June 29, 2010

今日のゆがふ館と竹富島

本日は、
平成22年度竹富島ビジターセンタ運営協議会
(竹富島ゆがふ館を運営する組織)による定例総会が
ゆがふ館事務室で開催されました!

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運営協議会は、
環境省、沖縄県、竹富町、竹富町教育委員会、
竹富公民館、竹富島諸団体で構成されており、
ゆがふ館の運営をより良くするために活動しています。

深く竹富島を知っていただくためにどのような活動を継続していくか、
そして、ご来館いただく皆さまに心地よく過ごしていただくために・・・。
今後も様々な努力を重ねてまいります。

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13時頃のコンドイ浜。
今日も多くの方が訪れ、海水浴を楽しんでいました。

さらに、定期船も去りつつある17時30分頃、
竹富島のデイゴを救おう実行委員会のメンバーが、
桟橋から集落へ向かう道、ホーシ道に7本のデイゴを植樹しました。
デイゴを救う活動も着実に実を結びつつあり、多くの方々に
ご賛同いただいています。

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実行委員会最大のイベント
でいごチャリティ音楽祭が開催される7月4日もいよいよ間近!
こちらも大いに楽しみです。


(ta)

投稿者 takidun : 07:03 PM

June 24, 2010

ゆがふ館は6歳になりました。

6月24日、本日ゆがふ館は開館6周年を迎えます。
島民の皆様のご協力のもと、ゆがふ館運営が成り立っています。
心よりお礼申し上げます。

特に昨年のゆがふ館は「もっと島の人たちに利用してもらおう」と
イベントや場所提供を行いました。
今年も、ドンドンゆがふ館を利用していただきければ幸いです。
今年は、たくさんのの方に参加してもらえる自然学習会や
文化学習会の開催に力をいれていきたいと考えています。
島内外問わずご参加いただき、竹富島をもっともっと知っていただきたいです。
私たちスタッフもまだまだわからないことも沢山あります。
ぜひ一緒に島を知り、島を楽しみましょう。

これからも、スタッフ一同心地よいゆがふ館を作ってまいります。
何卒、よろしくお願いします。 
                                 
                              ゆがふ館スタッフ一同

投稿者 takidun : 06:36 PM

June 23, 2010

慰霊の日

6月23日は沖縄県民にとって忘れがたい一日。

1945(昭和20)年6月23日、
沖縄戦における日本軍による組織的戦闘が終結した日。
この日は「慰霊の日」として、沖縄県では公休日扱いとして、
国の機関を除き休日となります。

八重山地方では本島のような大規模な局地戦はなかったものの、
空襲による戦死者や、軍命による強制疎開の結果、
大勢の方がマラリアに罹災し多くの命を失いました。

竹富島では、高知県、愛媛県、新潟県民を中心とした、
独立歩兵301大隊第一中隊150名による部隊、
通称:大石隊が駐屯していました。
石垣島攻略の最前線基地として戦闘が行われると
予測されていた竹富島でしたが、
隊長の故大石喬氏は、
錯綜する軍命の強制よりも島民とのコミュニケーションを重視し、
幸いなことに軍と住民との大きな軋轢はありませんでした。
そのため、
現在も大石部隊に所属していた兵隊のご親族と竹富島民との交流が続いています。


しかし、竹富島にも今もなお戦争の足跡は残されています。


それは、平和の象徴ともいえる、ゆったりと集落を歩む水牛車の道の端にも
見ることができます。

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河上屋(カーカン)の貯水タンクに遺された機銃掃射の跡


今日は、竹富町主催による竹富町戦没者慰霊祭が
世持御嶽北の戦没者慰霊碑の前で行われています。

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(ta)


投稿者 takidun : 10:16 AM

June 20, 2010

第10回庭の日

毎月恒例となった庭の日も第10回を迎えました。
30℃を超える暑さとなった今日の竹富島ですが、
木陰には涼しい風がそよぎます。

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ゆがふ館の前庭では、
ゆんたくをしながらおにぎりを頬張る島の人たち。
そして、陰ながら竹富島を支える友人が語る、
「デイゴにまつわる話し」を聞こうと、
大勢のかたが足を運んでくれました。

シカイトミーハイユー

(ta)

投稿者 takidun : 03:43 PM

June 19, 2010

生物多様性って?

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2010年は国連の定めた国際生物多様性年であり、
10月には愛知県名古屋市で
生物多様性条約第10回締約会議(COP10)が開催されます。

と、いわれても・・・生物多様性とは何?

私たちのくらしは、この世に生きているすべてのモノと繋がっています。
竹富島で考えてみると、島には伝統が多く残っています。
民話や唄や踊りそして祭事行事。
これら文化は、竹富島の海や森があって、
そこに魚や珊瑚や鳥や虫や花や木が生き、
私達がそれらをいただいていた暮らしから形づくられてきました。
“生”を受けている全ての物(生物多様)は繋がっているのです。

これから私たちは文化を残すために、
自然を守るために何をやらなければならないのでしょうか?
環境問題やエコという言葉が飛び交っていますが、
まずは自分自身の足元を知ることで、
できることを見つけてみませんか?

そのきっかけとして、
ゆがふ館では島の恵みを見直してみようとイベントを行っています。
島の中でどんな生物が居るのか、皆さんからの発見情報を収集します。

昆虫、動物、植物など、竹富島で見つけた生物を
竹富島の地図に貼っていきます。
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出来上がった地図は、8月下旬に竹富島を旅立ち、
中部地方の各地で行われる生物多様性保全のイベントで展示されます。
全国へ竹富島の自然を紹介し、私たちもこの機会に、
もう一度自然の恵みへの感謝と守り方を考えてみませんか?

島の中にはどんな生物が居るのか
皆さんの発見情報を教えて下さい!

ご参加おまちしております!

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投稿者 takidun : 06:10 PM

June 18, 2010

竹富日和学級開級式

 昨晩は、竹富ぶなる会が主催する
「竹富日和(ひより)学級」の開級式が竹富島まちなみ館
で開催されました。

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この事業は、竹富町教育委員会からの助成を受け、

『伝承文化に見る・聴く・触れる。』

をテーマに、
講座は20時間以上、祭祀からわらべうた、そして織糸など、
様々な竹富島の伝統文化を学びます。

女性の視点からみた
「竹富島の小さいが豊かな精神世界」

第1回講座は6月21日(月)、ブー(苧麻)倒しからスタートします。

(ta)

投稿者 takidun : 11:57 AM

June 12, 2010

ギンネム(ギンゴウガン)

 ひとしきり雨が落ちたあとになごみの塔に上ると、
木々の緑の鮮やかさが際立ちます。

 その木々の緑の多くが、
現在、竹富島一番の厄介者となっているギンネム。

竹富島の通説によると、
大正時代、近代竹富島の基礎を築いた上間廣起先生が、
薪の代用として台湾から持ち込んだといわれています。

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瓦工場や製糖工場が稼働していた頃や、
各戸で山羊を飼育していた頃まで
大いに島に貢献してきたギンネムですが、
工場の廃止や過疎化の著しい進行、島の産業構造の変化によって、
活用されなくなり、次第に手に負えないほど繁殖します。

 それもそのはず。
ギンネムのひとつの花には200個の種子ができるのです。
さらに、他の種子を阻害する物資を発しているともされ、純林を形成します。
一昔前は薪を確保するために所有者まで明らかにされていたギンネム。
今では有効な活用が見いだせずにいます。


昔は島のほとんどが畑で、島の隅々まで生活の営みが感じられた竹富島。
今後は、このギンネムの有効活用が最大の課題かもしれません。

(ta)

投稿者 takidun : 11:14 AM

June 11, 2010

四月祭

蒔いた種子がすくすくと育つことを祈願する
四月祭(しがつまつり)

竹富公民館執行部と神司は、
真知御嶽【マーチオン・智恵の神が祀られる】
清明御嶽【マイヌオン・島造りの神(オモトテラス・ホーステラス、シンミンガナシ)が祀られる】
国仲御嶽【フィナーオン・園比屋武の神が祀られる】
の順で参拝します。

午後になると、
神司は六山の氏子と共に、それぞれの御嶽を参拝しますが、
その際、御嶽の最も神聖な場所であるウブに入り、
家族、氏子、そして竹富島の繁栄を祈願します。
ウブに入れるのは、
四月祭、豊年祭、十月祭、ナーキヨイ、二月祭の年に僅か5回。
ここは、男性は入ることを許されない聖域です。

四月祭、十月祭、二月祭には、竹富公民館執行部ならびに神司は、
真知御嶽をまずはじめに参拝します。
真知御嶽は、竹富公民館が管理する村御嶽ではなく個人が管理していますが、
ここには、次の伝承がのこされていますので、みなさまにご紹介しましょう。

〜真戸の大者(マートゥヌフージャ)の話〜

 昔、竹富島に兄の名を真戸と言い、妹の名をフゾンと言う二人の兄妹がいた。
二人は信仰深く、竹富島の霊感霊時を受けた物知りと言われていた。
 当時、八重山島在番役大主様が重い病気にかかり、生きるか死ぬかの瀬戸際
にあった。八重山の役人たちは大変心配をしていたが、幸いに竹富島には神がかり
の真戸とフゾンという兄妹がいると聞いたので、早速二人に在番大主の名で出頭を
命じた。石垣島在番官舎に出頭した真戸とフゾンの二人は、そこで、在番大主から、
自分の一命を救ってくれるよう依頼された。二人は屋敷の大祓いを行ない、在番大主
の厄難祓いの祭として豚一頭を殺し、在番大主の身代わりとしてその豚に在番大主の
官服を着せて棺桶に入れ、紅白の四流旗を立てて人間同様の葬式を行った。その後、
大主は日増しに元気を取り戻して健康になった。大主は大変喜んで全快のお礼として
八重山札人から穀類を一人当り一合五勺ずつ徴収し、穀俵にして真戸とフゾンの兄妹
に謝恩の印としてあたえた。そして、大主から礼の言葉があり、また兄は真戸大者、妹
はフゾン神という位をそれぞれあたえられ、八重山島での霊感師として二人は讃えらた
と言われている。
 二人はお礼にもらった穀俵を竹富島に持ち帰り、在番大主の病気が快復したのは
私たち二人の力によるものではなく、すべて島の神々のお導きのおかげである。
私たち二人がこの俵をもらうことはできない。島の六名の神司に差し上げるべきである
といって穀俵は全部六名の神司に配付した。それでまた、二人は六名の神司たちから
欲のない生き神様として信じられるようになったとのことである。二人が死去したあと、
島の神司たちは祠を建てて真知御嶽と名づけ、真戸大者とフゾン神に感謝祭を行うように
なった。この祭事は二月祭、四月祭、十月祭の年三回行われ、今日までそれが続いている。
 八重山在番から琉球国王へこのことについて陳情文を捧げたところ、国王も認めて
王府より二人に神道の書物がおくられた。妹のフゾン神は無学であったが、その書物を
すらすらと朗読したと言う。《以下略》

出典 『竹富島誌―民話・民俗編―』 上勢頭亨 著


(ta)

投稿者 takidun : 02:23 PM