October 22, 2011

観光日和

久しぶりの青空を望むことができた
竹富島。

土曜日と重なったとあり、
大勢の観光客が訪れていました。

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写真は午後6時を過ぎた頃の
島東部のナーラサミチから見た
竹富島の夕陽。

明日は日曜日。
たくさんの来島者の方々が、
竹富島を満喫してくれることでしょう。

(ta)

投稿者 takidun : 07:20 PM

October 21, 2011

九月大願い 

諸作物の成長、人々の安寧を祈願する

九月大願い

が昨晩から2日間にわたり執り行われています。

旧暦9月に執り行われる大祭とあって、
杯には菊の葉が添えられます。
菊の香りが漂う御神酒をいただくと、
九月大願いであると感じます。

初日は神司が清明御嶽、幸本御嶽、西塘御嶽での夜籠り。
翌日は祭主の竹富公民館執行部を中心とした
主だった拝所への祈願が行われます。

(ta)

竹富島では数多くの祭りを執り行っていますが、
大別すると、
「祈願祭」と「感謝祭」
に分けることができます。

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10月20日 22時00分頃  西塘御嶽

祈願祭は、
しっかりと願いが根付きますようにと
土(つち)の日。または木(き)の日。

感謝祭は、
感謝した思いがきれいに流れますようにと
水(みず)の日。

と決まっています。

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10月21日 6時50分頃 西塘御嶽


今年の九月大願いは
「つちのえさる」、「つちのととり」の二日間。

竹富島からの祈りが
しっかりと根付きますように。

投稿者 takidun : 10:42 AM

October 20, 2011

「竹富方言辞典」 菊池寛賞受賞!

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今年の2月に発行し、
当ブログでも紹介をさせていただいた、

http://www.taketomijima.jp/blog/archives/000949.html

前新透先生が著した
「竹富方言辞典」
(2011年2月22日 南山舎株式会社発行)
が、第59回菊池寛賞を受賞いたしました!

(ta)

菊池寛賞とは、
公益財団法人日本文学振興会が選考し、
日本の様々な文化面にのこした功績を記念するための賞で、
文学、映画・演劇、新聞などのあらゆる文化活動において、
最も清新かつ創造的業績をあげた方、
あるいは団体に贈られる賞です。

前新透先生の「竹富方言辞典」については、
琉球語と日本語の古層、民俗を研究するための貴重な文化遺産として。
さらに、
足掛け27年間にわたり地道にテードゥンムニを採集した功績を称えています。

竹富島の文化が集約しているといっても過言ではない
「竹富方言辞典」が、
日本国内においても特筆すべき文学賞を受賞したことは、
竹富島にとっても快挙です!

編集にご尽力された
前新 透先生、
高嶺方祐先生、
入里照男先生、
波照間永吉先生、
様々な努力を重ねて出版にこぎつけた
南山舎株式会社の
上江洲儀正社長をはじめとする社員のみなさま。

さらには竹富島の文化を守り、伝えてきた諸先輩方。
心より感謝申し上げます。

また、
小さなことをこつこつと続ける努力が
大きく花開き、多くの人々に認められたこと。
心よりおめでとうございます。

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竹富島の文化の礎ともいえる、
大正8年5月30日に建立された「啓蒙台」

投稿者 takidun : 08:00 AM

October 17, 2011

平成23年度秋季清掃検査実績表

10月15日に行われた
三支会(東集落・西集落・仲筋集落)
の月例会にて配布された、

10月13日実施
「平成23年度秋季清掃検査」

の実績表を
ブログをご覧の皆さまにご紹介します。

(ta)

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春季に比べると人口は11名増加。
そのうちの4名が新生児という、
大変喜ばしい調査結果となりました。
【いんのた(西集落)2名、仲筋 2名】

投稿者 takidun : 08:00 AM

October 16, 2011

ゆがふ館だより

ゆがふ館だより27を発行しました。
ゆがふ館内にて配布しております。
どうぞ、ご覧ください。

投稿者 takidun : 11:04 AM

October 15, 2011

東パイザーシ御嶽

竹富島に数多く点在する御嶽(オン)。
沖縄本島では“ウタキ”や“オタケ”と呼びます。
現在、竹富島には28あるとされ、
竹富島の精神世界の中心に位置する神聖な場所です。

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今回は、
あいのた村(東集落)を縦断する桟橋通りに面する御嶽、
東パイザーシ御嶽(アガリパイザーシオン)をご紹介します。
東パイザーシ御嶽には、
シンミンガナシという
島つくりの神が最初に降り立ったといわれる
竹富島の島づくりの伝承に取り上げられる由緒ある御嶽です。

以前、八山(ヤーヤマ)のひとつで
竹富島の祭事行事で必ず参拝に訪れる
清明御嶽(マイヌオン)をご紹介しましたが、
マイヌオンとは“前のオン”とも解釈されており、
東パイザーシ御嶽の前にある御嶽との説もあります。

現在、東パイザーシ御嶽は、
前浜屋で管理をされていますが、
これは、
拝み始めが前浜屋の人であることに由来しています。

(ta)

霊示を受けた前浜玉仁の話

竹富451番地、
前浜重雄氏の祖先に玉仁(タマニ)と言う神霊を受けた人がいた。
この玉仁によって、
島の古いお嶽や祭事が開かれたと言う、有名な神人であった。
玉仁は、常に天の神を拝むと言うことから、
家の本尊として天照皇大神を信仰していた。
童名は玉仁であったが、霊示によって、
黄金志良嘉(クガニシラカ)と呼ばれるようになった。

明治3年のこと、
仲筋1059番地内小底加美ほか、島の役人数名の人々が、
公務のために沖縄本島に上国したが、帰国の際漂流し、
支那の国に着いて、そこで生活するようになった。
その情況を、竹富の志良嘉は霊示によって知り、
そのことを村の役人の妻子たちに報告して安心させた。
そして、
支那の国にいる一行が一日も早く無事に帰国できるように、
志良嘉は、彼らの健康と帰国の航海安全を祈願した。
3年後の10月12日をもって、
内小底加美一行が無事、竹富島に帰り、
志良嘉の祈願によって帰島できたとのことを知って一行は感謝し、
ここに内小底加美は、
支那の国王、
ドウヤーから戴いた護身用の「刀一振、麾一組、五色旗一流」
を帰国記念として、黄金志良嘉に贈った。

この品が、前浜家の家宝としてのこされている。

尚泰王33年(明治12年)の9月、
前浜玉仁、神名黄金志良嘉は、行年52歳でこの世を去った。
志良嘉が生前、「神口段ぬ法」といって唱えていたのが、
次のように伝えられている。

「段ぬ法(だんぬほう神口)」

1. いきゆる花に みどぅり花いきてぃ 春みどぅり
   花いきてぃ

2. 上天じょう 十二ヶみぐてぃ ひとぅ人間うまり
   うたびみそーたる 天徳あてぃどぅ

3. 楽ぬうどぅく 心むてぃむたば 誠ぬ心むてぃ
   りんぬ花に咲き ちゅらさ あてぃ

4. 人間てぃらむーのうー いとぅにんかゆてぃ
   心喜ぶる くぬ望やてぃからや

5. じみぬちち んでゆる しらわい しらわい
   思かななてぃ なてぃかななてぃ すみ叶てぃ

6. いんてぃる事や さる山かんきんじ 金かきてぃ
   ある金ぬ んじとぅやい

7. 百世ぬ子返し 百とぅ思いば 幾世とぅ度までぃん

【対 訳】

1. 活ける花に 緑の花を活けて 春の緑の 花を活けて

2. 上天井の 十二ヶ所を巡って 人、人間に生まれ
   なさった 天の徳があって(ぞ)

3. 楽の男が 心を持ち持ったなら 誠の心をもって
   蓮の花に咲き 美しく あって

4. 人間というものは 糸に通って 心喜ぶ 
   この望みであるから

5. じみの土に 出る しらわい しらわいと
   思いがかない そしてかなって 積み叶って

6. 縁ということは サル山にかけ 金にかけて
   ある金の 出てから

7. 百の世の子供を返し 百と思えば 幾世十度までも

出典 『竹富島誌 ―民話・民俗編― 』上勢頭亨著 法政大学出版局発行

※ 御嶽は神聖な場所です。
   石垣の中からのお立ち入りはご遠慮ください。

投稿者 takidun : 08:00 AM

October 11, 2011

節祭 (シチマツリ)

古代の正月と云われ、
己亥(つちのとゐ)の日を願い日と定め、
土地を祓い、井戸を清める
節祭(シチマツリ)が本日執り行われています。

(ta)

祭主の竹富公民館執行部と4名の神司は、
国仲御嶽、西塘御嶽、清明御嶽、根原屋を参拝し、
大地への感謝、豊かな世を祈願します。
さらに、
戊子(つちのえね)の日、いわゆる種子取祭の祈願を、
49日後に執り行うことをお知らせします。

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根原屋(ネーレ)のザートゥク(床の間)

根原屋は、
種子取祭を統一した根原金殿の末裔にあたります。
根原屋は南側が上座であり、
左手の香炉は根原金殿を祀っています。

その後、執行部と神司は、
それぞれの御嶽(六山)に参拝したのち、
由来がある25か所の井戸を分担して祈願します。

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花城御嶽のウブ(聖域)

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先日学習会でも訪れた花城井戸(ハナックンガー)
花城御嶽の神司は、
必ずハナックンガーを最初に参拝します。

そして、
本日午後5時より、弥勒奉安殿の扉が開き、
ミルク神がお出ましになります。

ミルク神は、8月6日の七夕祭以来2回目のお出ましです。
残りの1回は種子取祭。

タナドゥイまであと49日。

シチを執り終えると、
にわかに島が騒がしくなってきます。


投稿者 takidun : 02:41 PM

October 08, 2011

竹富島の伝承の地を歩く

昨日は、竹富島ゆがふ館による学習会
「竹富島の伝承の地を歩く (part1)」
を開催いたしました!

今回の学習会では、
『竹富島誌―民話・民俗編―』の記述を中心とした
竹富島で語り継がれている地を訪ね、
先人の営みの跡を実際に目で見て、
伝承を深く理解することを目的としています。

今回の学習会で訪れる地は、
かなりディープでマニアックな場所であるので、
ご参加いただく方は居られるだろうか・・・。
と大変気になっていたのですが、
いざ開催となると、17名の方にご参加いただきました。

今回の学習会にご協力いただきました、
講師の阿佐伊孫良様をはじめ、
『竹富島誌―民話・民俗編―』の転載を快諾していただいた
上勢頭芳徳様、上勢頭同子様、

さらに伝承の地を管理もしくはゆかりのある
前新正貴様 (花城井戸)、赤山喜介様 (赤山王の墓)
上勢頭保様 (シムザーシ御嶽)、松竹荘の皆様 (シュウラムイ御嶽)
宇根勝末様 (宇根屋の観音像)、東風平淳子様 (真知御嶽)
野原政紀様 (横目屋の古墓)、小山静様 (マサカイの拝所)
安里弘康様 (安里クヤマの墓)

また、学習会に同行していただき、
解説にご協力くださいました
内盛正玄様、内盛スミ様、松竹昇助様

そしてご参加いただいた皆様に、

この場を借りて深く御礼申し上げます。

どうもありがとうございました。

(ta)

さて、
今回はパート1と題し、
島北部を中心とした伝承の地を巡ります。

講師は、
竹富公民館長、NPOたきどぅん事務局長を歴任し、
現在は竹富老人クラブ会長、竹富町史編集委員も務める
阿佐伊孫良さんにお願いしています。


まずは、竹富島に一番最初に訪れた島立ての神である
他金殿(タキンドゥン)が上陸したといわれる「イシャーグチ」を訪れ、
さらに竹富島で最初に掘られた井戸と伝えられる「花城井戸」見学します。

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残念ながら、町の史跡に指定されている「新里村遺跡」には入ることは
できませんでしたが、
参加者の皆様には、イシャーグチ、花城井戸、東西新里村
の位置を把握していただきました。

続いて、外周道路を西へと向かい、
平家の落武者伝承として知られる「赤山王の墓」へ向かいます。

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途中で宇根屋・浦底屋の墓(通称:トゥクル)にも足を運びました。

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赤山王の墓 (墓碑は上勢頭亨が据えたと云う)

現在、赤山王の大祭として、毎年10月11日と2月11日に
親戚縁者が集い、赤山王の遺徳を忍んでいます。

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続いて、島北端の美崎へと向かいます。
ここは昔竹富島の出入口、いわゆる桟橋があったところで、
アイヌソイ・イルヌソイに住むネズミの結婚の伝承や、
老婆に似た石、アーパー石の伝承がのこされています。
ここでは、参加者で「アーパー石のユングトゥ」を謡いました。

さらに、竹富島最大の偉人である西塘大主ゆかりの地と
伝えられる「坊主墓」「シムザーシ御嶽」を訪れます。

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竹富島の最大の謎のひとつ「坊主墓」について、参加者も興味津々です。
残念なことに、墓石の上に据えられている“宝珠”は、一昨年の台風で
二つに割れてしまっており、今回の写真ではお見せすることができません。

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シムザーシ御嶽では、御嶽に由来のある「ヤマカチニアヨー」を、
阿佐伊孫良さんが謡ってくれました。

ここで午前の部は終了。
世持御嶽で休憩をとったあと、
シュウラムイ御嶽へと向かいます。

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シュウラ(強くする)ムイ(森) “強化の森”と
『竹富島誌』では解釈されているシュウラムイ御嶽は、
松竹荘の北に位置します。
現在は松竹屋で管理されており、
今回は特別に見学させていただきました。

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引き続き、宇根屋の観音像を見学します。
現在、宇根屋本家の管理を任されている
宇根勝末さんは、竹富島の正装、
アイヂシン(藍で染めた着物)を着て出迎えてくださいました。

さらに、
真知御嶽に足を運びます。
竹富島の祭りにも訪れる真知御嶽では、
竹富公民館長を務めた阿佐伊孫良さんの解説にも熱が入ります。

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そして、今回の学習会の目玉のひとつに挙げられる、
「横目屋の古墓」を訪れます。
この墓には“大浜タナジャラジラバ”として謡われている、
大浜タナジャラがこの墓を造り、そして眠っていたと云われています。

大浜村からやってきたタナジャラが、竹富島の花城村で妻を娶り、
ナイヌピーをパギダマ(分け前)として譲られるという伝承とウタがのこされています。
現在、横目屋の墓は別の場所に移されていて空墓ではあるものの、
竹富島の歴史を知るうえで重要な人物である“大浜タナジャラ”のゆかりの地として、
大勢の方に知ってもらいたいということで、今回の順路に加えています。


その後、真栄節に唄われるマサカイの拝所、
安里屋ユンタの主人公、安里クヤマの墓を訪れました。

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13か所の伝承の地を巡ったのち、
ゆがふ館で今回の学習会を振り返りました。

皆様からいただいたアンケートからは、

・ 島人と触れ合うことができてよかった(石垣在)
・ 個人では行くことができない所を観られて良かった(竹富在)
・ 場所によってはきちんと保存されているところと、
  放置されているところがあったことが分かった(石垣在)
・ 竹富島の方の島の文化、伝承へのかかわり方。
  より島を身近に感じることができた(石垣在)
・ 専門用語が難しかった(石垣在)
・ 高齢の参加者のために交通手段も検討してもらいたい(竹富在)

ほかたくさんのご意見、ご感想をいただきました。

次回の「竹富島の伝承の地を歩く」でも勿論のこと、
その他の学習会でも参考にさせていただきます。

投稿者 takidun : 11:06 AM

October 03, 2011

学習会「竹富島の伝承の地を歩く」

竹富島ゆがふ館では、
来る10月7日(金)に、
毎年恒例の学習会を開催いたします。
今回は、
「竹富島の伝承の地を歩く」(パート1)と題し、
竹富島に口承で語り継がれてきた伝承の地を歩きます。

過去に2回にわたって開催した「竹富島の文化財めぐり」では、
国の指定選定地9か所を巡りましたが、
今回は、さらにディープな竹富島の世界をご紹介いたします。

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● 竹富島ゆがふ館学習会 「竹富島の伝承の地を歩く」(パート1)
● 日 時:平成23年10月7日(金) 10時〜16時
● 順 路:竹富島ゆがふ館⇒イシャーグチ⇒花城井戸(新里村遺跡)⇒
  赤山王の墓⇒アイヌソイ・イルヌソイ⇒アーパー石⇒坊主墓⇒
  シムザーシ御嶽⇒シュウラムイ御嶽⇒宇根屋の観音像⇒
  真知御嶽⇒横目屋の古墓⇒マサカイの拝所⇒安里クヤマの墓
● 講 師:阿佐伊孫良(竹富老人クラブ会長)
● 受講料:150円(保険料)
● 申込み:(電話(0980)-85-2488 午前8時から午後5時まで)
       先着順で定員20名に達し次第締め切ります。
●  持ち物:
       お弁当、飲み物、筆記具、タオル、帽子、レインコートなど
       野外活動に適した服装でご参加ください。
       なお、ご自身で出したゴミはお持ち帰りいただくようご配慮願います。
●  その他:
       悪天候時は中止とし、午前7時の天候で判断して
       8時までに参加者にご連絡いたします。
********************************************************************

投稿者 takidun : 06:19 PM

October 01, 2011

ゆがふ館に咲く花

殺人的な「日差し」が、
徐々に柔らかく「陽ざし」に変わりつつある竹富島。

今朝のゆがふ館には、
今までご紹介していない「花」を見ることができました。

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テリハボク

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タイワンレンギョウ

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グンパイヒルガオ

(ta)

投稿者 takidun : 02:02 PM