ウーニャ(宇根屋)のブーゲンビリア

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今日の竹富島は気温26度。

夏を思わせるかのようです。

(ta)

投稿者 takidun : 02:10 PM

February 21, 2010

今日の竹富島

 今日の竹富島は久しぶりの青空が
広がっています。


 開館前のゆがふ館では、
寒さが過ぎ去ったことを喜ぶかのように
雀たちがさえずります。

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今日の竹富島では
寅年生まれのみなさんと、
米寿、マンダラー(数え年97歳)
の皆さまを祝う

第51回合同祝賀会が開催されます。

(ta)

 

投稿者 takidun : 09:34 AM

January 31, 2010

学力向上対策実践報告会と発表会

 本日、竹富小中学校ならびにPTAによる
「平成21年度学力向上対策実践報告会ならびに
学習発表会」が、竹富小中学校体育館で開催されました。

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 竹富小学校(児童29名)ならびに中学校(生徒7名)は、
「生きる力」を育むことを目指し、「自主・創造・共生」をキーワードに、
基礎的・基本的な知識や技能を確実に身につけるよう教職員一同
一丸となって取り組まれています。

 その成果として、「ソニー子ども科学教育プログラム」10年連続入賞の
快挙を成し遂げています。

 こうした竹富小中学校の取り組みをPTAをはじめとする地域の方々
が支え、竹富島の伝統文化の継承をはじめ、現在の竹富島の問題や
課題にも真正面から取り組んでいます。

 児童生徒の発表の場をご紹介しましょう

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会場には大勢の島民が足を運び、
子ども達の活動を支える大きな後ろ盾であると感じました。

(ta)

投稿者 takidun : 11:53 AM

January 29, 2010

生年の祝い

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生まれ年(昨年の干支は丑)の方は、旧暦の元旦までに

ムトゥヌヤマ (氏神)
ジージョン  (土地の神)
ザートゥク  (屋敷の神)
ピーヌカン  (火の神)
マリホー   (干支の神)
クシャッティ (裏干支の神)

12年に一度、
無事に過ごさせていただいた御礼と、
さらに12年間、健康に過ごせるよう祈願します。

みなさんも、
何気に“ふっ”と感じる
自分自身をお守りいただいている神々に、
そっと手を合わせてみてはいかがでしょうか。

(ta)

投稿者 takidun : 06:25 PM

January 21, 2010

安里屋ユンタ

八重山を代表する人物、星克の作詞と宮良長包の編曲により、
「新安里屋ユンタ」として一世を風靡した「安里屋ユンタ」ですが、

竹富島で伝えられている「安里屋ユンタ」と、
石垣島で謡われている「安里屋ユンタ」とは、

うたの内容が微妙に異なります。

 クヤマは1722年に竹富島で生まれ、1799年に没します。
竹富島では旧暦正月15日にあたる週の日曜日に、
安里家一門とその親戚縁者が集い、
クヤマを祀る「クヤマ大祭」が今なお執り行われています。

 クヤマが生きた時代、八重山では人頭税制度が敷かれ、
農民は薩摩藩の献上物と首里王府への貢納の二重課税に苦しんでいました。
当時の特権階級は士族と呼ばれ、八重山の各島に派遣されており、穀物や織物
など貢納物を厳しくチェックしていました。
 派遣された役人の特権は、税を納める必要がないことや、現地で世話をする女性、
いわゆる賄い女と呼ばれる女性をあてがうことができました。
 役人には、与人(ゆんちゅ)と目差主(みざししゅ)などの階級があり、
与人はその地域の責任者として、税を完納させるよう目を光らせていました。

 竹富島で謡われている安里屋ユンタでは、
目差主が絶世の美女クヤマに惚れこみ、自分の賄い女にしようと働きかけますが、
クヤマは 「私は与人の賄い女になります。目差主はいやです。」
と目差主に肘鉄を喰らわせます。
振られた目差主は、クヤマの腹いせに他の美女を探し求め、仲筋村のイスケマに
再度アプローチし思いを遂げる。と言ったストーリーとなっています。

実際に、クヤマは16歳のときに与人の賄い女になり、
与人から寵愛を受け竹富島の一等地を与えられたとされている一方、
大変働き者で、現在の安里屋の石垣は弟の筑登之と働き勝負をしながら
積みあげたともいわれています。
与人が島を去った後一生独身で暮したため、子どもはなく、
島の貧しい家の子ども達の面倒を見た聖女として今なお伝えられています。


 「安里屋ユンタ」が謡いつがれてきた訳は、
自分たちを虐げる役人がクヤマに肘鉄を喰らわせれる滑稽さを笑い、
苦しい労働の励みにしていたのではないでしょうか。

 一方、石垣島での「安里屋ユンタ」は、
クヤマが「役人はいやです。私は島の男性に嫁ぎます。」
といって目差主のアプローチを断るストーリーとなっています。

 農民の島である竹富島と、番所(役場)が置かれ、
士族が活動していた石垣島では「安里屋ゆんた」の捉え方が異なっているのでしょう。

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安里クヤマの生家 安里屋

現在、竹富島では「安里屋ユンタ」と、節歌化されて舞踊曲として
種子取祭に必ず奉納される「安里屋節」が謡われていますが、
いずれも竹富島で伝承されている歌詞を謡っており、タイトルも
“あさとや”と濁音を付けずに呼称しています。

 竹富島の水牛車観光のガイドさんは、「新安里屋ユンタ」を唄い、
クヤマのことを皆さまにご紹介してくれますが、
実は、こうした背景があることを頭の奥底に潜めながら、
ガイドさんの朗らかで軽快な「新安里屋ユンタ」に耳を傾けていただけると、
ディープな竹富島の世界に触れることができると思います。

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安里屋の位牌 
クヤマの戒名は、

「寿岳宗仙信女」とあり、

嘉慶四年己未四月十六日死 寿七十八歳と記されています。


(ta)

投稿者 takidun : 12:13 PM

December 26, 2009

場儀納屋のカヤ葺き(その2)

 昨夜から明け方まで降り続いた雨も午前中には止み、
観光日和とまではいきませんが、本日は土曜日とあって、
島には大勢の観光客が訪れています。

こうしたなか、西集落の場儀納屋のカヤ葺き替え作業は、
午後から作業を開始しています。

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作業は順調に進み、今日は屋根の中段から作業開始です。

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葺き替えが完了すると、撮影することができない棟木の墨書銘を、
今回は特別に撮らせていただきました。

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天官賜福紫微鑾駕と書銘されています。
棟木には大工の銘はなく、口承によるとバドゥシュマイという方が
棟梁を務められたと伝えられています。
棟木にはニンニクと塩が詰められた袋がぶら下がっていました。

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東側野地下面の写真です。瓦屋根に比べると竹の隙間が広くとられています。
カヤを多く葺くと雨漏りもありません。

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屋根表面では、竹を用いてカヤがずれ落ちるのを抑える工夫が施されています。
竹富島ではカヤの根元を上部に置き、下面から縄を通し上面で縛ります。
この工法は地域によって異なるそうで、石垣市新川地区ではカヤの根元を下部に向けて
葺くそうです。さらに沖縄本島では上面から縄を通し、下面で縛るそうです。

縄のしばり方やカヤの置き方など、何気ないところに
「なるほどな・・・」と感心してしまう職人技が隠されています。
様々な知恵が凝縮されているカヤの葺き替え作業でした。


(た)

投稿者 takidun : 03:42 PM

December 23, 2009

場儀納屋のカヤ葺き

一昨日の寒さがウソのようなポカポカ陽気の竹富島。
昨日今日とご来島いただいた皆さまは、一様に満足されていたようです。

集落に入り、西水牛車乗り場(新田観光さん)の東にある、
竹富島最古で唯一のカヤ葺き家屋、場儀納屋(バギナヤ)では
カヤの葺き入れ作業が始まっていました。

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場儀納屋は慶応2(1866)年に建てられたと伝えられており、
本来の竹富島の家屋でもあるカヤ葺き屋根の家屋として、
文化庁より伝統的建造物として保存対象物件となっています。

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1223baginaya3.jpg

使用するカヤ(チガヤ)は4,500束。
今回は石垣島の赤石地区の方からご協力をいただき
カヤを調達しています。

昔のカヤの葺き替えはユイマールにて行なわれ人数が多いため、1日で終えることが
できたそうですが、現在では職人さんを中心として約1週間かけて葺き替えます。

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竹富島民具づくり教室の講師でおなじみの松竹昇助さんが
カヤの葺き入れの陣頭指揮を執ります。

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場儀納屋は、波利若御嶽のトゥヌイムトゥ(御嶽の統括者)の家でもあり、
屋敷の南東部にあるジージョンが、作業を静かに見守ります。


場儀納屋の葺き替え作業、引き続きブログでご報告いたします!

(た)

投稿者 takidun : 04:45 PM

December 05, 2009

今日の竹富島

連日冷たい北風と厚い雲に覆われていた竹富島ですが、

今日は久しぶりの小春日和。

竹富保育所では運動会&バザーが開催されているからでしょうか?
集落のなかでは子どもたちの元気な声が響いていました。

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 毎年11月〜12月にかけてはご来島いただく観光客も少なめ。
“観光地”のイメージよりも、“島らしさ”が前面に出ていた
丁度いい雰囲気だった今日の竹富島の光景でした。


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ゆがふ館のハスノハギリ、ヤエヤマオオタニワタリも、
久しぶりの太陽の光を浴びて嬉しげです。

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西表島祖納集落からいただいた蝶豆(ちょうまめ)も見事に成長しました。
花は染料として利用することができます。

(た)


投稿者 takidun : 06:21 PM

November 15, 2009

今日の竹富島

 連日吹きつける冷たい北風も今日は一休み。
 時おり覗かせる日差しが、
 竹富島にご来島いただいたみなさまを和ませます。

 今日は日曜日。

大勢の観光客の皆さまが観光日和の竹富島を訪れ、
思う存分竹富島を満喫しています。

 こうしたなか、写真家の中村征夫さんが実行委員長を務める
日本列島知恵プロジェクトのスタッフが竹富島のタコ漁の取材に
訪れています。

 日本列島知恵プロジェクトのHPはこちら。
 http://www.chie-project.jp/project.html

 イイダコは竹富島では“ンゾー”と呼びます。
ユニークな仕掛けと昔から行なわれている伝統的な漁を、
今回はスタッフの皆さまにご紹介しています。

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ニシキノキバフデの貝殻を疑似餌とし、
潰したハロー(カニ)を括りつけた仕掛けを用いた漁は
松竹昇助さんが実技し、
ンーマニ(クロツグ)の葉に潰したハローを挟み、
ンゾーの穴に差し込んで誘い出したところを捕らえる漁を
大山栄一さんが実技しました。

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 約2時間ほどの漁でしたが、
仕掛けを用いた漁では6杯、誘い出して捕らえる漁では1杯。
都合7杯のンゾーを捕らえることができました!
中村征夫さんをはじめとするスタッフもこれには大喜び!
そして、ンゾーは松竹荘の台所に持ち込まれ、料理に早変わり。
すぐさま皆さんの胃袋へ・・・・。

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13時頃の西桟橋。観光客のみなさまがそれぞれの時間をお過ごしでした。

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暫くすると、漂着ゴミを載せた軽トラックがやって来ました。
折しも今日は日曜日。
石垣島から石垣竹富郷友会西会青年部のみなさんが
奉仕作業で海岸清掃に訪れていました。

感謝です!

(た)

投稿者 takidun : 04:03 PM

October 25, 2009

台風一過

 徐々に勢力を弱めながら八重山地方を襲った台風20号は、
昨夜未明に八重山地方に接近後、先島諸島南海上を東北東に進んでいます。

昨日10時00分石垣発以降欠航した定期船も、
本日8時00分石垣発の定期船から運行を再開しています。

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八重山を襲う台風は、勢力を強めながら進路を取ることが多く、
台風が過ぎ去ったあとも、天気はぐずぐずし、強風・高波などの影響が残ります。
現在もやや波は高く、風も穏やかとは言えませんが、
勢力が弱まっていたお陰でしょうか、今回は珍しく晴れ間が覗いています。
ゆがふ館の前庭では、鳥たちが過ぎ去った台風を喜ぶかのようにさえずります。

「台風一過」という言葉がほとんど当てはまらない八重山地方ですが、
せっかくの日曜日。
ゆっくりと竹富島観光をしていただきたいと思います。

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8月の台風襲来時に比べ、
今回はゆがふ館前庭の清掃も手間が掛からずに済みそうです。

(た)


投稿者 takidun : 10:36 AM

September 23, 2009

竹富島のアイデンティティー

〜いつの世も、末ながく〜のフレーズで、
いまやすっかり沖縄を代表するデザインとして
認知されるようになった八重山ミンサーのデザイン。
今ではお土産屋さんではもちろんのこと、
公共施設や道路などでも目にすることができます。

いつの世までも末永く、
わたしひとすじに、
足しげく通ってください・・・。

という女性の願いが込められている
この八重山ミンサーのデザインは、竹富島が発祥です。

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ミンサーはゆがふ館でもご覧いただくことができます。

(ta)

ミンサーとは“ミン”(綿)“サー”(狭)という意味で
綿狭帯と解釈されており、
古くはアフガニスタンに源流を持つ
小さな絣(かすり)の帯が中国へ伝来したといわれています。
木綿の伝播と共に16世紀から始まったと伝えられる技術は、
庶民が使用する普段帯として、
沖縄本島はじめ各地域で織られていました。

竹富島では昔、通い婚の風習がありました。
婚約の際に女性が愛の証として男性に贈った帯で、
五つ玉(イチチダマ)と四つ玉(ユーチダマ)の白絣には
「イチヌユーマデ」(いつの世までも)という想いがこめられています。
縁の白と藍の交互に現われるムカデの足模様は、
テードゥンムニ(竹富言葉)で「マーザヌパン」。
“足しげく通って下さい”との意味が込められています。
絣の両脇のひと筋の白い線は「タテスジ」。
こちらはお互いの真心を意味するそうです。
帯のデザインから垣間見える女性たちのメッセージは、
「外に誘惑されることなく、心をひと筋に、清らかな気持ちで足しげく通ってね。」
と伝えています。

時を経て、
太平洋戦争終了後に様々な文化が竹富島に流れて来ます。
アメリカ文化の流入は、
手間ひまをかけて作り上げる織物を徐々に消し去ろうとします。
昭和30年代の竹富島では、
機織の音も途絶えつつあり、
伝統文化の灯も消えつつありました。
こうしたなか、
1957(昭和32)年に民芸運動家で倉敷民藝館長であった
外村吉之介は竹富島を訪れ、
竹富島の織物の素朴さ、美しさに驚嘆します。

外村吉之介は、
素晴らしい竹富島の伝統工芸品を生かし
継承するために販路を開拓し、
柳宗悦やバーナード・リーチなどの民藝運動家に竹富島を紹介し、
竹富島の民芸品の保護に努めます。

外村先生のご尽力や島の先達者の努力によって、
竹富島の機織は復活します。

そして、
復活した織物は土産物として石垣島の店頭にならぶこととなり、
一般の方々に広く認知されていくのです。

1989(平成元)年、
ミンサーが国の伝統的工芸品に指定されるにあたって、 
島の古老からは、「何故竹富ミンサーにしないのか・・・」
という声もあったそうですが、
指定されるにはある程度の規模の製造者があり、
地域産業として成立していることが必要。とあります。
竹富島だけの産業では規模が小さく、
そして伝統文化の継承という点を踏まえると、
石垣島を含め八重山全域で製造していくことが継承にもつながります。

こうした経緯で現在では、「八重山ミンサー」と呼称されています。

『安里屋ゆんた』に代表される歌謡・芸能、
そしてミンサー織に代表される織物・工芸品。
ここに、本来の竹富島が滲み出ています。

投稿者 takidun : 12:46 PM

September 13, 2009

第86回敬老会

 本日竹富島では、
年寄りを敬い、長寿を祝う敬老会が開催されました。

ちなみに、竹富島の敬老会は今年で第86回目。
1923(大正13)年に、竹富村初の民選村長に選出された
上間廣起を発起人として、70歳以上の老人11名を招待した
ことから始まった竹富島の敬老会は、
日本国民の祝日である敬老の日よりも43年も前から行われています。
【敬老の日は1966(昭和41)年に制定】
 
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座開きの 〜そうじかち〜

現在、竹富島では、数え年70歳(満69歳)を迎えると
敬老会員に入会します。

今年の入会者は5名。

1913(大正2)年生まれの97歳のマンダラーヨイのお祝いを迎えた
お二人を筆頭に、敬老会員は84名です。

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島の人口は341名(5月18日現在)ですので、
約4割のかたが敬老会員です。

“敬老会員”とはいえ、皆さんお元気そのもの。
畑仕事や、織物、民具づくり、観光客の方々のお相手など、
忙しい日々をお過ごしです。

 これからもみなさまお元気で、朗らかな笑顔で
竹富島を明るく照らして下さいませ。

(た)

投稿者 takidun : 02:48 PM

August 07, 2009

台風8号

 昨日から八重山を襲っている大型で強い台風8号は、
時速15キロのスピードで西に向かっています。

 現在暴風圏内の竹富島は大荒れ。
ふだんの美しい佇まいが一転、木の枝や葉が剥げ落ち、
至る処に散乱しています。

 東港桟橋待合所からわずか30秒程度のゆがふ館も
かなりの強風に襲われており、
写真撮影で表に出たものの、立っているのがやっとの状況です。

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 今日終日、竹富島の動きは止まったまま。

 明日未明から後片付けが始まります。

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 ゆがふ館前庭も、普段ののんびりした佇まいは全く感じられず、
 散乱した落ち葉が、台風の力強さを表しています。

(た)

 

投稿者 takidun : 08:03 AM

June 13, 2009

竹富島の風景

重要文化財に指定されている

「旧与那国家住宅」(マイユヌンニャ)

では、旺盛な太陽の光を浴びて、
花々が喜々として咲き誇っています。

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石垣(グック)に這うブーゲンビリア、ベニガククサギは
グレー基調の石垣にアクセントを与え、

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屋敷の周りにはフロックスや日々草が彩りを添えています。

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色とりどりの花々を、竹富島では見ることができます。

(た)

投稿者 takidun : 12:45 PM

May 30, 2009

竹富小中学校大運動会

晴れやかな青空が広がった今日の竹富島では、
恒例の竹富小中学校大運動会が挙行されています!
今年の運動会は、中学校創立60周年の節目とあり、
小学生29名、中学生8名の児童生徒は紅白チームに分かれ、
はりきって種目に取り組みます。

竹富小中学校大運動会の特徴は、地域のみなさんも
参加して、みんなで楽しむことです。

かけっこは勿論のこと、踊りやフォークダンスも種目に加わり、
老人会、ぶなる(婦人)会、保育所の園児たちも参加します。

16の種目のうち、一番の盛り上がりをみせるのは、毎年恒例
の支会別対抗リレーです。
東、西、仲筋集落から選出された7名のメンバーが、
各支会の名誉をかけて走ります。

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白鉢巻は仲筋、緑鉢巻は西、赤鉢巻は東の各集落リレーメンバー

今年は見事に緑鉢巻の西集落が優勝しました。
西集落のテントでは大騒ぎです!

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運動会の最後は、竹富島らしくクイチャー踊で締めます。

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紅白に分かれて熱戦を繰り広げた竹富小中学校運動会の結果、
今年は・・・・?


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赤組の優勝でした!

(た)

投稿者 takidun : 03:30 PM

April 19, 2009

日本民藝夏期学校(2日目)

 昨日は、民藝夏期学校も2日目を迎え、午前中の講義を
終えると、午後からは糸紡ぎ、玩具づくりの実技講習となりました。
 初日と異なり打って変って素晴らしい天気となり、
参加者のみなさんは、汗をぬぐいながらも楽しそうにモノづくりに
励んでいました。

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会場の世持御嶽には水牛車も通ります。

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沖縄の玩具 ゆびハブづくり

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織物の糸。イトバショウからとれた糸を紡ぎます

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民具づくりの基本!藁で縄を綯います

(た)


投稿者 takidun : 09:27 AM

April 18, 2009

日本民藝夏期学校

 竹富島では、昨日から3日間にわたって、
日本民藝協会主催、第131回日本民藝夏期学校が開催されています。

 参加者は100余名。
ご来島いただいた際はあいにくの悪天候。
島を挙げての出迎えも、ゆがふ館の見学も残念ながら出来ませんでしたが、
午後には強い雨も収まり、
講義を終えた晩の芸能鑑賞会には、島のみなさんも
足を運び、にぎやかな会となりました。

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今晩はコンドイビーチにて島民との交流会が開催されます。

(た)

投稿者 takidun : 11:47 AM

April 16, 2009

竹富島年間祭事行事予定表

 平成21年度の竹富公民館が執行する
年間の祭事行事予定表をみなさんにお知らせいたします。

 今年の種子取祭は10月6日にトルッキが執り行われます。
また、9月には祭事行事が集中しており、忙しい9月となりそうです。

(た)

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(予定表をクリックしてください。拡大して表示されます)

投稿者 takidun : 11:19 AM

March 13, 2009

竹富小中学校卒業式

 本日は、
第112回竹富町立竹富小学校、第60回竹富町立竹富中学校
の卒業式が執り行われました。

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今年の卒業生は、小学生3名、中学生1名の合計4名です。

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 現在、竹富小中学校の児童生徒は小学生30名、中学生6名の36名。
卒業式には、地域のみなさまや竹富保育所の園児たちも祝福し、
彩り鮮やかな花々に囲まれ、はなやかな式典となりました。

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八重山地区バスケットボール大会優勝に導いたメンバー3名。
来年は中学生として、竹富島を舞台に活躍してくれることでしょう。

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マーくんは、ジュニアバトミントン大会男子シングルス準優勝、八重山毎日駅伝の出走など
スポーツ面ばかりではなく、平成20年度八重山地区善行児童生徒(マイフナー賞)も受賞
しています。

 今年の竹富校の成果といえば、
 「ソニー賞10年連続受賞」の快挙が挙げられます。

 みなさんは、この快挙を続けてきた実績を残されています。
 新天地でも、テードゥンヒトゥの誇りをもって、私たちに元気な姿を
 見せてくれることでしょう。

 ご卒業、おめでとうございます。

 (た)


投稿者 takidun : 04:31 PM

February 01, 2009

第50回(2009年)米寿丑歳合同祝賀会

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 本日は、米寿丑歳生まれのみなさんを祝う
合同祝賀会が、竹富島まちなみ館で開催されました!

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 今年のマンダラーは竹富島では2名。
【竹富島では風車のこと。石垣島ではカジマヤーといいます。
数え年で97歳を迎えた方々です。】
 88歳の米寿を迎えた方は4名、丑歳生まれのみなさんは計55名。
それぞれが島から祝福を受けます。

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 マンダラーを迎えたお二人は大正2年生まれ。
太平洋戦争やアメリカ世と続く激動の時代を生き続けた方々です。
マンダラー(カジマヤー)祝いとは、人生において体験するなかで、実は
もっとも喜びに満ち溢れたお祝いなのかもしれない・・・。と矍鑠とした
お姿を拝見して思いました。

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 97歳のお二人と生まれ年にあたる85歳を迎える7名のみなさまには、
竹富公民館ならびに竹富町から賞状ならびに記念品が贈呈されています。

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相睦まじく、85歳の祝福を受ける2組のご夫婦もいらっしゃいました。

 祝賀会に出席された方々には一様に笑みがこぼれます。
それは、自らが生まれたことをお互いに祝い、そして、
長く生きることの素晴らしさを讃えることこそ、人生の喜びだからなのかもしれません。

 式典の部を終えると続いて祝宴の部に入ります。

今年も3支会から2点づつの踊りの提供、飛び入りの余興も入り、
和やかな雰囲気に会場にも笑いの渦が巻き起こります。
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 丑歳生まれのみなさん、おめでとうございました。

(た)

投稿者 takidun : 03:05 PM

January 23, 2009

竹富保育所 「おゆうぎかい」

 本日は、
竹富町立竹富保育所、竹富保育所保護者会
主催による園児たちの「おゆうぎかい」が、
高齢者コミュニティセンターで開催されました!

 年に一度の「おゆうぎかい」に、大勢の島民も足を運び、
元気な12名の子ども達の姿を観に訪れています。

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 プログラムも多岐にわたります!

 琉球舞踊から漫才、崖の上のポニョ、そして鬼狂言まで・・・。

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舞台の上で、跳び箱や、縄跳びを披露します。

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ミュージカル「ブレーメンの音楽隊」です。みんな上手にできたかな?

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楽屋裏では保育士の皆さんが大忙しです。

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飛び入りで竹富老人クラブ会長も『クバの葉ユンタ』を披露してくれました。

 竹富島には、345名が暮らしています。

小さなコミュニティだからこそできる、地域密着型の生活環境であるため、
子ども達の成長がよく手に取るように判ります。
それゆえに子どもを大切にする精神が島には強く残っています。
実は、これこそが竹富島にとって一番大切なことなのかもしれません。

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子ども達が作った絵本です。

(た)


投稿者 takidun : 12:28 PM

January 04, 2009

新年祝賀会

 毎年恒例のぶなる(婦人)会、青年会共催による
新年・成人合同祝賀会が、2日晩に開催されました。

 今年は島内での成人がいないため、
「新年祝賀会」となったものの、例年通り
賑やかで、楽しい祝賀会となりました。

 竹富島では、この祝賀会に出席することで
「新年を迎えたな」と感じる方も多く、老若男女を問わず
大勢の島民が出席されました。

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ぶなる会長、青年会長による「御前風」や、
青年会ならびに各集落からの余興も披露され、
一年を迎える華やかな年のはじまりとなりました。

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(た)

投稿者 takidun : 11:46 AM

December 09, 2008

内盛スミさん叙勲受章祝賀会

 昨晩は、秋の褒章で瑞宝単光章(伝統工芸業務)
を受章された、内盛スミさんの叙勲受章祝賀会がまちなみ館で
開催されました。

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 竹富島の伝統工芸品ミンサー織りを代表とする織物を復興
させた功労者の一人として、
石垣島や西表島からの織物業に携わる人々始め、
沖縄県知事、石垣市長、多くの皆さまからの祝電が届いており、
三集落から提供された余興と共に、祝賀会に彩りを添えていました。

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(ta)

投稿者 takidun : 05:32 PM

December 06, 2008

AED(自動体外式除細動器)講習会

 昨年は44万人のご来島があった竹富島。
多くの方が訪れる島で、緊急を要する事態に備えて
昨晩は、竹富診療所主催によるAED(自動体外式除細動器)
ならびに心肺蘇生法の講習会が開催されました。

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 多くの方が訪れるコンドイビーチやカイジ浜で事故が起きた場合や、
石垣島に患者を搬送しなければならない事態が起こった場合などは、
早急な対応が重要であり、僅かな時間が鍵となります。

 その際、私たちにできることをしっかりと覚え、そして学ぶことによって
人命を救うことができるのです。

 昨晩まちなみ館に足を運んだ44名の島民は、
命どぅ宝〜命のゆいまーるプロジェクトの皆さんから人工呼吸のやり方や、
AEDの使用方法を学習しました。

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 竹富診療所ならびに命のゆいまーるプロジェクトのメンバーの皆さん、
貴重なお時間をさいての講習会の開催、誠に有難うございました。

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(ta)

投稿者 takidun : 11:05 AM

November 24, 2008

竹富保育所バザー

 久しぶりによいお天気となった昨日は、
竹富保育所のバザーが開催されています。

 遊具購入を目的とした今回のバザーには
島の人が自宅で不要になった品々や、なかなかの
逸品をもちより、保育所の頑張りに一役買おうと多くの
品々が集まりました!

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 傍らではカレーライスの良い香りが・・・。
昼食をみんなで食べようと集まってきた島の人を含め、
大盛況となっています。

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 多くの方々のご協力の甲斐あって、遊具購入の目的は
 達成されそうとのこと。

 保育園児ならびにご父兄の心をこめたおもてなしのお陰です。

(ta)


 

投稿者 takidun : 08:25 AM

November 22, 2008

第21回竹富町古謡発表会

 本日は、小浜島にて「第21回竹富町古謡発表会」が
開催されました!

 竹富町はいくつもの島から成る島々の連合体であり、
それぞれの島では、日々の生活の営みのなかで育まれた
豊かな伝統文化が培われてきました。こうした伝統文化
の中枢に位置する古謡は、いわゆる
『島のアイデンティティ』といっても良いでしょう。

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鳩間民俗芸能保存会 「豊年祭の唄」

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(西表島)船浮民俗芸能保存会 「豊年祭の神歌」

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新城民俗芸能保存会 『きゆがピユンタ』

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西表民俗芸能保存会(祖納) 『我が島ユングトゥ』

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(西表島)干立民俗芸能保存会 『ヤフヌティ』

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竹富民俗芸能保存会 『しきた盆アヨー』

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黒島民俗芸能保存会 「旧正月の唄」

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小浜民俗芸能保存会 『さらまにしかじ〜まかしょ』

 島によっては微妙に節回しが似ている古謡や、まったく異なる
節回しで謡われている古謡もあり、竹富町の島々の織り成す彩り
ある文化を堪能することができました。


 竹富民俗芸能保存会では今回の古謡発表会にあたり、
NPOたきどぅんスタッフの協力を得て、4回の練習会を設けています。

 種子取祭奉納芸能のハイライトのひとつとなる「しきた盆節」で知られる
「しきた盆」ですが、実は1550年頃から謡われはじめたと云われています。
伝承によると、西塘大主が作詞をされたとされています。

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ゆがふ館に展示されている「しきた盆」の歌詞

「しきた盆アヨー」は、竹富島の代表的な古謡のひとつでもあります。


(ta)

 

投稿者 takidun : 05:38 PM

October 22, 2008

今日の竹富島

 種子取祭も滞りなく終え、
 島には穏やかな時間が戻って来ました。

今日は平日とあってか、観光客の皆さまも比較的少なく、
集落はゆったりとした雰囲気が流れています。

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奉納芸能の舞台となる世持御嶽です。
幕舎などの片づけも終わり、普段の佇まいを残しています。
御嶽の周りには砂が撒かれ、一層と道の美しさを引き立たせています。

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ミシャシ道。 今日は天候にも恵まれました。

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学校では体育の授業が行われていました。竹馬はみなうまく乗れたでしょうか?

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クミスクチンが鮮やかな白い花をつけ咲き誇っています。

(ta)

投稿者 takidun : 02:10 PM

October 20, 2008

種子取祭ハイライト(その2)

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〜 仲筋村長者(ホンジャー) 〜

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〜 弥 勒 〜

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〜 シドゥリャニ (あう爺狂言) 〜

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〜 竹富節 (八人踊り) 〜

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〜 鬼狂言 〜

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〜 世持御嶽拝殿 〜

(ta)


投稿者 takidun : 12:11 PM

October 19, 2008

種子取祭のハイライト

 重要無形民俗文化財に指定されている種子取祭
の奉納芸能が、17,18日に世持御嶽にて執り行われました。

 ここでは、祭の様子を少しだけピックアップして
 皆さんにご紹介いたします。

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〜ミルク興し〜

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〜供物の準備〜

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〜神前に捧げられる供物〜

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〜干鯛(かんたい)の儀式〜

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〜玻座間村芸能の統括者“長者”(ホンジャー)での儀式〜

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〜出番を待つ〜

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〜化粧〜

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〜楽屋裏〜

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〜鍛冶工狂言〜

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〜組踊 ペーク漫遊記〜

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〜世乞いの儀式〜

(ta)


投稿者 takidun : 11:46 AM

October 10, 2008

秋季清掃検査実績集計表

 昨日(10月9日)に竹富公民館にて実施した
秋季清掃検査の集計は以下の通りとなりました!

●人  口  345名 (春季比 +4)
 うち男性  158名 (春季比 +6)
 うち女性  187名 (春季比 −2)
●戸  数  169戸 (春季比 −3)

●牧場牛   376頭 (春季比 −28)  
●馬       2頭 
●水牛     19頭 (春季比  −5)
●山羊     35頭 (春季比 −7)
●鶏      206羽 (春季比 +199)
●犬      25匹 (春季比 +1)
●猫       54匹 (春季比 +10) 

●乗用車    68台 (春季比 +4)
●貨物車    71台 (春季比 −4)
●マイクロバス 22台 (春季比 −14)
●バイク     50台 (春季比 +8)
●自転車   217台 (春季比 +36)
●船舶     19台 (春季比 −2)

●貸バイク     0台 (春季比  0)
●貸自転車  798台 (春季比 +17) 

●生ゴミ処理機 43台(春季比 −5)
●貯水タンク 40台(春季比 −2)

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投稿者 takidun : 03:53 PM

October 09, 2008

秋季清掃検査

 竹富島では年に2回、定期的に清掃検査が行われます。
島を清掃することは、島に対しての感謝の気持ちと同時に、
住んでいる人お互いが快適に過ごせるような配慮があります。

 ブログでは何度も皆さまにご案内していますが、竹富島では
植物の繁殖力がたいへん旺盛です。定期的に清掃を行わないと、
病気やハブなどの巣窟となっていしまいます。

 そのため、明治時代末期から疫病の発生を未然に防ぐ為に
清掃検査が始められたそうです。
 当時は島の役人らが各戸を周り、畳の下まで調べる徹底ぶり
だったそうです。

 島はますますきれいになりました。
種子取祭まで、あと僅かです。

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(ta)

投稿者 takidun : 12:04 PM

September 26, 2008

種子取祭の日程について

 平成20年度(2008年)
竹富島の種子取祭

1. 9月7日(旧暦8月8日)、世迎い(ユーンカイ)。
  竹富島にニライカナイの国から神々によって、種もみがもたらされるという神事が行われる。

2. 8月27日(つちのととり)、節祭(昔の正月)
  新しい季節を迎えたことを神々に祈り、作物を育む大地と命の水(井戸)に感謝する神事。

3. 古来より節祭から49日目のつちのえねの日を祭日とする種子取祭に入るとされている。

4. 本年は、10月15日がつちのえねの日にあたり、その日に種を蒔く。昔から、それより4日前
   のきのえさるの日から種子取祭の日程に入るとされている。

5. 10月11日(きのえさる)種子取祭初日。
  初日はトゥルッキと称し、祭の計画手配を行い、玻座間、仲筋の両地区の長者
  (ホンジャー)の前で無事に奉納芸能が尽くせるようにとの祈願を行なう。

6. 10月12,13,14日
  種子取祭の諸準備。踊り、狂言の稽古を行う。

7. 10月15日(つちのえね)
  男生産人(16歳〜65歳迄)は、早朝から幕舎張りなどの奉納芸能の舞台つくりを行う。
  出欠を取り、理由もなく出役しない者には過怠金を科す。
  各家では種まき。主婦はイイヤチ(飯初)作り。公民館役員や神司は、揃って玻座間御嶽、
  世持御嶽、清明御嶽、根原家などを廻り種子取祭の願いを行なう。神司は、その後
  それぞれの御嶽で祈願して案内をかける。

8. 10月16日(つちのとうし)
  ンガソウジといって、前日に蒔かれた種がしっかりと土につくように、精進を尽くす日とされる。
  家の主がブママンガンー・ブナルンガン(姉や叔母を神とすること)を招いてイイヤチ戴みの
  儀式などもある。芸能の稽古の総仕上げの日。午後8時から公民館役員、三郷友会
  会長などがブドゥイドゥン狂言ドゥンを訪ねて挨拶し激励する。

9. 10月17日(かのえとら)
  バルヒル願いの日、奉納芸能初日。
  午前6時、彌勒奉安殿には公民館役員、有志、三郷友会長などが弥勒興しの祈願。
  玻座間御嶽では神司たちの祈願。その後、両者は世持御嶽で合流し、バルヒルの願い、
  イバン取りの儀式がある。場所を奉納芸能の舞台に移して、干鯛の儀式が行われる。
  そして、8時前、仲筋地区の主事宅へ参詣。
  9時頃、世持御嶽へもどる。午前8時頃から全国竹富島文化協会主催の種子取祭に
  関する講話がまちなみ館で行われる。
  9時30分頃から、庭の芸能を奉納。棒術、太鼓、マミドー、ジッチュ、マサカイ、祝種子取、
  腕棒、馬乗者の順で行われる。
  10時30分頃から玻座間村の舞台の奉納芸能が行われる。その順序は、玻座間長者、
  弥勒、鍛冶工、組頭、世持、世曳狂言など。
  別途演目あり。曽我の夜襲で初日の芸能は終了する。
  (玻座間村の舞踊は、東と西の両地区が一年ごとに担当し、担当しない地区は数点を
  提供することになっており、本年は西地区の担当)。17時30分頃、イバン戴みの儀式が
  ある。それから世乞い(ユークイ)が始まる。
  世乞い(ユークイ)は、種子取祭を根原カンドゥをまつる根原家から始まり、
  その後、三地区に別れてユークイが深夜まで行なわれる。西地区は、神司の家、
  玻座間長者宅、主事宅それから各家々を回り最後は高嶺家。東地区は宇根家、
  与那国家、神司家、その後に各家々を回り最後は宇根家。
  仲筋村は、仲筋長者家、神司家、主事宅、その後に各家々を回る。
  22時30分頃石垣への船の臨時便あり

10. 10月18日(かのとう)
  午前5時、三地区に別れていたユークイの一団は、根原家で一つになってユークイの留め
  を行なう。
  5時30分頃、世持御嶽へ。イバン返上を行ない、ユークイは総て終了。
  二日目のムイムイの願い。幸本フシンガーラの願い日とされ、それを祝して仲筋村の
  シドゥリャニが奉納される。その後、前日同様の干鯛の儀式がありその後、玻座間村
  西地区の主事宅へ参詣。9時頃世持御嶽へもどる。9時30分頃から、
  庭の奉納芸能(前日と同じ)がある。10時30分頃から、仲筋村の舞台の奉納芸能
  が終日行なわれる。別途奉納芸能演目がある。
  仲筋村長者、弥勒、御主前狂言、種蒔い狂言、天人狂言などがあり、最後は鬼捕
  りで奉納芸能は終了。17時30分頃、芸能の奉納はすべて終了し、18時30分頃、
  石垣行臨時船便あり。種子取祭首尾方の御礼(世持御嶽、彌勒奉安殿)を行う。

11. 10月19日(みずのえたつ)
  男生産人は、早朝から幕舎片付け、経理係は祭の精算に取り組む。午前10時頃
  から竹富公民館で公民館役員・有志と三郷友会(石垣・沖縄・東京)幹部との
  懇談会がある。
  支払い議会を開催して種子取祭の精算を終える。
  夜は全国竹富島文化協会の総会が開催される。

12. 10月20日(みずのとみ)
  種子取祭物忌(むぬん)。現在は省略している。

 特定非営利活動法人たきどぅん
 事務局長 阿佐伊 孫良

投稿者 takidun : 02:56 PM

September 22, 2008

第85回敬老会

 昨日は、まちなみ館にて
「第85回敬老会」が開催されました!

 今年から敬老会員になられる島民は4名。
(東集落2名、西集落、仲筋集落各1名)
 昭和14年生まれのかたが対象です。
八重山の行事では、数え年(生まれた時点で1歳となる)
や干支で祝うケースが多く、満69歳になるかたがたも
敬老会員の仲間入りです。

お祝い事には舞踊がつきものです。
今年も各集落から敬老会員のみなさまに余興のプレゼントです。

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(ta)

投稿者 takidun : 01:02 PM

September 16, 2008

祭事、台風、祭事、そして大雨

10日の結願祭奉納芸能を終えた翌日、台風13号が竹富島を
襲いました!
11日、11時の便をもって定期便は欠航。
夜半から激しい風雨に見舞われ、集落内は約1日半の停電。

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台風の桟橋。

そのため、「竹富島ゆがふ館」と桟橋待合所「てぇどぅんかりゆし館」は
終日休館です。

幸い、一昨年の台風13号に比べると被害はほとんどありません
でしたので、ひと安心です・・・。

定期便が出航せずとも、14日は十五夜祭です。
このため各集落ごとに行われました。
学校の校庭に高々と上がる旗頭をみることは出来ませんでしたが、
集会所では旗頭に対しての祈願、そして餅や天婦羅をつまみに
みんなで歌や踊りの余興で盛り上がりました。
普段、観光業に従事する方々も、船が出ないとなれば集会所に
集まってきます。
こうした点からみると今年の十五夜祭は存分に楽しめた
のではないでしょうか。

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ようやく定期便が出航するようになった翌15日はふだんの竹富島に
戻りましたが、まだまだ台風13号の影響は残り、
本日、16日は停電と大雨の被害に見舞われています。

まだまだ台風13号の影響をうけている竹富島です。

(ta)

投稿者 takidun : 09:39 AM

September 06, 2008

第31回テードゥンムニ大会

 昨晩、第31回テードゥンムニ大会が開催されました!

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「ムニバッキタ シマバッキ シマバッキタ ウヤバッキルン」
(言葉を忘れると 島を忘れ 島を忘れると 親を忘れる)

 竹富島のことわざに残るほど、
テードゥンヒトゥ(竹富人)は島言葉を大切にしてきました。
テードゥンムニ(竹富言葉)の継承を目的としたテードゥンムニ大会も
31回を数えています。

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昨年に引き続き、今年もまちなみ館に入りきれないほど大勢のかたが訪れました。

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座開きは保育所の子どもたちによるわらべ唄です。

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結願祭に奉納される“始番狂言”

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体験談を披露したり・・・。

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寸劇ありと・・・・。

 今年も盛りだくさんのテードゥンムニ大会でした。


(ta)


投稿者 takidun : 08:57 AM | コメント (0)

August 31, 2008

ねぷたが竹富島にやって来た!

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 漆黒の闇夜に浮かぶ2基のねぷた。
 昨晩の南北の文化・芸能交流は、大勢のご来島の皆さまのおかげで、
 大成功に終わりました。

 斜里 ヤーヤ・ドーする会
 弘前 七夕会
 竹富 全国竹富島文化協会

 の皆さまはじめ、竹富島のかたがた、玻座間民俗芸能保存会青年部
 のみなさま、大変お疲れさまでした。
 
 素晴らしい芸能交流会でした。
 
(ta)

投稿者 takidun : 09:00 AM | コメント (0)

August 16, 2008

スードーリ

 昨晩はショーロ(お盆)の送り日。
アンガマーたちが集落を去った後は、家庭行事となります。
ウチカビ(紙で出来たお金のこと。あの世でお金に困らないようにするためです。)
を燃やし、祖霊をあの世へ見送ります。

その翌朝、東、西集落ではスードーリが行われています。

スードーリとは、「道祓い」のこと。

ご馳走を腹いっぱい食べ、舞踊を楽しんだ祖霊たちは、
もっとこの世に居たい。と里心がついてしまいます。
この世の私たちは、祖霊を無事に見送らなければなりません。
そこで、道を清掃することによって祖霊があの世に戻れるようにします。

 スードーリの儀式は以前はお盆の翌日と、旧正月三日の翌日に
行われていたそうですが、現在はお盆の翌日のみ行われています。
参加者は原則として16歳から65歳の男性のみ。
昔は、スードーリに参加できない者は「スック」と呼ばれ、
罰金が課せられていたそうです。

(ta)

投稿者 takidun : 08:33 AM | コメント (0)

August 15, 2008

里帰り

 お盆は、祖霊にご挨拶をする時期。
高速道路の大渋滞は困ったものですが、それでも
ご先祖様にご挨拶しようと多くの方が故郷に帰ります。

 竹富島においても、お盆の時期は多くの若者が帰省します。
年に1回現れるアンガマーを観に、そしてご先祖様に元気な姿を
見せるために戻って来ます。

 昨晩の西集落のアンガマーが訪れた家には、いずれも若者が戻り、
自らがアンガマーに扮し、夏の夜を愉しみます。

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 アンガマーが訪れた一か所は、ご先祖様に初孫を紹介されています。
ご先祖様に最高のご報告ができたことでしょう。


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 本日は送り日。
 今夜も竹富島では三線と太鼓の音色が響きます。

(ta)


投稿者 takidun : 11:36 AM | コメント (0)

August 14, 2008

ショーロ(お盆)

 8月13〜15日は祖霊を迎える日、お盆にあたります。
八重山では旧暦の7月13〜15日でお盆の日取りを決めますが、
今年は本土と同じ日程となりました。
 石垣島ではアンガマーが登場し、ウシュマイとンミのやり取りが
絶妙な面白さを醸し出していますが、竹富島のお盆では、
アンガマーが踊りを披露します。

 一般的には石垣島(字登野城、大川、新川、石垣のこと
 四カ字と言われる)のアンガマーは士族階級が生み出したとされており、
竹富島で行われるアンガマーは農村文化が色濃く残った古い形式であると
言われています。

 竹富島のアンガマーは、東・西集落に登場し
(仲筋集落は行われていない)各集落の家庭を訪れ、祖霊の供養をします。

 昨晩は東集落2件、西集落2件でアンガマーが踊りを披露しています。
アンガマーの踊りは、結願祭・種子取祭奉納芸能とは異なり、比較的のびやか
に踊っています。アンガマー(踊り手)のリラックスした舞踊もまた一興です。

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 昨晩は初日。迎え日にあたります。
 今晩は中日、明晩は送り日にあたり、都合3日間、アンガマーは竹富島の夜を彩ります。

(ta)

 

投稿者 takidun : 08:31 AM | コメント (0)

August 09, 2008

ねぷたが竹富島にやってくる!

 8月30日(土)の夕刻、竹富島の白砂の道を
ねぷたが練り歩きます!

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 竹富町の姉妹都市にあたる北海道斜里町ならびに
斜里町の姉妹都市にあたる弘前市から遠路はるばるやってくる2基のねぷた。
以前、竹富島にご来島いただいた関係者が集落の道幅を測り、
竹富島サイズのねぷたを制作しています。

 竹富町役場、全国竹富島文化協会を中心とした
 南北芸能交流の集い実行委員の方々、搬送の手配や様々な御苦労、
大変お疲れさまです。

 白砂の道に灯るねぷた。ぜひお楽しみいただきたいと思います。

(ta) 

投稿者 takidun : 09:22 AM | コメント (0)

August 02, 2008

第2回ぶなる(婦人)会学習会

 昨晩は、ぶなる(婦人)会による学習会が
羽山会館(仲筋集落集会所)にて開催されました。

 “ぶなる”という言葉は、“姉妹”という意味です。
婦人の方々が、姉妹のように仲良くお互いに助け合おうという
思いをこめて、竹富島では、ぶなる会という名称を用いています。

 今回の学習会は、芸能に必要不可欠な着付けの講習。

 竹富島では、種子取祭、結願祭、奉納芸能以外にもさまざまな
余興を披露する機会があります。こうしたなか、しっかりと、手早く
衣装を纏うことが大切です。さらに、玻座間村(東、西集落)と
仲筋村とでは着付け方が異なるので、お互いの着付け方を教え合いながら、
自らだけはなく、子どもたちへの着付け方も学びます。

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サジ(頭巾)のかけ方でも5パターンあるそうです。

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ミルクのファーマー(子供)のサジのかぶせ方を練習します。

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たすき掛けの講習です。演目によってたすきの掛け方は様々です。

学習会は、“ぶなる”の名のとおり姉妹のように和やかで、楽しげに行われていました。

(ta)

投稿者 takidun : 08:23 AM | コメント (0)

July 26, 2008

台風8号

 豊年祭を盛大に終え、平穏さが戻った竹富島に
再び台風が襲ってきます!

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ゆがふ館裏口からみた空です。

 昨日、熱帯低気圧から発達した台風8号は、先島諸島
方面へ進路を取っています。

 今朝からどんよりとした雲が島を覆い、ときどき文字通り
“バケツをひっくり返した”ような雨が降ります。風も夏特有の南風
とは異なり、北や東から吹きつけてきます。現在も雷鳴が轟き、
午前中には集落内に落雷がありました。その際、ゆがふ館も
停電しています。

本日の竹富島から石垣島間の定期船は終日運航予定ですが、
台風8号の進路状況をみると、明日は全便欠航になる恐れがあります。

 明日から明後日にかけて竹富島にご来島予定のみなさま、
台風情報のチェックをくれぐれもお忘れなく・・・。

(ta)

投稿者 takidun : 03:12 PM | コメント (0)

July 20, 2008

豊年祭直前

 竹富島では、21日から22日にかけて、1年でもっとも
喜びに満ち溢れたともいえる祭事、豊年祭が執り行われます。

 21日は“オンプイ”といい、氏子が自らが所属する御嶽に集い、
六山の神に豊年の御礼と、来年の健康を祈願します。
オンプイの際、竹富公民館執行部ならびに有志は、村御嶽
(国仲御嶽、清明御嶽、西塘御嶽)を参拝後、神司、氏子
が待つ六山の御嶽を巡ります。

 22日は“トノイプイ”といい、公民館執行部ならびに神司が
ニーランにて参拝後、仲筋村を周ります。その際、仲筋村婦人が
執行部一行を迎え、(チロリン村付近)ガーリ(乱舞)して出迎えます。
その後執行部一行は幸本御嶽内のクックバーに登り、ンブフル丘を越え
玻座間村(東・西集落)に入ります。そこでは、玻座間村の婦人が執行部
を迎え、ナージカー周辺でガーリをして喜びを表します。
その後、執行部一行はまちなみ館でもガーリを行ったのち、真知御嶽、
清明御嶽を参拝し、豊年祭は終了します。

 豊年祭前は、各御嶽の氏子が集い、それぞれの御嶽の清掃を行います。
ナーラサ道も、久間原、花城、波利若の氏子たちによって道がきれいになっています。

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(ta)

投稿者 takidun : 08:31 AM | コメント (0)

July 11, 2008

竹富島の声

 今回、みなさまにご紹介するのは、
1971(昭和46)年、八重山地方を大干ばつが襲い、さらに翌年の日本復帰
を控え、通貨切替など不安定な時代に発表された『竹富島の声』です。
この文書が発表された背景には、本土資本による竹富島の土地買収が
本格的に始まった年でもあったのです。
【結局、島の土地約三分の一を本土資本に買い占められましたが、
島の有志によってその土地は買い戻され、本土資本による島の開発は阻止
されました。】

精神的、物質的両面で大変苦しかったであろう先人たちは、
それでもなお島を守ろうと苦闘します。

 今なお輝きを失わない『竹富島の声』には、
先人たちの島を愛する思いが文面に満ち溢れています。
そして、先人たちの思いは、今なお島で生き続けています。

(ta)


 『竹富島の声』

 自然とともに生きてきた美しい沖縄の面影。
竹富島は600年の歴史を抱いて、ひっそりと存在してきました。
清く静かな島のいぶきは不安定な現代世界の情勢のなかで、まことに
貴重なものだと、島を訪れる人びとはこもごもその印象を語ります。
島に住む私どもも故郷の良さを新たに知って、
いっそう仲むつまじく暮らしてきました。

 ところが、本土復帰を前に、一部の不動産業者や本土観光資本、
その他の企業などがこれまで見捨てていた先島に目をつけ、巧妙な手段
で買収をはじめました。若者が島外にでた留守の島を、資本をバックに安く
買いしめて、あくどい利益をあげようとしているのです。

 あの人頭税の重圧に耐えて生き抜いた祖先が、血と涙と汗で守り育てて
きたこの心の島、コバルトブルーの海、白くつづく海岸線が汚染される、整然
とした白砂の道がゴミ捨て場となる、赤瓦の屋根の家々や茅葺の家々が、
俗悪な観光施設になるかと思うと、わたくしどもはじっとしていられません。
先祖の尊いいのちの遺産をいまになって売ることはできない。
いまものこる民芸品の島、民俗芸能に生きる島の誇りを僅かなお金のために
見失ってはならない。
金は一代、土地は末代です。
いったん奪われては、もうもとには戻れないのです。

 外部資本の進出による観光開発は、島の諸施設を独占し、島のただずまい
を破壊し、島の人情を荒れさせてしまうでしょう。みやげ物が売れたり、
住民が従業員として雇用されたりするとはいっても、
それでは「自分の自主的な生活はできない」ことになります。
どんな契約を結んだとしても、結局は土地所有権の喪失と経済的な圧力の
ために「自分の島が自分の島ではなくなり」ます。
住民の発言権が弱くなり、すべて「使う側」の意のままに、島が変えられてゆくのです。

 自然も人間も、企業のより大きな利潤追求のためむざむざ使われる、都会的な
娯楽施設が乱立して子どもたちの清純さも傷つけられる、住民同士の人間愛までも
が企業にあやつられてバラバラにさせられ人間らしさを失う、ついにはバー、キャバレー、
ボーリング場などがたって、歴史と伝統の竹富島も狂態と汚染の島になるのではないかと、
心配で心配でたまりません。

 このような悪条件に追い込まれて、島の住民がいま、故郷を無くするか、生かすか。
はたまた、金か心かと真剣に考えています。郷土竹富。生れ島竹富。心の島竹富。
いまこそ住民自身がたちあがって、自分の心と自分の手で島を守り生かさねばなりません。
島がとりかえしのつかない姿になるのを、なんとしてでもふせぎ、人間が人間らしく暮らせる
島として、産業をたかめ、生活向上をめざして努力したいのです。

 このたび、やむにやまれぬ情熱をもつ島の住民が集って「竹富島を生かす会」を
発足させました。互いに「頑張ろう」と励まし合っています。しかし無念なことに、昨年
未曾有の大かんばつと猛台風に見舞われ、島民の生活はたいそう苦しいものとなっています。
さらに1ドル308円という円切りあげは、ただでさえ乏しい経済をますますひどく
いためつけられました。わたくしどもも最善を尽くしますが、どうか島の現状をお察しの上、
「竹富島を生かす」運動にご協力下さい。厚かましいお願いですが、お気持いっぱいの
お志を送っていただければ、島を生かすエネルギーにさせていただきます。どんなに力強いかも
しれません。なにとぞ熱いお力ぞえを。と心からお願い申し上げます。

 竹富島を生かす会

 代表発起人  大山 貞雄  島仲 長正  上勢頭 亨
          根原 真雄  小底 朝泉  上勢頭 昇
          小浜 方要  前本 隆一  安里 亨
          富本 忠

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投稿者 takidun : 06:03 PM | コメント (0)

July 01, 2008

7月に入りました!

 本日で7月に入りました。1年の半分を終えるとともに、
竹富島では大きな二つの祭事(西塘大祭、豊年祭)が行われる月でもあります。
竹富島は、日差しもますます厳しさを増しています。
 島では様々な行事を控え、慌ただしさとのんびりした二つの雰囲気が
独特の竹富島の雰囲気を作り出しています。
 
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おなじみのゆがふ館内に設置された温度計です。

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ミシャシミチを北にみた景色です。夏特有の入道雲です。

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なごみの塔にも厳しい日差しは容赦なく照りつけます。

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ウーニャ前の白砂の道です。青空とブーゲンビリアが映えます。

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クンシャーの屋敷構えです。マイヤシの穴は、数少ない竹富島での戦跡です。

 漆黒の闇が竹富島を覆ったのち、民宿からは三線のつまびく音とともに、
 楽しそうな笑い声、西桟橋には満天の星空を眺めに多くの宿泊客が足を運びます。

 夏本番です。

(ta)

投稿者 takidun : 05:58 PM | コメント (0)

June 23, 2008

もうひとつの慰霊祭

 沖縄県では6月23日を「慰霊の日」として独自に公休日としています。
これは、第二次世界大戦における沖縄戦の組織的戦闘が終結した日として、
また、県民に対して沖縄戦で犠牲になったかたがたを弔うための日とされています。
以前、沖縄県議会はこの日を休日にすることを中止する法案を提出しましたが、
県民からの大反対を受け、現在も公休日として、犠牲者を弔う日として存続しています。

 竹富町には、竹富島の世持御嶽境内にある竹富町戦没者慰霊碑にて
慰霊祭が毎年とり行われています。今年も竹富町長はじめ多くの方々が
慰霊碑に手を合わせ、戦没者を偲び、恒久平和を願いました。

 ところで、みなさんは竹富島にもう一つの慰霊塔があるのをご存知でしょうか。
喜宝院蒐集館敷地内にある「大石隊戦没者慰霊之塔」のことです。
 大石隊は高知県人を中心とした150余名の部隊で、竹富島を守備範囲
として配属されていました。
竹富島は、石垣島の軍事基地を攻撃する拠点として占領される恐れがあったのです。

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 大石隊隊長であった大石喬さんは陸軍中野学校卒とは異なり、私学である明治大学
法学部卒という肩書もあってか、住民との信頼関係を保つことを重視しました。
そのため、竹富島では石垣島や波照間島などで見られた日本軍の横暴な行動はみられず、
島民とは良好な関係が築かれていたそうです。

 こうした背景もあり、上勢頭亨前喜宝院院主が私費を投じてマラリアなど不慮の事故
で亡くなった9名の隊員に対し、1970(昭和45)年8月に慰霊の塔を建立したのです。
軍人による悲惨な行為が伝えられる沖縄において、こうした例は、稀だといっても良いでしょう。

 温和で住民との信頼関係を第一と考えた大石喬さんが駐屯されたことは、
竹富島にとって幸いだったと言えます。

 これに対して、波照間島は山下虎雄(偽名)が住民の指揮を執ることにより、
強制疎開先の西表島にて1,587名の住民がマラリアに罹災し、477名のかたが亡くなられ、
八重山における沖縄戦による最大の被害者を出しています。

 八重山における戦闘による死亡者は178名。沖縄本島に比べるとわずかな被害ですが、
軍命などによる強制疎開先でのマラリアによる死亡者は3,647名に上ります。
 しかし、戦争は負傷者や死亡者の数だけではありません。

竹富島のあるお年寄りの一番の自慢が
「南方(サイパンなどは日本の占領地であった)から引き揚げた際、
自分の子供に手をかけることなく無事に育て上げた」
という一言が、この戦争がいかに住民を巻き込んできたかということを浮き彫りにしています。

 戦後、台湾、南方から逃れた方々が竹富島に戻り、
一時、島内は2,000名を超える人口となります。戦争は8月15日を終えても、
なお竹富島に食糧難という重大な問題を抱えさせました。竹富島、八重山ばかりでなく、
全国にこのような光景がいたるところで見られたのでしょう。

 私たちは、6月23日の慰霊の日を迎えるにあたり、
沖縄戦を振り返り、過去の愚行を謙虚に受け止めなければならないと切に感じました。

(ta)

投稿者 takidun : 06:34 PM | コメント (0)

May 17, 2008

岡部伊都子さんをしのぶ会

 今晩、こぼし文庫にて、岡部伊都子さんをしのぶ会が
行われました。

 しのぶ会の開催にあたり、多くの島人が記帳に訪れました。
また、19時30分に始まった会では、昭和40年代の竹富島
の写真を見ながら故人をしのびました。

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 鬼籍に入られた島の方々や、若かりし頃の現在の島の指導者たちと
共に写真に収まった岡部伊都子さんはとてもお元気で、珍しく洋服を
着けている写真も見ることができました。

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 スライド写真の子供たちのなかには、
 既に子供がおられる方も沢山いることでしょう。

 しのぶ会に出席することで、岡部伊都子さんの心の強さや、
島を愛する思い、そして、島にとって大切な方を亡くされたことを
と強く感じました。 

(ta)

投稿者 takidun : 09:14 PM | コメント (0)

May 07, 2008

アカウミガメの埋葬

 本日早朝、竹富東港にて息絶えていた大きなアカウミガメ
は、島人によって浜へ移し、最終便が石垣島へ向かったのち、
島の有志の手によって埋葬されました。

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 全長125cm、甲羅の大きさは88センチもある大きなアカウミガメ。
通常では、死亡原因や、産卵のために島に近づいたのかなどを確認する
ため検死を行うのですが、竹富島では搬送もままならないため、
環境省に埋葬する旨報告しています。

埋葬の際は喜宝院の上勢頭同子住職にお経をあげてもらい、丁重に葬りました。

 現在、世界的にウミガメ類の減少が進んでいると言われています。

 私たちより遥かに長く生きてきた跡を甲羅に残すアカウミガメ。
こうした光景を目にすると、大変いたたまれない気持ちになりました。

(ta)
  

投稿者 takidun : 08:24 PM | コメント (0)

April 25, 2008

竹富島春季清掃検査実績集計表

 竹富島恒例の清掃検査が4月24日に行なわれました。
この検査の歴史は古く、明治時代にはすでに検査が行なわれて
いた記録があります。
これは、役人が疫病の流行を防ぐために、島民に島内を
清潔にするよう指導したのが起原であると伝えられています。
昭和初期には、畳を上げ、軒の下まで検査するほど徹底してたそうです。

竹富島が美しいのは、こうした習慣が残っているからと言えます。

 現在では、春季、秋季と年2回となり、以前に比べて緩やかになった
とは言えども、検査不合格の屋敷は、集落放送で不合格者として
名前を挙げられます。
 こうした点を考えると、ある意味では厳しい検査といえそうです。

 また、清掃検査は、集落内の様々な集計を行なうことにより、
島内での環境美化費や祭事行事の際の拠出金の徴収などに
活用されます。

祭事行事を維持するためにも必要な統計調査とも言えるでしょう。

(ta)


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投稿者 takidun : 05:03 PM | コメント (0)

April 14, 2008

平成20年度年間祭事行事表

 

昨日の竹富公民館議会にて、今年度の祭事行事の日取り が決定しましたので、皆さんにお知らせいたします。

ちなみに今年の種子取祭奉納芸能は、  10月17日(金)、18日(土)となっています。

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(ta)

投稿者 takidun : 09:14 AM | コメント (0)

April 11, 2008

竹富公民館新執行部 始動!

 昨日、平成20年度竹富公民館執行部が関係各所に
新執行部の挨拶回りを行っています。
 それに伴い、今朝の八重山毎日新聞には、
平成20年度の竹富公民館役員が掲載されています。

 諸々の課題を抱えてのスタートですが、皆さん暖かいご声援のほど
よろしくお願いいたします。

 平成20年度竹富公民館役員

 ● 館 長        宇根勝末
 ● 副館長        阿佐伊孫良
 ● 主 事        前本賢二郎
 ● 幹 事        宇根小百合
 ● 事務局        阿佐伊 拓
 ● 顧 問        内盛正玄 赤山喜介 前本隆一
 ● 議会議員      内盛正玄 赤山喜介 前本隆一
               仲村渠隆雄 上間 毅 島仲彌喜
               内盛正聖 上勢頭 保 小底朝吉
 ● 衛生部       大浜 勝 上野 寛 前本 一
 ● 監 査        細原京子 富本 宏 生盛洋尚
 ● まちなみ       
    調整委員会   三浦彰徳 上勢頭美穂子 高那弘子 田中耕一
               上勢頭同子 田中郁子 野原義克 阿佐伊 拓
               吉澤信一 井上勝義 根原哲也 登野原栄立
 ● 財産管理      
    委員会      内盛正弘 内盛正亀
               上勢頭 保 新田長男
               登野原栄立 生盛大和
 ● 公民館運営 
    検討委員会    内盛正聖 友利 勝
               上勢頭 篤 上間 学
                野原 健 水野景敬
 ● 祭事部員      内盛正弘 狩俣吉勝
               須崎要一 藤井幸吉
               野原 健 水野景敬 
(ta)    
  

投稿者 takidun : 08:56 AM | コメント (0)

April 07, 2008

竹富小中学校入学式

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 本日は、竹富町立竹富小中学校入学式が
 挙行されました。

 新入生は、小学校5名、中学校2名
 生徒数は小学生が29名、中学生6名の合計35名となります。

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 式場にはおじぃやおばぁを始め多くの島民が参加し、
演壇にはたくさんの花々が新入生の門出に彩りを添えます。

 式典のなかで、石垣安志校長は、新入生の皆さんに次の
約束をお願いしています。

 〜新小学生のみなさんへ〜

1 はみがきをきちんとすること
2 朝は自分でしっかりと起きること

 〜新中学生のみなさんへ〜

1 目標を持ち、計画を立て、きちんと実行すること
2 感謝の気持ちをしっかりと持つこと
3 故郷を心に染み込ませること

 特に新中学生のみなさんは、3年後には島を離れ、石垣島、
遠くは沖縄本島で生活をすることになります。
 やがて、みなさんは島を離れることになりますが、自らを育んでくれた
生まれ島のことを忘れずに、一生懸命に勉学に勤しんでください。
 と話をされていました。

 私たち島人は、皆さんの努力を
「かいしくさや うつぐみどぅ まさりょうる」(うつぐみに勝る美風はなし)
の精神で応援します。

 学校生活を楽しんで、たくさんの思い出を作ってくださいね。

(ta)


投稿者 takidun : 03:22 PM | コメント (0)

April 06, 2008

春の全国交通安全運動

初夏を思わせる陽気のなか、
「春の全国交通安全運動・竹富町出発式」が行われました。

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出発式は、全国の交通事故で亡くなられた方への黙祷からはじまりました。
八重山署の署長さんのお話によると、去年の人身事故は138件
そのうち3名の方が尊い命を奪われたそうです。


竹富町長の挨拶では、
出会いや別れが多い春、飲酒運転が増えるそうです。
「飲んだら乗らない、乗るなら飲まない!」
をしっかり肝に銘じ、交通ルールを守りもしょう。
とのことでした。


今年のスローガンは

「よくみよう くるまとじてんしゃ しんごうき」です。

明日は入学式!
新一年生、また新入園の子供達が安全に登校、登園できる地域にしたいですね。

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投稿者 takidun : 11:45 AM | コメント (0)

March 13, 2008

あわただしい日々

3月ともなると、本来の日差しや暖かさが戻ってきたことを感じ
ることができます。また、鳥の鳴き声も、雀だけではなくさまざまな
鳥たちの声を聞くことができるようになりました。

3月23日には海開きも行なわれます。
今年は、黒島で行われます。

この暖かさとともに、竹富島には団体ツアーの方々、修学旅行生、
竹富島を研究している学者の方々などなど・・・
色々な目的を持ったお客さまが
ゆがふ館にご来館いただいています。

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京都産業大学附属中学校の生徒も来館です。


竹富島をより一層素晴らしい島にするため、ご来島する方々に
もっと竹富島を楽しんでいただこうと、島ではいろいろな集まりが
行なわれており、祭事行事と重なって大変忙しい毎日を送っています。


●ゆがふ館で3月5日に開催された学習会
 石西礁湖と竹富島〜さんご礁の恵みを考える』では18名の方に
ご参加いただきました。

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国際サンゴ礁年のマスコットたちです。

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グラスボートから見る竹富沖のサンゴです。

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●3月8日には石垣市白保地区からの白保学講座ご一行13名と
 新田荘にて交流会を行なっています。

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白保と竹富のウタを皆で合唱します。

●3月11日には、竹富島出身の沖縄国際大学教授の狩俣恵一先生
と内盛荘の常連客で鳥取大学教授の家中茂先生を囲んで
『第2回狩俣・家中うつぐみ研究室』の開催

●3月12日は竹富小中学校の卒業式です。
また、竹富島ビジターセンター運営協議会臨時会議がゆがふ館にて
開催されています。

●本日13日は竹富公民館執行部と神司が執り行う祭事「二月祭」

●3月14日は、竹富島を離れる人々を送る「お別れコンサート」

●3月15日には各集落ごとの住民が集まる支会の定例会(村ムヤイ)
が行なわれます。

しばらくの間、竹富島ではあわただしい日々が続きます。

 (ta)

投稿者 takidun : 09:20 AM | コメント (0)

February 18, 2008

昨日の竹富島

 昨日の竹富島は久しぶりにいい天気となりました!

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ミシャシ浜の「アイヌソイ」も太陽の光を浴びてとても綺麗でした。

今月の22日には後生(グソー あの世のこと)の正月
にあたり、祖霊と正月を祝う十六日祭です。
 島民や石垣島からの郷友の方々も墓前に繰り出し、
掃除に余念がありません。

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ハイビスカスの花も昨日はとても元気そうでした。

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イトバショウ群生。
現在、ゆがふ館にイトバショウの実を生け、展示しています。

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リュウキュウアサギマダラ
竹富島ではミシャシ浜、アイヤル浜周辺でよく見ることができます。

(ta)


投稿者 takidun : 10:47 AM | コメント (0)

February 11, 2008

クヤマ大祭

 旧暦の元旦の週の日曜日にあたる昨日は、『安里屋ユンタ』
の主人公であるクヤマの遺徳を偲ぶ、「クヤマ大祭」が行なわれました。

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 島内及び石垣島から訪れた安里家一門は、島北部の
クヤマ及び安里本家、クヤマの弟の筑登之の墓を訪れ、
安里家の益々の発展を祈願します。
 その後、「旧与那国家住宅」南のトゥンドーバルのクヤマの拝所を
祈願し、クヤマの遺徳を偲びました。

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 クヤマは東集落にあるトゥンドーバルの畑から少しずつ石を運び、
現在の安里屋の石垣を築いたといわれています。

 年に1度、こうしてクヤマを想い、安里家一門は集います。

(ta)

 

投稿者 takidun : 07:45 AM | コメント (0)

February 10, 2008

第12回星砂の島文化講演会

 昨晩は、全国竹富島文協会主催
「第12回星砂の島文化講演会」が、竹富島まちなみ館にて開催されました。

 今回の講演のテーマは
 「テードゥンムニの継承と昔話」
〜竹富島のムニンガタイ−伝承と再生を期す−〜

と題し、講師は立命館大学名誉教授の福田 晃氏をお招きしました。
福田先生は1975(昭和50)年および1976(昭和51)年に学生達と
ともに八重山を訪れ、島々の古老から様々な伝承の聞き取りを行なってい
ます。

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 その際、竹富島も訪れ、上勢頭 亨、與那國清介、大 山功、前野長用、
生盛康安、東盛弘介、大山貞雄など蒼々たる語り部の採取を行なっています。
 現在、私たちの研究の基本となっている『竹富島誌』(上勢頭 亨著)や、
『蟷螂の斧』(崎山 毅著)などに大きな影響を及ぼしている語り部の方々ですが、
皆さんすでに鬼籍に入り、書物だけの世界になっています。
 今回の講演では、採取した語り部の声を聴きながら、伝承をどのように分類方法
や、語り部がどのような形で伝承を受け継いだかということを詳しく解説していただき
ました。
 福田先生が一番伝えたかったことは、
 「島の伝承は島の言葉(テードゥンムニ)で語ることが、正しい伝承であり、
書物で学ぶばかりでなく、語り部の語り方や語り口を覚えて自分の言葉で
語ることが、次世代への伝承に繋がる。」ということだと思います。

 八重山には、「言葉は竹富に習いなさい」という伝承があります。
竹富人のユニークで場を盛り上げる話し方は、こうした古老たちからの
DNAが伝えられているのですね。

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 昨晩は竹富島でも大変冷え込み、普段に比べ参加者が少なかったのですが、
講演後の慰労会では、テードゥンムニで大いに盛り上がりました。
参加されたみなさんも、幼少のころを過ごした竹富島のことを
振り返っていたのではないでしょうか。

(ta)

投稿者 takidun : 10:41 AM | コメント (0)

February 02, 2008

アイヌ文化交流の集い

昨晩の竹富島はアイヌ文化一色となりました!

全国竹富島文化協会主催による
「アイヌ文化交流の集い」のため旭川からアイヌ一行19名
が竹富島を訪れ、昼は竹富小中学校生徒との交流、
夜には「アイヌ文化交流の集い」と題した交流会が催され
ました。

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アイヌ御一行を桟橋で出迎え、ガーリで歓びを表します。

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ゆがふ館で竹富島の文化を学ばれます。
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集落に入り、西塘御嶽を参拝します。

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竹富島の子どもたちの交流です。みんな、アイヌの民族楽器「ムックリ」
を奏でることはできたかな?

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アイヌのかたがたは、子どもたちに素敵なプレゼントをたくさん持ってきてくれました。
その中でも最高のプレゼントは島ではお目にかからない“雪”ではないでしょうか・・・。


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夜はまちなみ館で交流会です。会場には100名を超える島民、観光客が
集まりました。普段、なかなか来られないおじいやおばあの顔も見る事ができました。

竹富島からは

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狂言「世曳き」
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東支会 「布織り乙女」
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西支会 「観光エンコラ節」
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仲筋支会「マミドーマ」

後半はアイヌの芸能です。

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ウエカップ(あいさつの踊り)
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スッチョイチョイ(種子播きから収穫までの踊り)
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スタレチョイ(大風にゆれる松の様子を表現した踊り)
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エムリシムセ(剣の舞 勇壮な男踊り)

アイヌの芸能は全部で10点披露されました。
館内は、竹富島の芸能とは異なるアイヌの世界に魅了されていました。

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最後は全員でイオマンテウポポ(〈熊祭〉で演じられる踊り)を踊り、
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そして、定番のクイチャーで幕を閉じました。

旭川と竹富島の距離は2,921キロ。

日本列島の長さを感じるとともに、異なる素晴らしい文化を継承している
地域がたくさんあることを実感しました。

また、竹富島に素晴らしい文化を披露してください。
有難うございました。

(ta)

 


 
 

投稿者 takidun : 09:02 AM | コメント (0)

January 21, 2008

第33回八重山毎日駅伝

 昨日、石垣島にて第33回八重山毎日駅伝が開催されました。
石垣島の地区、竹富島を含む離島が全19チーム出場し、76.1キロ
ほぼ石垣島を一周します。

 昨年の竹富チームは準優勝でしたが、今年は与那国チームの2連覇
を阻むべく練習を重ねてきました。

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大会前日には神司からご助力をいただき、
西塘御嶽を祈願し、勝利への願いを行いました。

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大会当日は、選手ならびにスタッフ一同は、7時45分発の定期船で石垣島へ
渡ります。みんなの表情には緊張した面持ちが見られます。

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午前9時の号砲により、19チームが優勝を目指してスタート。
竹富チームには、在石垣島の郷友会の方々が多数応援に駆けつけてくれました。
竹富島のスタッフは、各中継所に向かい、選手の介添え、情報提供を行ないます。

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スタート・ゴール地点での竹富うつぐみチーム本部のスナップ。各中継所からの情報を、
竹富島、石垣郷友会の皆さんへ伝えます。

 予想タイムは4時間41分を予想していましたが、与那国チームが圧倒的な強さで
2連覇を飾りました。竹富チームは昨年同様準優勝でした。

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与那国チームのタイムは4時間35分29秒。圧倒的な強さでした。

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後半に区間賞を3名出し、
粘り強さを発揮した竹富チームは4時間43分31秒でした。

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選手を囲んでのスナップです。
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竹富島といえばやはり、“ガーリ”(乱舞)です。選手を称え、準優勝の歓びを表現します。

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表彰式での竹富チームのメンバー

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区間賞の表彰でのスナップ
左から2番目より 久保田文さん、ひとり置いて 中村英行さん、藤井幸吉さん
久保田さんは女子選手のMVPにも輝きました。


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竹富島へ戻ると、神司が待つ西塘御嶽を参拝します
竹富チームが無事大会に参加できた御礼、選手たちに怪我なく無事に
島に帰ることができた御礼、そして大会結果の報告です。

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その後は、選手たちを囲んでの“ブガリノーシ”(慰労会)が行なわれました。

 選手達からは、確実にたすきをつなげたことの安堵感や、来年への抱負が聞かれました。
今日から、また練習を再開し、来年の優勝を目指します。

(ta)

投稿者 takidun : 08:26 AM | コメント (0)

January 17, 2008

平成19年度 竹富小中学校学力対策発表会

 16日の夜、竹富小中学校体育館にて、
竹富小中学校児童生徒33名(小学生27名、中学生6名)の
一年間の学習成果を発表する「学力対策発表会」が行なわれました。

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今年度のテーマは、「自ら探求する子どもの育成」を掲げています。

 学力の向上を叫ばれている昨今ですが、竹富小中学校は毎年
ユニークなテーマを掲げ、また多くの実績を残しています。
それでは、今年度の受賞を挙げてみましょう。
小学校の部
● 母の日の図画・作文コンクール
  作文の部 優秀賞 1名 入選   4名
  図画の部 優秀賞 6名 入選  15名 佳作   3名
● 八重山毎日第15回素敵なお母さんの図画コンクール
  審査員特別賞 1名   入選 2名                 (4月)
● 歯・口に関する図画コンクール
  優良賞 1名  入選 3名                       (7月)
● JTA青空図画コンクール
  最優秀賞 1名  優秀賞   4名
● 絵で伝えよう!わたしの町のたからもの
  佳作 1名
● MOA美術館沖縄県児童作品展
  金賞 5名 銀賞 3名                         (9月)
● 第55回全琉小中高図画・作文・書道コンクール
  作文の部 優秀賞 2名 佳作   3名
  書道の部 優秀賞 1名
  図画の部 優秀賞 6名 優良賞 9名 佳作 2名
● 八重山地区読書感想文・感想画コンクール
  感想文の部 6名
● 竹富町童話・お話大会
  低学年男子の部 最優秀賞  1名
  低学年女子の部 優良賞   1名
  高学年男子の部 優良賞    1名
  高学年女子の部 優良賞   1名
● 海を守ろう!子ども絵画コンクール
  石垣市長賞 1名
● 八重山地区小体連陸上競技大会
  (3年女子百M) 3位
  (4年女子百M) 3位
● 八重山地区童話・お話大会
  (低学年男子の部) 優秀賞 1名                 (10月)
● 第44回読書感想文・感想画コンクール(県審査)
  中学年感想文の部 【優良】 1名
  低学年感想画の部 【優秀】 1名
  中学年感想画の部 【優良】 1名
  中学年感想画の部 【佳作】 1名
  中学年感想画の部 【入選】 1名
  中学年感想画の部 【佳作】 1名                 (12月)
中学校の部
● 世界禁煙デー禁煙標語 八重山地区
  優秀賞 1名 優良賞 2名                     (5月)
● 平成19年度八重山地区中体連総合体育大会
  バドミントン男子個人の部ダブルス 4位               (6月)
● 英語検定 4級合格者 1名
  漢字検定 6級、5級、3級、準2級合格者 各1名       (7月)
● 八重山地区少年の主張大会
  優秀賞 1名                              (9月)
● 第57回「社会を明るくする運動作文コンテスト」
  県審査 最優秀賞 1名 入選 1名
● 竹富町意見発表大会
  優良賞 2名                             (10月)
● 第44回読書感想文・感想画コンクール(八重山地区)
  感想文の部 入賞 1名
  感想画の部 入賞 5名
● 中文祭八重山選出県中文祭
  出展(俳句と作文) 1名
● 英語検定 3級、準2級合格者 各1名             (11月)
● 第44回読書感想文・感想画コンクール(県審査)
  感想文の部 【入選】 1名
  感想画の部 【佳作】 3名
  感想画の部 【入選】 2名
● 第57回「社会を明るくする運動作文コンテスト」(全国審査)
  日本BBS連盟会長賞(最優秀賞)  1名            (12月)

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 数々の受賞の裏には、先生方はじめ、PTA、地域が一帯となって子ども達を
育てる土壌があります。
今回の発表会で、石垣安志校長は
1 読解力と表現力を培うために読書活動の奨励と音読指導の実践
2 各教科学習を通じて自らを探求する子の育成を目指した4段階指導による
 「学びのサイクル」の実践
3 教師の力量を高め、児童一人一人の特性を踏まえたきめ細やかな個に応じた
指導を施す校内研修や各種研修会への積極的な参加
4 子どもたちがよく学びよく遊び、心身ともに健やかに育つよう安全・安心な学校、
楽しさいっぱいの学校づくり
5 学校・家庭・地域の連携協力により地域の教育力を生かした児童の育成を
図るため、地域行事への積極的な参加

 を掲げ、地域に密着した教育を実践されてきました。
これらの結果が前述の数々の受賞に繋がっているのでしょう。

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 さらに、
● モズク、アーサなどを採り、海からの恵みを知る海の子集会
● 作物を育て、収穫することにより、竹富島の伝統文化を知る土の子集会
● 竹富島の文化、歴史を、イイヤチをつくることによって体験する島の子集会
● 戦争の実相を知ることで、生命の尊さと平和を愛する心を育てる平和集会
など竹富島ならではの活動も行なっています。

 こうした1年間の学校活動を地域住民に報告し、さらによりよい
子ども達の教育の場を創造しようと先生方は奮闘努力されています。

 竹富島の宝を預かり、さらに輝かせる
 大切なお仕事を担う先生方、
 今後ともよろしくお願いいたします。

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(ta)

投稿者 takidun : 08:52 AM | コメント (0)

January 13, 2008

第33回八重山毎日駅伝スタッフ打ち合わせ

1月20日に第33回八重山毎日駅伝が開催されます。
昨晩の竹富島では、竹富公民館長、監督ならびに
選手たちを支えるスタッフの打ち合わせが行なわれました。

竹富島うつぐみチームの昨年の成績は準優勝。
「今年は是が非でも優勝を!」
と選手ならびにスタッフ一同、心をひとつにして大会に臨みます。

今年の出場チームは全部で19チーム。
与那国・波照間・西表・竹富・川平・新川・大川・登野城・平得
真栄里・大浜・宮良・白保・北部・双葉・小浜・新栄町・石垣・黒島

昨年優勝した与那国、常に上位に顔を出す白保、波照間など
石垣島から各地区13チーム、離島からは6チームエントリーしています。
石垣島をほぼ一周し、16区間76.1km(前半38.6km、後半37.5km)
を襷でつなぎます。

もし、1月20日に八重山お越しの方がいらっしゃいましたら、
ぜひとも選手に(特に竹富島に!)厚い応援を、よろしくお願いします。

ちなみに、竹富島うつぐみチームのゼッケンは7番。
白のユニフォームが石垣島を疾走します。

(ta)
 
 

投稿者 takidun : 09:03 AM | コメント (0)

January 08, 2008

新春凧揚げ大会

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 1月7日に、竹富小中学校PTA主催の凧揚げ大会が
島内牧場にて行なわれました。
 3学期がスタートした昨日には、竹富小中学校生徒33名
および父兄が竹富島南部の牧場に集い、恒例の凧揚げを
行ないました。

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 日本国内のいたるところで行なわれていた凧揚げ。
道路の拡張や電線などの凧揚げ環境の悪化や、子ども達
の遊び方の変化もあってなかなかお目にかかれなくなっている
地域が多々あると思います。
 幸いなことに、竹富島の子ども達にとっては凧作りの先生や、
凧揚げの環境が大きくバックアップをしており、まだまだ大いに
楽しめることができます。

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 残念なことに普段に比べ風が穏やかで、絶好の"凧揚げ日和”
とはなりませんでしたが、子ども達は各自アイディアをだして作り上げた
凧を空に浮かべようと張り切っていました。

(ta)

投稿者 takidun : 03:19 PM | コメント (0)

January 04, 2008

新年・成人祝賀会

 1月2日に恒例の「新年・成人祝賀会」が開催されました。

 この行事は竹富ぶなる会(婦人会)と竹富青年会の
共催で行なわれています。

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各支会ぶなる会から2点の芸能。青年会からも2点の芸能が
披露され、新しい年を楽しく迎えることができました。

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青年会の太鼓から余興のスタートです。

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ぶなる会長と青年会長による「御前風」

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西支会ぶなる会 

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仲筋支会ぶなる会

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東支会ぶなる会

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大いに盛り上がった青年会の余興「戻り駕篭」

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「竹富育ち」「竹富小唄」を作詞作曲した、故内盛唯夫氏の孫
にあたるソプラノ歌手の十文字恵美子さん。
「てぃんさぐの花」や「千の風になって」などを披露してくれました。

 今年の成人祝賀会に参加された成人は3名。
 みなさん、竹富島に戻ってくることを宣言していました。

 また、新たな村持ち、島持ちが生まれるのを楽しみにしています。

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(ta)


投稿者 takidun : 10:47 AM | コメント (0)

December 14, 2007

学習発表会

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毎年恒例の竹富小中学校の学習発表会です。

 今年の児童生徒数は33名。文化遺産が多い竹富島ですが、
それでも、子どもたちがいちばんの宝です。

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会場には、たくさんの島の人が子ども達の一年間の成果を観にやってきました。


 学習発表会のねらいのひとつには
「これまでの学習の成果を発表して、児童生徒各自の発表力、表現力、
創造力を育てる」と学校長は話されています。

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生徒たち自身考えた校舎内での案内表示も展示されていました。

 今年のプログラムは13点。
三線や寸劇、地球温暖化問題や竹富島のゴミ処理に関する研究発表など
みんなを楽しませたり、感心させたり・・・・。

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 こうした取り組みが、沖縄県学校緑化コンクールでの準特選受賞や、
「社会を明るくする運動作文」での最優秀賞(県知事賞)など、
多くのコンクールでの受賞につながっているのでしょう。

 もちろん、家庭、地域挙げての取り組みも忘れてはいけません。
竹富小中学校PTAやこぼし子ども育成会で活動する父兄の皆様。

竹富島らしい、竹富島にしかない活動をこれからもよろしくお願いします。

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(TA)
 

 

投稿者 takidun : 07:12 PM | コメント (0)

November 26, 2007

高那ユングトゥ

 高那ユングトゥは西表島東北部の高那村(たかなむら:現在は廃村)
のことを謡ったユングトゥ(誦言)です。
 当時の高那村の情景が目に見えるように表現され、ユングトゥ
の特徴である「笑い」を取り込み、おおらかなユングトゥとなっています。

 タカナムラ、タカナムラ、タカナパイミチカラ (高那村の南の道から)
 ウイトヌ トシユイヌ  (年寄り達が)
 グルブンガキシ クーケドゥ  (やって来たところ)
 アオバトヌ ウイチャ ムイチャシー (青鳩が木の上で嬉しそうに)
 ナキヤブリ ウリミルンデー (泣いていた。これをみようと)
 ウチヤナギ ミルケド (上を向いていたら)
 キヌナルヌ アカハタンダラシナーレヤブリ (木の実が赤く熟して下がっていた)
 ウリブリホンティ キヌハンタ (これを折って食べようと思い)
 ハンタユリアラグケードゥ (木の上に登り)
 キヌユダユフンカキ (木の小枝を踏んだら小枝が折れて)
 ウテウリケータッテンユ ヒサーレー (落ちてしまった)

出典:『竹富島古謡誌 古代文化の源流を訪ねて−』
    本庄正佳 著 /竹富島古謡研究会発行 1984年

 竹富島にはいくつかのバージョンが残されていますが、小浜島にも
高那ユングトゥの同じような“うた”が残されています。しかし、竹富島
に伝わった歌詞とは多少異なっています。

 ユングトゥなど古謡からからみる島々の文化の伝播や、“うた”の
謡われ方を俯瞰していくと、少しづつではありますが、当時のひとびとの
営みを感じることが出来ると思います。

(TA)


 

投稿者 takidun : 09:06 AM | コメント (0)

November 05, 2007

今日の竹富島

 先週の竹富島は、台風21号の影響でしょうか?
折角の連休にもかかわらず、あまりいい天気に恵まれませんでした。
ちょっと肌寒い竹富島。ご来島いただいた観光客の方々には意外だったかも
しれません。

 今日はここ数日とは異なり気温も上昇しそうです。長袖をはおる方々
も今日は半袖で島を散策されることでしょう。

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 今朝撮影したなごみの塔でのスナップ

(TA)


投稿者 takidun : 10:47 AM | コメント (0)

October 26, 2007

奉納芸能演目

 毎年何かと問い合わせが多い種子取祭奉納芸能の演目。
平成19年の奉納芸能の演目をご紹介いたします。

 ● 初日(サチブドゥイ) 玻座間村の舞台芸能

1. 長者                19. 伏山敵討
2. 弥勒                20. かたみ節
3. 鍛冶工               21. 竹富ガンギ
4. 赤馬節               22. はやし太鼓
5. 早口説               23. ペーク漫遊記
6. しきた盆              24. 南洋浜千鳥
7. 組頭                25. 鳩間節(早調)
8. 安里屋               26. 金細工
9. 真栄節               27. 組長刀
10. 世持                28. 元たらくじ
11. 大浦越路節           29. 八重山下ル口説
12. 上原ぬ島節            30. いじゅぬ花
13. 種子取節             31. ガイジンナー
14. 世曳き               32. 胡蝶の舞
15. 鳩間節(正調)           33. 一本ゼー
16. 松竹梅               34. 働ぎ美しゃ
17. 貫花                35. 竹富口説
18. 布織ゆんた            36. 曾我の夜討

 ● 二日目(アトゥブドゥイ) 仲筋村の舞台芸能

1. 長者                16. 高那節
2. 弥勒                17. 盛山ぬドッケマー
3. シドゥリャニ             18. 父子忠臣
4. かぎやで風             19. 扇子舞
5. 揚作田節             20. 崎山節
6. 天人                21. 仲筋ぬヌベー
7. たのりゃー              22. 夜雨節
8. 世果花               23. 畑屋ぬ願い
9. 竹富節               24. 江差節
10.種子蒔               25. 古見浦
11.蔵ぬ花               26. サングルロ
12.揚古見浦             27. かたみ節
13.仲良田               28. 海上節
14.する掬い              29.鬼捕り
15.夏花

投稿者 takidun : 09:55 AM | コメント (0)

October 25, 2007

種子取祭奉納芸能

 10月23日・24日には種子取祭奉納芸能が世持御嶽にて
行なわれました。
 初日は玻座間村(東・西集落)の芸能、
二日目は仲筋村(仲筋集落)の芸能が奉納されました。

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 干鯛(カンタイ)の儀式 (初日)

 今年の舞台で行なわれた奉納芸能は65点(玻座間36・仲筋29)。
竹富島を代表する『しきた盆』『安里屋節』『仲筋ぬヌベー』は勿論の
こと、初日のトリは『曽我の夜討』、二日目は『鬼狂言』で幕を閉じました。

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世持御嶽前広場でのガーリ(乱舞)

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初日(サチブドィ) 『曾我の夜討』
 
 両日ともに供物が供えられ、初日にはタコとニンニク、二日目は
もやしと小魚がミルクの神、玻座間御嶽、世持御嶽
(火の神、農耕の神、六山・八山の神々に供えるため3供物)に供えられます。

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世持御嶽に供えられた供物 
初日はタコとピン(にんにく)が供えられます。

(TA)


投稿者 takidun : 03:40 PM | コメント (0)

October 21, 2007

幕舎張り

 本日は、種子取祭のメインイベントともいえる、23・24日
に行なわれる奉納芸能を迎えるための会場設営(幕舎張り)
が世持御嶽で行なわれました。

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 この仕事は、島内の男性の生産人(18歳〜69歳まで)が
参加するよう義務付けられています。さらに世持御嶽周辺
およびナビンドー道の清掃もあわせて行なわれました。

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 もっぱら奉納芸能ばかりに目が向かれがちな竹富島の種子取
ですが、粛々と祭事は進行しています。
(詳しくは http://blog.takidhun.org/をご覧下さい。)

(TA)

投稿者 takidun : 01:06 PM | コメント (0)

October 05, 2007

台風15号

 大型で非常に強い台風15号の襲来です。
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 本日の定期便は全て欠航。
 かりゆし館、ゆがふ館も休館です。

 台風の影響は昨晩から。
徐々に風が強くなり、今日の午後からは大雨も伴ってきました。
発生時は最大瞬間風速30mだった勢力も、北上するに伴い65m
と勢力を強めています。非常にゆっくりと進んでいる台風が八重山地方
に最も接近するのが明日の昼頃とのことです。

 現在の集落内は、昨晩から台風対策を施しているため、
とてもひっそりとしています。
現在の状況だと明日は大荒れ、明後日も定期便は欠航だろうと思われます。

 先月18日に襲来した台風12号は大型の勢力であったにもかかわらず、
大きな被害はありませんでした。
 今回の台風15号でも被害がないことを祈るばかりです・・・。

(TA)
 

投稿者 takidun : 02:53 PM | コメント (0)

September 08, 2007

第30回「テードゥンムニ大会」

 毎年恒例の竹富小中学校PTA主催
「テードゥンムニ大会」が9月7日に開催されました。

 今年は第30回の記念大会。

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会場に入りきらないほど大勢の方がお越しいただいていました。

 子供たちや親御さん、先生方も、忙しい合間をぬって
島のお年寄りにテードゥンムニを教わった結果の発表会です・・。

 今回は記念大会につき、狂言や物語など“大作”が多かったため、
2時間30分の長丁場となりましたが、普段なかなか使う機会が少なく
なったテードゥンムニに親しんだことでしょう。

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保育園児の童歌で幕開けです。
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昔話 「犬の足」
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種子取祭でもおなじみの芸能「スル掬い」、「鍛冶工」

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なかなかお会いできない方々も会場にお越しいただいていました。


神口・願い口はもちろんのこと、
結願祭で催される狂言は全てテードゥンムニ。
 
祭事とテードゥンムニは
切っても切り離すことが出来ない関係があるのです。

このような竹富島のことわざがあります。

むにばっきたー しま ばっき しまばっきたー うやばっきるん
(方言を忘れると島を忘れ、島を忘れると親をも忘れる。)

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多くの子供たちにテードゥンムニを教えてこられた
古堅節さんの挨拶

(TA)


投稿者 takidun : 11:36 AM | コメント (0)

August 21, 2007

ミルク神

竹富島に居られるミルク神は、漢字では「彌勒」と書きますが、
弥勒菩薩(未来仏)とは異なる神であると思われます。

琉球においては、ミルクの神はシャム(現在のタイ王国)から伝わったと
の伝承が残されているので、当然仏教の伝播のひとつとして考えることが
できます。

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ゆがふ館に展示しているミルク神のお面(レプリカ)

竹富島でミルク神のお面が安置されている「彌勒奉安殿」の扉を
開ける際は、次の口上を述べています。

 〜天国、大国、ウイヤマト、タンヤマト、
  ハナミヤク、バタリオータル、ミンナ加那志ヌ前。
  竹富ヌ、元ヌ島に、オーリ、信ジ念ジラリ、
  オータル、島ヌ主ヌ、神ヌ前〜

  訳:天国から大国から日本本土から花の都から
    渡来なされた安南(現在のベトナム)の神様。
    竹富の元の島に御出で下さり信じられ、念じられて
    おられる島の主神様 


ミルク神の信仰の始まりに関する次のような説話が残っています。

〜竹富島玻座間村の仲道家の祖先が、海岸に漂着したミルクのお面を
 発見して持ち帰り、密かに自家で信仰していたところ、穀物が稔ったので
 ミルク神のご加護によるものといよいよ深く信仰したのことである。
 そこで、ますます仲道家は豊かになっていったという。
 竹富島の有力な家柄である與那國家の主はその噂を聞き、
 仲道家だけで信仰しているミルク神を村全体で信仰しようということにして、
 お面を與那國家に移したという。與那國家では代々ミルクを信仰し、
 お面に仕えたので仲道家同様に五穀が稔ったとのことである。
 ところが、與那國家の娘が島の有力な家柄の大山家に嫁ぐことになった。
 そこから、ミルク神のことが、大山家にも知られてしまったという。
 大山家ではぜひ家でも信仰したいとお面を借りていったまま以後
 返すことはなかったという。
 しかし、與那國家ではお面に仕えることはやめなかったので、
 ごく最近まで、ミルクのお面は大山家で預り、お面をかぶって
 お出ましを願う時には與那國家が仕えることになったとのことである。〜
 (阿佐伊孫良 論文 / 竹富島のミルク神について) 


また、釈迦とミルクが奪い合いをする伝承も残されています。

〜昔、釈迦と彌勒がいて、お互いにこの世は自分のものであると争っていた。
 それではということで、二人は話し合い、お互いに欲を捨てて、
 誰の世にするかは天の神にまかせ、神が与える何かの印しによって、
 どちらかにこの世を譲ることにした。
 二人が目をつぶって天にお願いをしていると、天の神から大きな金の鞠が
 降りてきて、彌勒の膝の前に飾られた。釈迦が小さく目を開いてみたところ、
 彌勒の前に鞠が光って飾られていたので、その鞠を自分の膝元近く寄せつけ、
 そ知らぬふりをしてまた目を閉じて祈りをつづけていた。
 ところが、これをそばにいた目を四つもったバッタがはっきりとその目で見ていた。
 バッタは、
 「釈迦と彌勒は目を開けよ、そしてこのバッタの言うことを良く聞けよ。
 この広い世界に目の四つある者は、唯私一人だ。
 この四つある正しい目で私は見た。
 この世の定めの金の鞠は彌勒の前に天の神からさずけれた。
 徳の高い世果報の鞠である。
 釈迦の膝の前にある鞠は釈迦のものではない。
 天地四方の豊年を招く弥勒世の印しの鞠である。」
 と、はっきりと言って彌勒に鞠を渡した。
 釈迦はバッタの正しい言葉と、確かに四つの目で見られたのに驚いて、
 自分の一時の汚い欲をきっぱり捨て、徳の高い彌勒にあやまった。
 それから釈迦は最後に、
 「この世の万人をよく指導して、立派な世界の世果報太平の神として
 万人から敬われるように頑張ってくれ、私は遠い遠い八重山島の石城山と
 言うところに身を隠し、皆さんの幸福を祈ります。」
 と言って、彌勒と別れ、八重山島にある石城山の岩屋にかくれたと言うことである。
 それから八重山では、バッタは神の使いだと信じられるようになった。そして、
 祭りの時にバッタが飛んで来て神に供えた供物に止まったり、祭主のところを
 飛び廻ったりしたら、この祭事は正しく、神が喜んで納受しているとされるように
 なったとのことである。
 (上勢頭 亨 著/竹富島誌(民話・民俗篇)P52〜P53 法政大学出版局(絶版))

(TA)

投稿者 takidun : 06:53 PM | コメント (0)

August 18, 2007

台風8号

大型で非常に強い台風8号は、
本日未明に風速15m以上の強風圏内を離れました。
定期便も12時30分石垣発から通常通り運行されました。
島内においても、特に被害があったとの情報は入っておりません。
 
今日の竹富島は、他島(黒島、波照間島、西表島)の定期船が
欠航の影響もあるのでしょうか?
12時40分竹富着の定期便は八重山観光フェリー、安栄観光ともに満席、
てーどぅんかりゆし館は観光客でごった返していました。
天気は生憎でしたが、竹富島を楽しんでいただけたかと思います・・・。


明日はナンカショーロです。
弥勒奉安殿よりミルク神(御面)が、今年初めて島人の前にお顔を現します。

明日の天気は曇りのち晴れの予報です。

(TA)

投稿者 takidun : 06:53 PM | コメント (0)

August 07, 2007

アーパー石

 竹富島の北、美崎浜の旧桟橋跡
(以前は北の桟橋として利用されていました。)
の左側に、アーパー石と呼ばれる岩があります。
美崎浜には、美崎御嶽、親泊御嶽、アイヌソイ・イルノソイなど
見所が沢山あるのでつい見過ごしがちですが、
このアーパー石には幾つもの伝承が残されています。

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 〜アーパー石の伝承〜

 昔、竹富島の北にある新里村に若くて美しい女がいた。
毎日、家にいて食べては眠ることをくりかえしていたので、両親
は怒って、娘を「フータバ娘」と呼んでいた。それでも娘は平気
で、眠ることを仕事のようにしていた。
 ある日のこと、母は娘を連れ出して海に行き、きれいな白浜
でも眺めさせようと、無理矢理手をとって家を出た。その時は潮
がずいぶん引いていて、岸には青々としたおいしそうなアーサ
(青のり)が沢山あったので、母はその青のりを欲しくなり、娘を
引き連れて青のりのある場所まで行った。
 すると、急に潮が満ち、その娘を海に引きこむと、美しい娘は
見る間に老婆に変わり、石となって海中に立つようになった。
それがアーパー石と伝えられている。
 竹富島の美崎御嶽の海の前に立っているため、同御嶽の祝詞
には、アーパー石を立神と称し、海の守り神として崇めている。

●上勢頭 亨 著/『竹富島誌 民話・民俗篇』92〜93頁 法政大学出版局(絶版)

 また、1500年に起こったオヤケアカハチの乱の際、美崎浜に現れた琉球王府の戦船(※)
を目の当たりにした竹富島の動揺を謡ったユングトゥも残されています。

 「アーパー石ユングトゥ」

 そーるぬ あーぱーたあ しるはまにおーりて 
 (そーる(岩石名)の老女達は 白浜に降りて)
 アーサふちに おーりて ふびむたいみりばと ふびすらし 
 (浅瀬に来られて 首を持ち上げてみたら、首をそらしてみたら)
 いっさーふぬどぅやんぬんせー ひとふぁいふにどやんぬんせ
 (戦船が押し寄せ 人喰船が押し寄せている)
 まーがにみちからはりぬぶり
 (真金道から走り登り)
 しるがにみちからはりぬぶり
 (白金道から走り登り)
 あななるあなまがりゃ
 (穴の穴曲がり)
 すんなーるすんまがりゃ
 (大谷わたり(植物名)の寸曲がり)
 はたきまーるしみみりばど
 (畠巡りをしてみたら)
 ひとのはたぎはそいばかり
 (人の畠は整地され)
 ばーはたぎやありはてて
 (私の畠は荒れ果てて)
 がーふちぬ
 (ガーラフチ(地名)の)
 うふいしがなしぬ まいゆ ひされー
 (大石神様でございます)

● 訳:本庄正佳 著/『竹富島古謡誌』 竹富島古謡研究会
● ※ 中山軍(琉球王府軍)の戦船は46隻・兵力は約3,000人と伝え
    られています。
    喜舎場永─|/『石垣町史』 国書刊行会

  さらに次のような不思議な伝承もあります。

 〜ビーチン山の神について〜

 昔、ビーチン山(※)という所に、徳の高い神様がおられた。
海が近いのでよく魚釣りに海にでられたそうです。
竹富島のある物知りオジサンが神様の釣りを遠くから眺めましたところ、
神様は珍しい鍋の蓋のような大きい鉄の帽子をかぶり釣りをされていた。
 ある日のこと、神様が釣りをなさっているところに近く寄り、大きな木の蔭に隠れて神様の
かぶられている珍しい金帽子に小石を投げ金帽子のなる音を聞き、楽しみながら何回も
いたずらをした。
 神様は大変おこって、「我に石を投げるものはだれじゃ、許してはおかぬ」
とオジサンを追いかけた。
 追われたオジサンは御岬浜までかけつけた。浜には一隻の西表舟が停泊し、
この舟には一人の舟子が舟番人として寝ていた。オジサンは急いで自分の着物を
脱いで舟番人にかぶせ海の中にあるかくれ岩石という岩陰にかくれてみていた。
 神様は自分をおこらせた者は間違いなくこの着物を着けたものだと鉄棒で舟子を
打ち殺し、西表人を困らせてやろうと神風を吹き起し悪天候に変じ西表舟の一行
は死人を前に苦心し、宿泊せること一週間に至ったそうです。
 この伝説により西表舟が御岬浜に着いて立て神アーパー石を舟のとも綱でしばり
つけると海が荒れると伝えられている。(海原の神であると言われている。)

※ビーチン山
 現在ではビッツァーラと呼ばれている。
 アイホーシ道と花城・久間原遺跡間の地域の名称。
 よくマジューヌ(魔物)に惑わされる場所なので、
 一人では入らないほうがよいとされている。
 《F.S氏(大正15年生)より聞き取り》


● 崎山 毅 著/『蟷螂の斧』 金友堂写植(絶版)

(TA)

投稿者 takidun : 02:10 PM | コメント (0)

August 04, 2007

波照間屋敷

東集落集会所(あいのた会館)前の対角に大きな岩があります。
現在は、『蟷螂の斧』の著述で知られる崎山 毅先生の記念碑が
建立されていますが、この地には、「波照間屋敷」の伝承が残っています。

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波照間屋敷の大岩

〜波照間屋敷の話〜
 竹富島の南海岸に網張り蜘蛛の家と言う岩がある。昔、その岩に波照間
 人が住んでいた。岩の奥には蜘蛛が糸を掛け、網糸に虫や蝶類を掛け取り、
 餌としていた。それを見た波照間人は大いに感じ、山に行ってかずらを取り、
 それで網を作り、魚類を捕まえて生活していた。波照間人は村に来て島人と
 も親しくなり、島人の信用を得て村内に屋敷を求め、屋敷の前にある大岩の
 上に池を掘り、池の水で海で使用した大切な網を洗って大岩に乾し、常に岩、
 池と網への感謝の念を持って生活していた。
   《中略》
 波照間人は竹富島にしばらく住んでのち石垣島に渡り、大浜村に行って偉い
 武士になったと言われている。波照間人が住んでいた屋敷は波照間屋敷と呼ば
 れている。
   《以下略》

 ● 上勢頭 亨 著/『竹富島誌 民話・民俗篇』 法政大学出版局 (絶版)

この伝承から、波照間屋敷の主人公はオヤケアカハチであろうと推測されます。

オヤケアカハチという人物は、八重山の歴史を語る上で欠くことのできない重要な方で、
1500年に起こった「オヤケアカハチの乱」(オヤケアカハチ戦争とも云う。)の中心人物
であり、アカハチが敗れた結果、八重山は琉球王朝の統治下に置かれることになります。
そして、島の偉人である西塘は、この乱の結果、首里へ上がり自らの才能を開花させ、
八重山初の八重山人の行政長官として錦を飾ることになります。

オヤケアカハチの出身は波照間島南部落であるとされ、現在、波照間島には
「オヤケアカハチ生誕の地」として史跡が残っています。(竹富町文化財)
また、石垣市大浜地区では、いまなおアカハチを英雄として尊敬しています。

1500年の竹富島の動向については
● 「西塘とその時代」論争 西里喜行・狩俣恵一往復書簡/『竹富町史だより』
  第21号・第22号に詳しい記述があります。

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「波照間屋敷」敷地内に建立する崎山毅先生の記念碑

(TA) 
 


 
 

投稿者 takidun : 09:15 AM | コメント (0)

August 03, 2007

長寿の森

集落の中央に位置する「竹富町立高齢者コミュニティセンター」。
ここの裏庭には、“長寿の森”があります。

97歳のマンダラーヨイの祝賀を受けた方々が
その長寿を記念して植樹をされています。

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故 大山静子さんの沖縄県最高齢記念樹 (平成13年当時)

竹富島の歴史を守り続けた方々から“生”を受けた木々は、
静かな佇まいのこの地で、竹富島の歴史を見続けることでしょう。

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長寿の森にて育つガジュマルの木

(TA)

投稿者 takidun : 04:26 PM | コメント (0)

June 30, 2007

石垣・沖縄・東京竹富郷友会「ふるさと探訪」

石垣・沖縄・東京竹富郷友会の皆さんが“ふるさと竹富島”へ里帰りです!
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桟橋では、島民が皆さんをトゥンチャーマで迎え、
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喜びのガーリへ。
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この“ふるさと探訪”は、沖縄郷友会と竹富公民館が主体となって行なわれました。
親島竹富島と郷友会、また、郷友会同士の親睦を深めるとともに、
郷友会の2世・3世にふるさとの竹富島に触れてもらい、
島の心を伝えることが最大の目的でもあります。

そのために、島内では様々な体験と交流が行なわれました。

まずは、竹富島に到着したら島の玄関口ゆがふ館へ。
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竹富島の自然と伝統文化のレクチャーを受けてから集落内へと移動します。

他には、
花城遺跡・久間原遺跡を見学したり、古謡に親しみその意味や歴史を学びました。
そして、夕方からはコンドイビーチにて、素晴らしい夕陽を前に大交流会の開催です。
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各郷友会の会長からは熱烈な里帰りの挨拶をいただきました。
そして、竹富島からは芸能で皆さんを歓迎です。

満月のもとでの大交流会。
大変な盛り上がりとなりました。

投稿者 takidun : 11:01 PM | コメント (0)

June 23, 2007

6.23 慰霊の日

1945年の6月23日、沖縄で日本軍の組織的な戦闘が終結しました。

そのことにより、沖縄県ではこの日を「慰霊の日」と定めています。

日本で唯一地上戦が行なわれ、多くの尊い命が失われた沖縄。
そのことを語り継ぎ、忘れないため、
戦没者の慰霊のため、
また世界の平和を恒久に求めるため、
そんな想いが込められて、制定されたのでしょう。

この日は記憶にとどめておくべき、大切な日なのです。

沖縄戦での犠牲者を始めとする戦没者の冥福と、世界恒久平和を願い、
「竹富町役場戦没者追悼式」が竹富島の町出身戦没者慰霊で行なわれました。

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そして今年で、62年目を迎えました。

投稿者 takidun : 01:10 PM | コメント (0)

April 11, 2007

平成19年度のスタート

平成19年度の公民館初議会が4月11日に執り行われ、公民館長に上間毅氏が選出され、副館長・主事・役員も決まり新たな年度が始まりました。
そして、平成19年度の祭事行事の日取りも確定しましたのでお知らせいたします。

○平成19年度の祭事予定

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投稿者 takidun : 05:51 PM | コメント (0)

March 03, 2007

ゴミ分別説明会

3月2日の夜8:00より、まちなみ館にて第1回目のゴミ分別に関する説明会が行われました。
離島という地理的条件と観光客の多さにより、ゴミに関する島民の関心はとても高く、
説明会にはまちなみ館いっぱいに島民が集まりました。

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現在、ゴミ集積場では焼却炉の整備が行われています。
今はまだ、従来通りカン・びん・ペットボトル・一般ゴミを各自運び込んでいる状態ですが、今後は、分別が細かくなるため、竹富町住民福祉課環境衛生係による説明会です。

ゴミの種類により回収曜日が確定され、
竹富町から委託された回収業者の手により集積場に運び込まれることになり、
今までのように各自で集積場に持ち込むことができなくなります。
野焼き状態だった一般ゴミをきちんとした設備での焼却という点では
集積場の最低ラインの設備が整うことになると思います。
しかし、これからの収集の決まりと竹富町で収集しないゴミとして、
●生ゴミ、落ち葉、草木は各自で堆肥化
●危険性のあるゴミ:農薬、殺虫剤などの薬品類、消化器。
●爆発性のあるゴミ:ガスボンベ類、ガソリン、シンナー等。
●医療系廃棄物:病院診療所からでる感染性廃棄物。
●事業所や商店からでるゴミ。
●廃自動車、タイヤ等。
●農業用ビニール等の営農活動によって排出するゴミ。
という事項が提示されましたが、
この中にはまだまだ解決して行くべき問題が含まれています。
今後、2回、3回・・・と説明会を開催していくということなので、
それによって問題を解決して行くことになるのでしょう。

投稿者 takidun : 11:05 AM | コメント (0)

February 23, 2007

大浦家の修復

赤瓦の家並み、屋敷を取り囲む石垣、その周りをはしる白砂の道。
それらが基本となって構成される、この竹富島の集落全体は、
昭和62年4月28日に重要伝統的建造物群保存地区*に選定されています。

そして今、その建造物の保存のための国の修復が行なわれています。
すでに、旧与那国家住宅の修復事業で伝建築の建築に関わっている、
島の大工さんの力をフルに発揮しての修復事業です。

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現在は、屋根瓦の下地となる竹をクージで編んでいく作業です。

*重要伝統的建造物群保存地区
 日本の文化財保護法に基づいて決定された伝統的建造物群保存地区のなかでも、
 特に価値が高いものとして国が選定したのが、重要伝統的建造物群保存地区。

投稿者 takidun : 03:17 PM | コメント (0)

January 31, 2007

観光お役立ち情報!

竹富島を観光するにはちょうど良いゆったりしたスピードのレンタサイクル。
いろいろな場所を自由に観光するにはとても便利で、
多くの観光客の方が利用してくれます。

しかしながら、自転車が増えれば駐輪の問題が浮上するのはつきものです。
とくに、赤山公園(なごみの塔)を周辺を散策する時には、
自転車は道に駐輪するしかない状況です。
そして、お客さんが多い時にはずらっと自転車が並び、
道を占領するような状態になる時もありました。

現在NPOたきどぅんでは、フィリップモリスジャパンの助成をいただき、
主に文化遺産の保存と掘り起こし、
それらを観光資源とした竹富島らしい観光スタイル「どぅゆくい(癒し)観光」の
確立のための活動を行っています。
その一環として、この状況を解消すべく、
島内の空き地を活用した自転車置き場を整備しております。

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自転車で観光をされるみなさま、
是非、こちらの自転車置き場をご利用下さい。

投稿者 takidun : 05:36 PM | コメント (0)

December 31, 2006

平和の鐘

この『平和の鐘』は竹富島の高那マツさんの八十五歳の生年を祝賀して息子たち三人、大盛廣吉・高那三郎・大盛英信氏らによって1974年に建立され、
竹富公民館に贈られたものです。
32年を経て鐘楼が老朽化したのでこの度、木造に改築致しました。
梵鐘には、大盛英信氏のふる里への想いが刻印されています。

○梵鐘讃歌
この鐘の音が西塘の森から四方に鳴りわたるとき
すべての争いが止み 諸人の浄き平和の祈願が叶えられ
心に理解と融和と安らぎが生まれますように
夕げにおとずれ この鐘の音をきくとき 老たる身にも病める心にも
静かなよろこびが生まれますように
この島を往き来するすべての者が 安全で健やかで楽しい日々でありますように
そして この世に風と光と緑と人間が久遠にあるかぎり この島は栄え
平和と愛と敬母の梵鐘讃歌が鳴りわたりますように   合掌

昭和49年
大盛英信建立

投稿者 takidun : 11:50 PM | コメント (0)

2006年 竹富島重大ニュース

竹富公民館が選ぶ2006年 竹富島重大ニュース

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1 板井(旧姓・島仲)ルミ子氏が沖縄県教育委員長に就任された(1月)

2 赤山丘「なごみの塔」が登録有形文化財として登録された(1月)

3 竹富小中学校はソニー教育財団からソニー賞7年連続の受賞(1月)

4 西里喜行氏(琉球大学教授)は『清末中琉日関係史の研究』で文学博士号を取得し、
  伊波普猷賞を受賞された(2月)

5 竹富島北東岸の保安林の整備事業が始められた(2月)

6 旧與那國家は修復を終え、落成式典並びに祝賀会が開催された(3月)

7 NPOたきどぅんは文化庁の助成を受けて「島だて学校」を始めた(3月)

8 「見習い・聞き習いの会」は、竹富町史第10巻資料編1の『竹富蒐集館文書』を読み
  竹富島の近代化の過程を学び始めた(6月)

9 竹富小中学校体育館が29年ぶりに改築され、内部施設のため多くの島人や郷友から
  多額の基金が寄せられて完成、式典・祝賀会開催された(6月)

10 NHKの番組「新日本紀行ふたたび」で『精霊の島 竹富』が放映された(7月)

11 竹富町議会議員選挙で新田長男氏は高位で再選を果たす(9月)

12 大形で強大な台風13号が襲来し、近年にない被害甚大となる(9月)

13 竹富PTAは、こぼし文庫活動の親子読書活動に対する永年の功績が評価され、
   野間読書推進賞を受賞した(10月)

14 『新里村遺跡』発掘調査書が刊行された(11月)

15 前原基男氏の写真集『あんやったん』が出版された(11月)

16 内盛清子氏は永年の教育功労が認められ沖縄県教育長賞を受賞(11月)

17 竹富町は竹富島を「黒潮に育まれた亜熱帯海域の文化的景観」として
   世界遺産に登録するよう文化庁に申請書を提出した(12月)

18 高那マツ媼の85歳の生誕を記念して1974年(昭和49)に子息たちによって建立された
   『平和の鐘』の鐘楼が木造に改築された(12月)

19 NHKの大晦日番組「行く年 来る年」が竹富島から発信された(12月)
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投稿者 takidun : 04:32 PM | コメント (0)

November 11, 2006

「こぼし文庫」のお祝い!

「第36回野間読書推進賞」受賞祝賀会。

地域や職域、その他において読書の普及に多年にわたり尽力し、
読書推進運動に貢献した模範的な個人や団体を顕彰する「野間読書推進賞」。
このたび「第36回野間読書推進賞」団体の部で、
竹富島の『こぼし文庫』が受賞しました。
11月10日、この日は、この受賞のお祝い。

かつて、読み聞かせを行なっていたお母さん。
今は親になったかつての子供。
島の子供とおとな。
などなどが、竹富小中学校の体育館に集まり、
この、35年間の活動に対する受賞を祝いました!
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貴重な記録写真を見ながら、かつての活動を振り返り、
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みんなで「ふぅゆべま」を歌い、
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親子での読み聞かせがあり、
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みんなで喜びを分ち、
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この、35年間の活動に対する受賞を祝いました!

「こぼし文庫」の歴史は、随筆家の岡部伊都子さんが蔵書とともに建物をも寄贈した、
1972年5月15日にはじまります。
竹富島をこよなく愛する岡部伊都子さんにより、島の子の地域活動の場として寄贈されました。
当時は、図書館や本屋もない離島という環境の中、
本の貴重さを強く感じた母親たちがこぼし文庫で親子読書会を積極的におこない、
「読む力・書く力・見る力」を育んできました。
それとともに、読書を入口として島の伝統芸能や行事などを実体験するなど、
島の文化と生活とのつながりへの理解を深める原動力にもなってきました。

そして、35年間の生きた読書活動により、
家庭と地域と学校とがつながる活動の場として成長し今に至り、
今回の受賞につながったのです。

また、11月7日には、東京・新宿区袋町の日本出版クラブで授賞式が行なわれ、
こぼし文庫の運営活動の中心となっている方々が受賞式に出席し、
また、京都ではこの受賞を岡部伊都子さんへ報告もしたそうです。
この、受賞を糧に「こぼし文庫」はこれからも成長することでしょう。

投稿者 takidun : 04:35 PM | コメント (0)

May 03, 2006

ブーひき

織物を織るためには欠かせない、糸の取り出し作業を竹富民芸館の島仲由美子さんが行っていました。
今回は八重山上布やグンボウに使用するブーの取り出し“ブーひき”を見せていただきました。

ブーは繊維植物であるカラムシの仲間のこと。また、とれた繊維そのものを指します。
茎からはいだカラムシに薄手の金物をあててしごくと、外皮の内側の上質な繊維だけがとれます。
とれた繊維は細かく裂き、紡いで糸にしたり、縄の素材に使います。ブーでなった縄は強いので万代保つと言われています。
そして、ブーの繊維をとるのに欠かせない、パイとンーマニ(クロツグ)の葉。
パイは繊維をとるときに使う専用の金物です。今でも手作りしますが、古い包丁で代用することもあります。繊維をしごく時は、パイを持っている親指の腹にンーマニの葉を巻き、パイと親指の間にブーの外皮を挟んで引きます。親指に巻いたンーマニは、荒い繊維や不純物を取る役目を果たし、パイの平らな刃により均一に力がかかるので、一定の厚みを持った繊維をとることができます。ブーの外皮の下からパイをあて、繊維に食い込ませると『プチッ!」という音とともに何ともいい感じの手応えがあります。そのまま、パイを水平にひくと外皮がはずれ、白っぽい繊維を取ることができます。
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ブー(苧麻/チョマ)イラクサ科の多年草。

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苧麻糸のできるまで。(囲い内は写真部分)

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葉を落としたブーの茎より皮を取る。

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茎からとった皮を水につけて、柔らかくし繊維をとりやすくする。

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ブーひき(繊維をとりだす)。

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陰干しをする。

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ンーマニの新芽と親指に巻いたンーマニ。

投稿者 takidun : 03:06 PM | コメント (0)

April 25, 2006

新里村跡遺跡 竹富町指定史跡(平成3年9月11日指定)

新里村遺跡は「花城井戸」という井戸を中心にして、その東側と西側に広がる集落遺跡で、竹富島の集落の発祥の地といわれています。
その昔、琉球列島北部の島々から6名の酋長とその一族が移住してきたのが、現在の竹富島の人々のご先祖様だと伝えられています。その中で、一番最初に移住してきた他金殿(タガニドゥン、タキンドゥン)の一族が建設したと伝えられる新里村の跡が現在まで遺されています。
1986〜1988年に沖縄県教育委員会が行った発掘調査は、竹富町における初めての本格的な調査でもあり、石積みで囲まれた屋敷跡が連続しており、それらが通用門で結ばれている村の形態が姿を現し注目を集めました。
遺跡からは大量の土器をはじめ、大陸との物流をうかがわせる中国製陶磁器(白磁碗・青磁碗・褐釉陶器)や須恵器・鉄鍋・鉄製のヘラ・刀子(小刀)が出土しています。
現在、町の教育委員会からのお仕事で島の人がヤブをはらっていただき、遺跡を見ることができます。
興味のある方は、この機会に昔の村の中に立ってみてはいかがでしょうか?
(参考資料:『村が語る沖縄の歴史』国立歴史民俗博物館編/竹富町教育委員会新里村遺跡案内標識)
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花城井戸

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西新里村遺跡
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西新里村遺跡

投稿者 takidun : 03:32 PM | コメント (0)