August 28, 2007

ショーロ

今年のショーロは8月25〜27日に迎えました。
東集落・西集落では地謡が三線を爪弾き、アンガマーが
数々の芸能を披露し、お盆の夜を彩ります。

祖霊も愉しんでいただけたことと思います。

竹富島のアンガマーは、クバ笠をかぶり、手拭いで顔を覆って誰だか
判らないようにします。さらに屋敷の中ではなく前庭にて踊ります。
顔を覆い隠す訳は、祖霊に気に入られて招かれないようにするためであり、
仏壇から離れて踊るのも、踊りの上手なアンガマーが祖霊から引っ張り込ま
れないようにしています。(昭和15年生まれ E.O氏より聞き取り)

25日(迎日)
アンガマー登場の際は“孝行念仏”が謡われます
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西集落 タカンキャー

26日(中日)
アンガマー登場の際は“七月念仏”が謡われます
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西集落 フーヤーヤ

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西集落 ウイマーヤ

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西集落 新田屋

27日(送日) 
アンガマー登場の際は“園山念仏”が謡われます
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西集落 ウイシドゥ

(TA)

投稿者 takidun : 03:27 PM | コメント (0)

August 21, 2007

ミルク神

竹富島に居られるミルク神は、漢字では「彌勒」と書きますが、
弥勒菩薩(未来仏)とは異なる神であると思われます。

琉球においては、ミルクの神はシャム(現在のタイ王国)から伝わったと
の伝承が残されているので、当然仏教の伝播のひとつとして考えることが
できます。

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ゆがふ館に展示しているミルク神のお面(レプリカ)

竹富島でミルク神のお面が安置されている「彌勒奉安殿」の扉を
開ける際は、次の口上を述べています。

 〜天国、大国、ウイヤマト、タンヤマト、
  ハナミヤク、バタリオータル、ミンナ加那志ヌ前。
  竹富ヌ、元ヌ島に、オーリ、信ジ念ジラリ、
  オータル、島ヌ主ヌ、神ヌ前〜

  訳:天国から大国から日本本土から花の都から
    渡来なされた安南(現在のベトナム)の神様。
    竹富の元の島に御出で下さり信じられ、念じられて
    おられる島の主神様 


ミルク神の信仰の始まりに関する次のような説話が残っています。

〜竹富島玻座間村の仲道家の祖先が、海岸に漂着したミルクのお面を
 発見して持ち帰り、密かに自家で信仰していたところ、穀物が稔ったので
 ミルク神のご加護によるものといよいよ深く信仰したのことである。
 そこで、ますます仲道家は豊かになっていったという。
 竹富島の有力な家柄である與那國家の主はその噂を聞き、
 仲道家だけで信仰しているミルク神を村全体で信仰しようということにして、
 お面を與那國家に移したという。與那國家では代々ミルクを信仰し、
 お面に仕えたので仲道家同様に五穀が稔ったとのことである。
 ところが、與那國家の娘が島の有力な家柄の大山家に嫁ぐことになった。
 そこから、ミルク神のことが、大山家にも知られてしまったという。
 大山家ではぜひ家でも信仰したいとお面を借りていったまま以後
 返すことはなかったという。
 しかし、與那國家ではお面に仕えることはやめなかったので、
 ごく最近まで、ミルクのお面は大山家で預り、お面をかぶって
 お出ましを願う時には與那國家が仕えることになったとのことである。〜
 (阿佐伊孫良 論文 / 竹富島のミルク神について) 


また、釈迦とミルクが奪い合いをする伝承も残されています。

〜昔、釈迦と彌勒がいて、お互いにこの世は自分のものであると争っていた。
 それではということで、二人は話し合い、お互いに欲を捨てて、
 誰の世にするかは天の神にまかせ、神が与える何かの印しによって、
 どちらかにこの世を譲ることにした。
 二人が目をつぶって天にお願いをしていると、天の神から大きな金の鞠が
 降りてきて、彌勒の膝の前に飾られた。釈迦が小さく目を開いてみたところ、
 彌勒の前に鞠が光って飾られていたので、その鞠を自分の膝元近く寄せつけ、
 そ知らぬふりをしてまた目を閉じて祈りをつづけていた。
 ところが、これをそばにいた目を四つもったバッタがはっきりとその目で見ていた。
 バッタは、
 「釈迦と彌勒は目を開けよ、そしてこのバッタの言うことを良く聞けよ。
 この広い世界に目の四つある者は、唯私一人だ。
 この四つある正しい目で私は見た。
 この世の定めの金の鞠は彌勒の前に天の神からさずけれた。
 徳の高い世果報の鞠である。
 釈迦の膝の前にある鞠は釈迦のものではない。
 天地四方の豊年を招く弥勒世の印しの鞠である。」
 と、はっきりと言って彌勒に鞠を渡した。
 釈迦はバッタの正しい言葉と、確かに四つの目で見られたのに驚いて、
 自分の一時の汚い欲をきっぱり捨て、徳の高い彌勒にあやまった。
 それから釈迦は最後に、
 「この世の万人をよく指導して、立派な世界の世果報太平の神として
 万人から敬われるように頑張ってくれ、私は遠い遠い八重山島の石城山と
 言うところに身を隠し、皆さんの幸福を祈ります。」
 と言って、彌勒と別れ、八重山島にある石城山の岩屋にかくれたと言うことである。
 それから八重山では、バッタは神の使いだと信じられるようになった。そして、
 祭りの時にバッタが飛んで来て神に供えた供物に止まったり、祭主のところを
 飛び廻ったりしたら、この祭事は正しく、神が喜んで納受しているとされるように
 なったとのことである。
 (上勢頭 亨 著/竹富島誌(民話・民俗篇)P52〜P53 法政大学出版局(絶版))

(TA)

投稿者 takidun : 06:53 PM | コメント (0)

August 19, 2007

七夕願い

旧暦7月7日の本日、
世持御嶽の東に安置されている彌勒奉安殿の扉が開きます。

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七夕願い、節祭(しちまつり)、種子取祭の年3回のみ、
ミルク神の御面は島人に姿を現します。

七夕願いでは、ミルク神の御面を虫干しする日にあたり、
島の有志並びに公民館執行部、
御面を先祖代々管理している大山家当主、
御面を先祖代々つける役目の與那國家当主、
の方々が集い、ミルクのお顔を拝見します。

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僅か15分程度の儀式ですが、出席者は皆アイヂシン(紺地衣)を身に着け、
厳粛な身持ちでミルク神に拝顔します。

そして、7月7日はお盆(ショーロ)の1週間前。
祖先の霊を迎える準備も始まります。

(TA)


 

投稿者 takidun : 06:42 PM | コメント (0)

August 18, 2007

台風8号

大型で非常に強い台風8号は、
本日未明に風速15m以上の強風圏内を離れました。
定期便も12時30分石垣発から通常通り運行されました。
島内においても、特に被害があったとの情報は入っておりません。
 
今日の竹富島は、他島(黒島、波照間島、西表島)の定期船が
欠航の影響もあるのでしょうか?
12時40分竹富着の定期便は八重山観光フェリー、安栄観光ともに満席、
てーどぅんかりゆし館は観光客でごった返していました。
天気は生憎でしたが、竹富島を楽しんでいただけたかと思います・・・。


明日はナンカショーロです。
弥勒奉安殿よりミルク神(御面)が、今年初めて島人の前にお顔を現します。

明日の天気は曇りのち晴れの予報です。

(TA)

投稿者 takidun : 06:53 PM | コメント (0)

August 10, 2007

こんな日には・・・

昨日の台風7号が去った後、竹富島に雨が落ちてきました。
連日、厳しい暑さが続いている島の人にとっては“恵みの雨”ですが、
ご来島いただいている観光客の方にとっては大変残念です。
こんな日には、是非ゆがふ館の「てーどぅんコラム」をご利用下さい。
 
神祭、芸能、唄、民話を音声でご紹介しています。

また、なかなか僅かな時間では触れる事の出来ない
「島の文化」を感じ取れるコーナーでもあります。
それでは、「てーどぅんコラム」で聴く事が出来る唄をご紹介します。

 〜竹富ぬ一本竹ゆんぐとぅ〜
 
1 ばんどぅ たきどぅんぬ なかだてぃぬ いっぷんたきよばー
  (私が竹富(島)の、仲立(島)の一本竹です。)
2 いみさから くゆさから たんがまりしぶんよばー
  (幼少の時から、幼い時から 独り生まれをしているよ)
3 かじにむまり あみにたたがり ぶんよばー
  (風にもまれ、雨にたたかれているよ)
4 ならふどぅぬ たきふどぅぬ いでーき ぶんよばー
  (自分ほどに 背丈ほどに なってきているよ)
5 ひとぅふしからよばー
  (一節からね)
6 あつふぁーぬ まれたぼられぶんよばー
  (初の子が 生まれなさっているよ)
7 ふたふしからよばー
  (二節からね)
8 じなんふぁーぬ まれたぼられぶんよばー
  (次男子が 生まれなさっているよ)
9 いくふしふしぐとぅによばー
  (幾節節ごとにね)
10 まりさかりたぼうられ あんしんしぶんよばー
  (生まれ栄えなさり 安心しているよ)
11 ふぁーぬたきふどぅぬ いでーきいよばー
  (子供が背丈ほどになってきてね)
12 うやぬかたばしくり あんしんしぶんよばー
  (親の形をつくり 安心しているよ)
13 しほう はっぽうからよばー
  (四方 八方からね)
14 んまがぬ まれたぼうられ ぶんよばー
  (孫が 生まれなさっているよ)
15 しまむちぬ ふんむちぬ まれきよばー
  (島持ちが 村持ちが 生まれてきてね)
16 うりみりばがぬしゃ かりみりばんぞさーあんよばー
  (それを見れば愛しい あれをみたら愛しくあるよ)
17 どぅぐぬ さにさんどぅよばー
  (たいそうの 嬉しさにね)
18 うやふたーる てぃーばすなぎ なみだくぶしぶんよばー
  (親ふたりは 手をつないで 涙をこぼしているよ)
19 しすんするてぃ うやきはんじょう
  (子孫そろって 富裕繁盛です。)

● 上勢頭 亨 著/『竹富島誌 歌謡・芸能編』 法政大学出版局(絶版)


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(TA)


投稿者 takidun : 07:14 PM | コメント (0)

August 09, 2007

台風7号

台風6号に引き続き、台風7号が襲来してきました。
今朝は定期便全便が欠航となり、かりゆし館も閉館し
大荒れの天気を覚悟していたのですが・・・

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風は少々強いものの、とてもよい天気でした。
定期便は15時に運行再開となりました。

島の人からは、
「雨が少しでも降ってくれれば涼しくなるのに・・」
との声も聞かれた今日の竹富島でした。

(TA)

投稿者 takidun : 08:37 PM | コメント (0)

August 08, 2007

相倉地区少年団の来館

本日は、富山県相倉地区の世界遺産保護少年団一行が
竹富島見学のため来島し、ゆがふ館にもご来館されました。
 
富山県南砺波市相倉地区は、越中五箇山の合掌造りの集落が
世界遺産として登録されています。

相倉地区合掌造りHP  www.g-ainokura.com/

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町並みを“守る”精神は地域を問いません。
是非、竹富島の町並みを勉強し、楽しんでもらいたいと思います。

竹富島も長野県木曽郡南木曽町妻籠地区から様々な助言を
いただき、竹富島憲章の制定につなげました。

特定非営利活動法人全国町並み保存連盟主催の
今年の「町並みゼミ」は9月、三重県伊勢市で開催の予定です。

(TA)

投稿者 takidun : 04:46 PM | コメント (0)

August 07, 2007

アーパー石

 竹富島の北、美崎浜の旧桟橋跡
(以前は北の桟橋として利用されていました。)
の左側に、アーパー石と呼ばれる岩があります。
美崎浜には、美崎御嶽、親泊御嶽、アイヌソイ・イルノソイなど
見所が沢山あるのでつい見過ごしがちですが、
このアーパー石には幾つもの伝承が残されています。

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 〜アーパー石の伝承〜

 昔、竹富島の北にある新里村に若くて美しい女がいた。
毎日、家にいて食べては眠ることをくりかえしていたので、両親
は怒って、娘を「フータバ娘」と呼んでいた。それでも娘は平気
で、眠ることを仕事のようにしていた。
 ある日のこと、母は娘を連れ出して海に行き、きれいな白浜
でも眺めさせようと、無理矢理手をとって家を出た。その時は潮
がずいぶん引いていて、岸には青々としたおいしそうなアーサ
(青のり)が沢山あったので、母はその青のりを欲しくなり、娘を
引き連れて青のりのある場所まで行った。
 すると、急に潮が満ち、その娘を海に引きこむと、美しい娘は
見る間に老婆に変わり、石となって海中に立つようになった。
それがアーパー石と伝えられている。
 竹富島の美崎御嶽の海の前に立っているため、同御嶽の祝詞
には、アーパー石を立神と称し、海の守り神として崇めている。

●上勢頭 亨 著/『竹富島誌 民話・民俗篇』92〜93頁 法政大学出版局(絶版)

 また、1500年に起こったオヤケアカハチの乱の際、美崎浜に現れた琉球王府の戦船(※)
を目の当たりにした竹富島の動揺を謡ったユングトゥも残されています。

 「アーパー石ユングトゥ」

 そーるぬ あーぱーたあ しるはまにおーりて 
 (そーる(岩石名)の老女達は 白浜に降りて)
 アーサふちに おーりて ふびむたいみりばと ふびすらし 
 (浅瀬に来られて 首を持ち上げてみたら、首をそらしてみたら)
 いっさーふぬどぅやんぬんせー ひとふぁいふにどやんぬんせ
 (戦船が押し寄せ 人喰船が押し寄せている)
 まーがにみちからはりぬぶり
 (真金道から走り登り)
 しるがにみちからはりぬぶり
 (白金道から走り登り)
 あななるあなまがりゃ
 (穴の穴曲がり)
 すんなーるすんまがりゃ
 (大谷わたり(植物名)の寸曲がり)
 はたきまーるしみみりばど
 (畠巡りをしてみたら)
 ひとのはたぎはそいばかり
 (人の畠は整地され)
 ばーはたぎやありはてて
 (私の畠は荒れ果てて)
 がーふちぬ
 (ガーラフチ(地名)の)
 うふいしがなしぬ まいゆ ひされー
 (大石神様でございます)

● 訳:本庄正佳 著/『竹富島古謡誌』 竹富島古謡研究会
● ※ 中山軍(琉球王府軍)の戦船は46隻・兵力は約3,000人と伝え
    られています。
    喜舎場永─|/『石垣町史』 国書刊行会

  さらに次のような不思議な伝承もあります。

 〜ビーチン山の神について〜

 昔、ビーチン山(※)という所に、徳の高い神様がおられた。
海が近いのでよく魚釣りに海にでられたそうです。
竹富島のある物知りオジサンが神様の釣りを遠くから眺めましたところ、
神様は珍しい鍋の蓋のような大きい鉄の帽子をかぶり釣りをされていた。
 ある日のこと、神様が釣りをなさっているところに近く寄り、大きな木の蔭に隠れて神様の
かぶられている珍しい金帽子に小石を投げ金帽子のなる音を聞き、楽しみながら何回も
いたずらをした。
 神様は大変おこって、「我に石を投げるものはだれじゃ、許してはおかぬ」
とオジサンを追いかけた。
 追われたオジサンは御岬浜までかけつけた。浜には一隻の西表舟が停泊し、
この舟には一人の舟子が舟番人として寝ていた。オジサンは急いで自分の着物を
脱いで舟番人にかぶせ海の中にあるかくれ岩石という岩陰にかくれてみていた。
 神様は自分をおこらせた者は間違いなくこの着物を着けたものだと鉄棒で舟子を
打ち殺し、西表人を困らせてやろうと神風を吹き起し悪天候に変じ西表舟の一行
は死人を前に苦心し、宿泊せること一週間に至ったそうです。
 この伝説により西表舟が御岬浜に着いて立て神アーパー石を舟のとも綱でしばり
つけると海が荒れると伝えられている。(海原の神であると言われている。)

※ビーチン山
 現在ではビッツァーラと呼ばれている。
 アイホーシ道と花城・久間原遺跡間の地域の名称。
 よくマジューヌ(魔物)に惑わされる場所なので、
 一人では入らないほうがよいとされている。
 《F.S氏(大正15年生)より聞き取り》


● 崎山 毅 著/『蟷螂の斧』 金友堂写植(絶版)

(TA)

投稿者 takidun : 02:10 PM | コメント (0)

August 05, 2007

満天の星空の下で

八重山は毎年1月に各地域別対抗駅伝大会(※)が開かれるほど、
駅伝が盛んな地域です。
もちろん、竹富島でも駅伝を強化しようと島人は一生懸命です。
その甲斐もあって、今年の“うつぐみ”チームは準優勝となり、優勝まで
あと一歩と迫っています。
こうしたなか、八重山高校男子駅伝部が竹富島にて合宿を行い、
駅伝に情熱を傾ける島の人々と交流会を開きました。

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八重山高校駅伝部のメンバー

竹富島が各地域別対抗駅伝大会に出場
するようになったのは7年前の平成12年から。
“芸能の島”として名高い竹富島をスポーツでも盛り上げて行きたい・・・。
島の有志が公民館や島の人々に呼びかけ、
指導者の方々の地道な努力や、父兄の様々なご協力により、
駅伝が島に根付き、八重山を制するのもあと少しです。

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島の功労者の方々へ、子どもたちから感謝の花束贈呈です。


コンドイビーチの満天の星空の下、
爽やかな気分にさせてくれたひと時でした。


(※)正式名称は八重山毎日駅伝
  今年は第32回が1月21日に行なわれた。
  全18地域が石垣島1周を16区間に分けたすきをつなぐ。
  ちなみに竹富チームは26回大会より初出場。
  竹富の出場成績は
  7位(第26回)
  4位(第27回)
  7位(第28回)
  2位(第29回)
  4位(第30回)
  4位(第31回)
  2位(第32回)
  
(TA)

 

投稿者 takidun : 03:44 PM | コメント (0)

August 04, 2007

波照間屋敷

東集落集会所(あいのた会館)前の対角に大きな岩があります。
現在は、『蟷螂の斧』の著述で知られる崎山 毅先生の記念碑が
建立されていますが、この地には、「波照間屋敷」の伝承が残っています。

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波照間屋敷の大岩

〜波照間屋敷の話〜
 竹富島の南海岸に網張り蜘蛛の家と言う岩がある。昔、その岩に波照間
 人が住んでいた。岩の奥には蜘蛛が糸を掛け、網糸に虫や蝶類を掛け取り、
 餌としていた。それを見た波照間人は大いに感じ、山に行ってかずらを取り、
 それで網を作り、魚類を捕まえて生活していた。波照間人は村に来て島人と
 も親しくなり、島人の信用を得て村内に屋敷を求め、屋敷の前にある大岩の
 上に池を掘り、池の水で海で使用した大切な網を洗って大岩に乾し、常に岩、
 池と網への感謝の念を持って生活していた。
   《中略》
 波照間人は竹富島にしばらく住んでのち石垣島に渡り、大浜村に行って偉い
 武士になったと言われている。波照間人が住んでいた屋敷は波照間屋敷と呼ば
 れている。
   《以下略》

 ● 上勢頭 亨 著/『竹富島誌 民話・民俗篇』 法政大学出版局 (絶版)

この伝承から、波照間屋敷の主人公はオヤケアカハチであろうと推測されます。

オヤケアカハチという人物は、八重山の歴史を語る上で欠くことのできない重要な方で、
1500年に起こった「オヤケアカハチの乱」(オヤケアカハチ戦争とも云う。)の中心人物
であり、アカハチが敗れた結果、八重山は琉球王朝の統治下に置かれることになります。
そして、島の偉人である西塘は、この乱の結果、首里へ上がり自らの才能を開花させ、
八重山初の八重山人の行政長官として錦を飾ることになります。

オヤケアカハチの出身は波照間島南部落であるとされ、現在、波照間島には
「オヤケアカハチ生誕の地」として史跡が残っています。(竹富町文化財)
また、石垣市大浜地区では、いまなおアカハチを英雄として尊敬しています。

1500年の竹富島の動向については
● 「西塘とその時代」論争 西里喜行・狩俣恵一往復書簡/『竹富町史だより』
  第21号・第22号に詳しい記述があります。

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「波照間屋敷」敷地内に建立する崎山毅先生の記念碑

(TA) 
 


 
 

投稿者 takidun : 09:15 AM | コメント (0)

August 03, 2007

長寿の森

集落の中央に位置する「竹富町立高齢者コミュニティセンター」。
ここの裏庭には、“長寿の森”があります。

97歳のマンダラーヨイの祝賀を受けた方々が
その長寿を記念して植樹をされています。

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故 大山静子さんの沖縄県最高齢記念樹 (平成13年当時)

竹富島の歴史を守り続けた方々から“生”を受けた木々は、
静かな佇まいのこの地で、竹富島の歴史を見続けることでしょう。

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長寿の森にて育つガジュマルの木

(TA)

投稿者 takidun : 04:26 PM | コメント (0)

August 02, 2007

喜宝院蒐集館夜間講座(その1)

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8月1日晩に、喜宝院蒐集館夜間講座へ
参加して来ました!

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本日のお客さまは、NPO職員とお食事処『竹の子』さんのスタッフ計4名。
少々寂しい船出となりましたが、講座の内容は充実したものでした。
 
今夜は、ミンサーについてのお話をお伺いしました。
織物が育む男女の馴れ初めや、ミンサーの意匠の意味、
他の島々の図柄など。
(ちなみに、”いつの世も”で知られる八重山ミンサーの代表的な意匠は、竹富島の図柄です。)
 
上勢頭芳徳館長の話術もあって、大変楽しい講座となりました。

 (TA)

投稿者 takidun : 03:49 PM | コメント (0)

August 01, 2007

名称が変わりました!

8月1日をもちまして、西表国立公園に石垣島が編入され、
西表石垣国立公園となりました。

iromoteishigaki.jpg
    編入された石垣島の指定地域

 自然公園法では、土地の自然の状態や使われ方によって、
 陸域を特別保護地区、第1種から第3種までの特別地域、
 普通地域に、海域を海中公園地区と普通地域に分類します。
 石垣島は、於茂登岳を中心に、米原南地域は特別保護地区、
 吉原、山原南地域は第1種特別地域に指定されています。 
 編入地域は石垣島の陸域の約3割、約7,000ヘクタール。
 海岸線においては南西部及び若干の北西部を除き、
 海中公園地区及び普通地域に指定されています。


これに伴い、ゆがふ館の正式名称も
『西表石垣国立公園 竹富島ビジターセンター 竹富島ゆがふ館』 
と変更になりました。

竹富島では、島全体が普通地域、西桟橋から島南部のキダール海岸
までの海岸線が第2種特別地域に指定されています。
 
指定地域の分類については、以下のとおりです。
 
1 特別地域
 1.特別保護地区
  公園の中で最も中核をなす地域であり、特別地域のなかにおいて、最も
  厳重に景観を保護すべき地域
 2.第1種特別地域
   特別保護地区に準ずる景観地であり、現在の景観を極力維持することが
  必要な地域
 3.第2種特別地域
  特に農林漁業活動について努めて調整を図ることが必要な地域
 4.第3種特別地域
  特別地域の中では風致を維持する必要性の比較的低い地域であって、
  特に通常の農林漁業活動については原則として風致の維持に影響を
  及ぼすおそれの少ない地域

2 普通地域
  特別地域以外の地域で自然景観が特別地域と一体をなす地域あるいは
  公園の利用上の必要性から公園区域とされている地域

3  海中公園地区
  海面の公園区域中、海中景観の保護及び利用を図るもので、
  特色ある海底地形や自然度の高い豊富な海中動植物の生態が見られる地区

ちなみに、指定を受けた地域の開発などの制約については、
 「自然公園内の特別地域における開発行為については、
   開発予定地の市町村長の意見の副申を受けて現地調査を行い、
  開発との調整を図ります。
  また、普通地域での大規模な行為は、
  特別地域同様当該市町村を経由して事前に届出ることになっています。
  なお、通常の管理行為や普通地域における小規模な行為は、
  自然公園法の規制を受けません。」
となっています。(「」内は沖縄県自然保護課HPより抜粋)

  (TA)

投稿者 takidun : 01:06 PM | コメント (0)