September 26, 2009

世迎い

 結願祭で一年間の願解きを終えた翌日、
五穀豊穣を迎える「世迎い」の神事が執り行われました。

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 旧暦8月8日に執り行われる「世迎い」は、
午前中で執りおえる比較的小さな神事です。

しかし、ニーラスク・カネーラスクの神々を迎える大切な神事で、
八重山地方の各地域で行われるユークイ(世乞い)
と同義であるといっても良いでしょう。
竹富島では種子取祭にユークイの儀式が執り行われるため、
区別をはっきりするためにユーンカイ(世迎い)と名付けているとの
説もあります。

いずれにしても竹富島の始原を探る上で、重要な神事である
世迎い。

竹富島を語る上で欠かすことのできない神事です。

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(た)

投稿者 takidun : 09:40 AM

September 25, 2009

結願祭

 1875(明治8)年、食糧飢饉を救うため、
竹富島に派遣されていた知念与人(ちねんゆんちゅ)の
祈願によって豊穣がもたらされたことを契機として、
一年間の願解きの祭りとして執り行われるようになった結願祭。
2日間にわたって執り行われる神事は、
島づくりの神として祀られている清明御嶽を中心として、
22か所の御嶽を参拝します。

 24日(初日)の夕刻、神司は清明御嶽、幸本御嶽、西塘御嶽に
それぞれ分かれて香炉の灯を絶やさぬように一晩明かします。
 25日(二日目)早朝から、竹富公民館執行部ならびに祭事部員
は、滞りなく神事を執行するために、前日から準備していた供物をそれぞれ
の御嶽に運びます。

 午前中から有志による参拝が行われ、午後からは清明御嶽にて
奉納芸能が行われます。

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結願祭において必ず奉納される呪狂言(じーきょんぎん)は
始番狂言と芋堀狂言。
セリフはすべてテードゥンムニ(竹富島言葉)で語られます。

 今年の結願祭奉納芸能の演目は下に記します。

 平成21年度結願祭奉納神供物
 1. 始番      (結願祭狂言部)
 2. 御前風    (仲筋支会)
 3. 揚口説     (西支会)
 4. 竹富ガンギ  (東支会)
 5. 芋堀狂言   (結願祭狂言部)
 6. 大浦越路節 (仲筋支会)
 7. 高根久    (西支会)
 8. 湊くり節    (東支会)

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結願祭と深い関わりがある有田家(屋号:アリンジャ)の床の間

(た)


投稿者 takidun : 08:50 AM

September 23, 2009

竹富島のアイデンティティー

〜いつの世も、末ながく〜のフレーズで、
いまやすっかり沖縄を代表するデザインとして
認知されるようになった八重山ミンサーのデザイン。
今ではお土産屋さんではもちろんのこと、
公共施設や道路などでも目にすることができます。

いつの世までも末永く、
わたしひとすじに、
足しげく通ってください・・・。

という女性の願いが込められている
この八重山ミンサーのデザインは、竹富島が発祥です。

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ミンサーはゆがふ館でもご覧いただくことができます。

(ta)

ミンサーとは“ミン”(綿)“サー”(狭)という意味で
綿狭帯と解釈されており、
古くはアフガニスタンに源流を持つ
小さな絣(かすり)の帯が中国へ伝来したといわれています。
木綿の伝播と共に16世紀から始まったと伝えられる技術は、
庶民が使用する普段帯として、
沖縄本島はじめ各地域で織られていました。

竹富島では昔、通い婚の風習がありました。
婚約の際に女性が愛の証として男性に贈った帯で、
五つ玉(イチチダマ)と四つ玉(ユーチダマ)の白絣には
「イチヌユーマデ」(いつの世までも)という想いがこめられています。
縁の白と藍の交互に現われるムカデの足模様は、
テードゥンムニ(竹富言葉)で「マーザヌパン」。
“足しげく通って下さい”との意味が込められています。
絣の両脇のひと筋の白い線は「タテスジ」。
こちらはお互いの真心を意味するそうです。
帯のデザインから垣間見える女性たちのメッセージは、
「外に誘惑されることなく、心をひと筋に、清らかな気持ちで足しげく通ってね。」
と伝えています。

時を経て、
太平洋戦争終了後に様々な文化が竹富島に流れて来ます。
アメリカ文化の流入は、
手間ひまをかけて作り上げる織物を徐々に消し去ろうとします。
昭和30年代の竹富島では、
機織の音も途絶えつつあり、
伝統文化の灯も消えつつありました。
こうしたなか、
1957(昭和32)年に民芸運動家で倉敷民藝館長であった
外村吉之介は竹富島を訪れ、
竹富島の織物の素朴さ、美しさに驚嘆します。

外村吉之介は、
素晴らしい竹富島の伝統工芸品を生かし
継承するために販路を開拓し、
柳宗悦やバーナード・リーチなどの民藝運動家に竹富島を紹介し、
竹富島の民芸品の保護に努めます。

外村先生のご尽力や島の先達者の努力によって、
竹富島の機織は復活します。

そして、
復活した織物は土産物として石垣島の店頭にならぶこととなり、
一般の方々に広く認知されていくのです。

1989(平成元)年、
ミンサーが国の伝統的工芸品に指定されるにあたって、 
島の古老からは、「何故竹富ミンサーにしないのか・・・」
という声もあったそうですが、
指定されるにはある程度の規模の製造者があり、
地域産業として成立していることが必要。とあります。
竹富島だけの産業では規模が小さく、
そして伝統文化の継承という点を踏まえると、
石垣島を含め八重山全域で製造していくことが継承にもつながります。

こうした経緯で現在では、「八重山ミンサー」と呼称されています。

『安里屋ゆんた』に代表される歌謡・芸能、
そしてミンサー織に代表される織物・工芸品。
ここに、本来の竹富島が滲み出ています。

投稿者 takidun : 12:46 PM

September 21, 2009

星砂のこと

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 ご覧いただいている写真は、満天の星ではありません。
 ゆがふ館カウンター前に置かれている星砂です。

ご来館いただいた多くのかたがカウンター前に足を止め、
星砂を興味深くご覧になります。

 1977(昭和52)年、日本作詞大賞作品賞を受賞した歌謡曲『星の砂』。
民芸運動とともに(?)竹富島の名を全国に広める一翼を担いました。
実は、星砂は「バギュロジプシナ」という名の有孔虫の一種で、
石灰質の殻と網状の仮足を持ったアメーバ様原生生物の一群です。
日本では、沖縄各地のさんご礁礁原に分布し、
岩盤、礫、海藻などに根足を伸ばして付着して生息しています。
石灰質の殻は通常5本の尖端の棘を有し、中央部の直径約1.5mmまで。
偽足をのばして移動し、餌をとります。
共生藻をもち光のあたる場所に多く、1屬某十万いることも珍しくないそうです。
つまり、星砂は生き物であり、皆さんが目にする星砂はアメーバの亡骸。
そう、抜け殻なのです。

残念なことに竹富島では以前に比べると少なくなり、
探すのも一苦労となってしまいました。

原因は土産物としての乱獲や、
コンドイ浜海水浴場から流れでる日焼け・日焼け止めオイル
による海水の汚染ともいわれています。

星砂は、西表島や鳩間島でも目にすることができますが、
竹富島だけに星砂にまつわるロマンチックな伝承がのこされています。
ブログをご覧のみなさまにご紹介しましょう

「星砂の伝説」

 子の方向にある星を父星と言い、午の方向にある星を母星と言う。
ある日、母星がお産をしたいとのことで、天の大明神に申し出た。
大明神は竹富島の美しい、広い南の海に降りてお産をするように命じた。
母星はその通りに竹富島の南の海に降りて、沢山の子供を産み落とした。
すると、海の係の七竜宮神が、
「自分の所有のこの海を、母星が勝手にお産の場所に使ったことは決して許せない」と、
海の大蛇を使って、星の子供を全部かみ殺させた。
大蛇が食べた星の子供の骨がフンとなって南の海岸に打ち上げられたのが星砂である。

 島の東美崎の神は、この星の子の骨をひろい集めて自分のそばに祀り、
いつか天国に帰してやろうと考えていた。
 そのことから、御嶽の神女は必ず、香炉の星砂を年に一度は入れ替える習慣が残っている。
そして、島の神女のおかげで、星の子は昇天しているので、
午の方角の母星のそばに多くの子星が光っているという。

出典:『竹富島誌―民話・民俗編―』 上勢頭亨著 法政大学出版局発行

(た)

投稿者 takidun : 01:41 PM

September 17, 2009

ゆがふ館の民具類

 ゆがふ館にご来館いただいた皆さんは、
「なんとなく懐かしいな・・・」
という思いに駆られる方々が大勢いらっしゃいます。

 それは、ゆがふ館に展示されている民具類の数々。
竹富島は山や川がなく、お米を作ることができない島です。
しかし、1637年から始まった人頭税の納税対象はお米でした。
そのため、先人達は西表島まで耕作に通っていたのです。

先人達は西表島で米をつくり、そこで得た藁を工夫し、
様々な道具を生み出してきました。
勿論、藁だけではありません。クバ(ビロウ)や月桃(ゲットウ)、
クージ(トウヅルモドキ)なども民具づくりに活かされてきました。

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クバの葉を3枚使ったクバ笠。 沖縄を代表する民具です。

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ミノサー(蓑)は泥に浸すと長持ちするそうです。

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ススキの箒です。インテリアにするととても可愛いです。

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こちらも代表的な民具。プツ(わらじ)です。何気につくるのが難しい民具です。

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右上からマディル(芋入れ)、左上は月桃のアンツク(物入れ)、
下はクバオウニ(うちわ)です。

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竹富島民具づくり教室のメンバーで制作しているニーブ(藁の敷物)。
完成まであと一息です。

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右にはフニヤボが展示されています。穀物の脱穀に必要な道具です。

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ニーブの編目です。光にあたると黄金色に輝きます。


ゆがふ館に展示されている民具類からは、
織物と並んで“竹富島の生活の息吹”が感じられます。

(た)


投稿者 takidun : 01:34 PM

September 13, 2009

第86回敬老会

 本日竹富島では、
年寄りを敬い、長寿を祝う敬老会が開催されました。

ちなみに、竹富島の敬老会は今年で第86回目。
1923(大正13)年に、竹富村初の民選村長に選出された
上間廣起を発起人として、70歳以上の老人11名を招待した
ことから始まった竹富島の敬老会は、
日本国民の祝日である敬老の日よりも43年も前から行われています。
【敬老の日は1966(昭和41)年に制定】
 
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座開きの 〜そうじかち〜

現在、竹富島では、数え年70歳(満69歳)を迎えると
敬老会員に入会します。

今年の入会者は5名。

1913(大正2)年生まれの97歳のマンダラーヨイのお祝いを迎えた
お二人を筆頭に、敬老会員は84名です。

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島の人口は341名(5月18日現在)ですので、
約4割のかたが敬老会員です。

“敬老会員”とはいえ、皆さんお元気そのもの。
畑仕事や、織物、民具づくり、観光客の方々のお相手など、
忙しい日々をお過ごしです。

 これからもみなさまお元気で、朗らかな笑顔で
竹富島を明るく照らして下さいませ。

(た)

投稿者 takidun : 02:48 PM

September 05, 2009

ゆがふ館にスタンプが設置されました!

 ゆがふ館にご来館予定のみなさま。

 たいへんお待たせいたしました。
 かねてから多くのかたがたにご要望をいただいておりました、
西表石垣国立公園竹富島ビジターセンター竹富島ゆがふ館
の専用スタンプが館内に設置されました!

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このスタンプは、『西表石垣国立公園探索マップ』にて紹介している

・ 国際サンゴ礁研究・モニタリングセンター(石垣島)
・ 黒島ビジターセンター(黒島)
・ 西表野生生物保護センター(西表島東部地域)
・ 竹富島ビジターセンター竹富島ゆがふ館

の環境省施設の地域性・独自性を生かしたデザインが描かれています。

この4か所の施設は、西表石垣国立公園を楽しむための最新の情報
を提供していますので、是非とも探索マップに掲載されているスタンプラリー
にご参加いただき、4か所の施設を訪れてみてください。

素敵な記念品があなたを待っているかも知れません・・・。

(た)

投稿者 takidun : 04:40 PM

September 02, 2009

ショーロ(お盆)

 昨晩から3連夜、竹富島ではショーロ(お盆)の行事
行なわれています。
 今年の旧暦は閏月(5月が2回)のため、新暦のお盆
よりも遅めの旧暦7月13日〜7月15日を迎えています。

 竹富島でのショーロは、東集落、西集落にアンガマが現れ、
各家を訪れ、後生(グソー・あの世のこと)のかたがたに芸能を
ご覧いただきます。

 昨夜は東集落では3件、西集落では1件にクバ笠を被り、顔を
隠した独特のいでたちのアンガマが訪れました。

石垣島のソーロン(お盆)のようにウシュマイとンミの軽妙な会話の
掛け合いはありませんが、灯りに照らされた扇子の輝きと、リラックス
したアンガマの踊りが秋めいてきた竹富島の甘い夜を彩ります。

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 写真は西集落

(た)


 

投稿者 takidun : 09:45 AM