September 30, 2006

ユーンカイ(世迎い)

旧暦の8月8日に行われる祭祀、世迎い。
今年度は、新暦の9月29日がその日にあたります。

ニライカナイの国々から五穀の種もみを持ってくる神々を迎える祭事です。
その神々が竹富島についた時、船のとも綱を結びつけた石と伝わるニーラン神石で、
ニーランの神々を迎えます。

早朝、神司と公民館執行部により、ニーラン神石で祈願をしトゥンチャーマ*をうたい、神々を迎えます。
その後、仲筋集落で迎えられ、幸本御嶽へ向かいます。
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幸本御嶽で祈願を行い、クックバーへのぼります。
クックバーでもハヤマワリハイダチの神々による種籾の配りがあり、祈願を行います。
その後、玻座間集落へ向かい集落の入口で、玻座間村人々に迎えられます。
そこでは激しくガーリが繰り返されます。その後、公民館まで行き、そこで解散して祭りは終了します。
一行は、道中トゥンチャーマを 歌いながら移動します。

*トゥンチャーマ
この古謡は八月八日、五穀の種子を積んだニーラン神の船を迎える世迎い(ユーンカイ)の時にうたわれます。

一、 あがとから 来る船や ばがいぬとぅんちゃーま
     うーやき 世(ゆ)ーば 給ぼうらる

二、 うはらから 来る船や 何ゆしちゃる 来る船
     うーやき 世(ゆ)ーば 給ぼうらる

三、 彌勒世(みるくゆ)ば 載(ぬう)しおーる 神(かん)ぬ世ば 載しおーる
     うーやき 世(ゆ)ーば 給ぼうらる

四、 竹富(たきどぅん)に とぅーるすーきてぃ 仲蒿(なかだき)に とぅーるすーき
     うーやき 世(ゆ)ーば 給ぼうらる

五、 彌勒世ば 抱(だ)ぎうるし 神ぬ世ば 抱(だ)ぎうるし
     うーやき 世(ゆ)ーば 給ぼうらる

六、 家(やや)ぬ 家ぐとぅに きぶる きぶる ぐとぅ
     うーやき 世(ゆ)ーば 給ぼうらる

七、 俵 世ば 給ぼーられ 升ぬ世ば 給ぼーられ
     うーやき 世(ゆ)ーば 給ぼうらる

投稿者 takidun : 05:25 PM | コメント (0)

September 28, 2006

9月の自然のお話し2

台風が去り、島は涼しくなりました。
台風ですっかり緑が吹き飛ばされましたが、
いまは、芽吹きがあちこちで・・・
新緑が待ち遠しいですね。

そしてこのころは、ソテツが実を付ける時期です。
朱色の実が赤々と実るのでしょう。

「ムチマイシイチ*は、蘇鉄大主*が馬艦船*に乗った時に
 「大風なので避難します。」ってごまかして慶良間まで行って、
 そこから持ってきたんだよ。
 舟底に隠してね。
 おかげで食糧難の時も助かったさぁ。
 十五夜祭がすんだら獲ってもいいよ。」


*ムチマイシィチ
 ソテツは島の言葉でシィチと言います。ムチマイは餅米のこと。
 竹富島にはモチモチした食感のムチマイシィチと、普通のシィチがあります。
 ソテツの実は、大正末期から昭和初期にかけて起きた昭和恐慌の時や、
 戦中・戦後の食糧難の時も、味噌やおかゆにして食べ、飢えをしのぎました。
 17世紀末から18世紀にかけて首里王府の役人を務めた蔡温(さいおん)は
 飢饉に備えて強制的な植樹を行わせ灰汁抜きの仕方や食べ方も細かく指導したと言われています。

*蘇鉄大主中国に国書や貢ぎ物を運ぶ進貢船の船頭を務めていた。
 竹富島の西表家の祖先、松峯大主さんのこと。
 西表家では、大主の霊を奉り、大主が航海の安全を祈願した馬艦船の掛け軸を信仰しています。

*馬艦船
 沖縄島や宮古諸島、八重山諸島を往来した中国式の帆船のこと。

投稿者 takidun : 04:43 PM | コメント (0)

September 25, 2006

9月の自然のお話し1

この時期、タコがリーフ内に移動します。
タク(タコ)は、岩の隙間などの巣穴に隠れていて、カニや貝などを食べています。
巣穴のタコを先の曲がったモリで突き、引き出して獲るのがサンゴ礁でのタコ漁。
軟体動物のタコは、殻はどこにも見えませんが、貝の仲間です。

島の人の言葉にこんなのがあります。

「タコの頭の中には
 胃が入っているんだよ。
 タコ獲って海でさばく時に、
 胃がすごく満腹になっていると
 二〜三日のうちに必ず天気が悪くなるんだ。
 天気が悪くなるから
 タコは穴の入口を閉めるんだよ。
 天気が続く時はそんなに食べてないなぁ。」

投稿者 takidun : 04:34 PM | コメント (0)

September 24, 2006

第83回敬老会

9月24日、まちなみ館にて、恒例の敬老祝賀会が開かれました。
明治40年生まれの大浜太呂さん(100歳)を筆頭に、85名の敬老会員を、島あげてお祝いしました。
全人口のうち敬老会員が占める割合を考えてみると、
おどろくことに竹富島は超高齢化社会だといえます。

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今年度、70歳を迎えた6名が、新たに会員となりました。
代表として、大山祐達さんが、
「早く一人前の敬老会員になりたい」と挨拶されていたのが印象的でした。
竹富島で70歳というのは、まだまだ子供だということでしょうか、
「70歳は敬老会の青年部!」という言葉をよく聞きます。

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祝賀会では、スピーチや祝電、保育所や各集落などから数々の芸能が披露され、
終始にぎやかな会となりました。
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竹富島の敬老祝賀会は、国が定めた「敬老の祝日」よりも歴史が古く、大正13年にはすでに行われています。
今年度で83回の会を重ねているというのも驚きですね。

投稿者 takidun : 05:07 PM | コメント (0)

September 21, 2006

台風13号

非常に強大な台風13号は竹富島にも大きな爪痕を残しました。
台風の通過中は風に強さが恐ろしく安心して眠れない夜となりました。

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木々が倒れ、緑が吹き飛ばされ、島の景色は一夜にして変わりました。

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見事な大木も倒れ、

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立派なトタン屋根なども吹き飛ばされてしましました・・・

しかし、島の人の言葉には強さを秘めたこんな言葉があります。

 台風がくるとよ、
 風に吹かれて吹かれて
 家の石垣の草や木もぜ〜んぶ葉っぱがなくなるさぁ。
 枝が棒みたいになって、残っているだけだよ。
 でも、
 その後一週間くらいでいっせいに新緑になるんだよ。
 あれは、きれいさぁ。

投稿者 takidun : 05:28 PM | コメント (0)

September 12, 2006

竹富町議会選

町会議員選挙に新田長男さん当選!

9/10は竹富町議会議員選挙の投票日。
竹富町の町議会は島の代表といった側面もあり、
竹富島からは新田長男さんが立候補しました。
翌11日は開票日。
開票結果を待ちきれず、島の人はなんだかそわそわ。
口々に「まだかまだか」と・・・
やっとお知らせが入りました。
239票を獲得し、第3位での当選!
おめでとうございます!
知らせはすぐに島へ広がり、みなさん喜びを分かち合いました。

夜は、島中から駆けつけた大勢の人々の笑顔と喜びがあふれる祝賀会。
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歌あり踊りあり。
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新田長男さんはみなさんの支援に感謝し、二期目の決意を新たに固めました。
これだけの方々が応援しているのですから安心してください。
新田長男さん、これからも竹富島一丸となってがんばりましょう!

投稿者 takidun : 06:52 PM | コメント (0)

September 09, 2006

第29回「テードゥンム二大会」

毎年恒例のテードゥンム二大会、今年で、29回を数えます。
竹富島の方言である「テードゥンムニ」。
これを、継承していくためにも毎年開催するこの大会。
夏休みには、テードゥンム二に慣れ親しみ学ぶために、朝のラジオ体操の後に行う読み聞かせのうち、週1回はテードゥンム二の読み聞かせで、前本隆一さんに習いました。日頃の努力と成果の発表の場、子どもたちはどんなことを発表するのでしょうか・・・

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保育所の子どもたちの童歌で幕を開け、
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会場は笑顔でいっぱいになり、みなさん子どもたちの動きに見入っていました。

自己紹介や、
夏休みの思い出発表する子ども、
自分の大好きなこと、
小中学校の先生方のテードゥンム二による赤とんぼの合唱、

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今年赴任の先生親子の島での生活の話、

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長者に扮した校長先生、
今までに習った昔話を話す子、
また、紙芝居を使って昔話を読む子、

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そして、家族で芝居を交えての発表、
兄弟での狂言・・・などなど
みんなそれぞれ工夫しての発表となりました。

老人会長の高那三郎さんからはそれぞれ子どもたちに丁寧な講評もいただき、
テードゥンム二の発音を褒められた子も。
やはり、テードゥンム二は本当に難しいので、
覚えきれずに原稿を持っての発表の子もいましたが、
日頃から少しずつでもテードゥンム二を使うようにすると、
積み重ねで段々覚えることができ、来年はもっと上達すると励ましも。
さあ、次回はどんな大会となるのでしょう・・・

投稿者 takidun : 05:27 PM | コメント (0)

September 08, 2006

シチマツリ

9月7日、シチマツリ(節祭)。
シチマツリは季節の変わり目で古代の正月といわれております。
農耕サイクルの折り目を表した祭事で、八重山地域における1年間のサイクルのとらえ方が、この行事からうかがえます。
竹富島では、土地のお祓いと井戸のお清めをし、大地に感謝を捧げ、作物が豊作でありますように、と祈願します。
秋季に入ると「己亥(つちのとい)」の日をもって祭日とします。かつては、この日から三日間の物忌みがあり、村鍛冶屋の「鎚(つち)」の音でもって終了したといいます。今年度の節願いは9月7日に執り行われました。

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早朝より、神司と公民館執行部により、国仲御嶽、西塘御嶽、清明御嶽、根原神殿を参拝し、厳かな祈願を捧げます。その後、神司は、各自の御嶽を参拝し、井戸水の清めのため、それぞれ管轄する井戸をひとつひとつめぐります。各井戸のでは、浜の砂により結界をつくり、香を立て、ろうそくを灯し、花米1合を供えて祈願します。
そして、夕刻には、公民館執行部と有志が、弥勒奉安殿に集い、弥勒神に祈願しました。
また、各家では魔除けとして、サン結びをしたススキ(フキ)を家の建物の軒、四隅に差し、屋敷の柱と鋤・鍬・ヘラ・臼・杵などの農具にはシチカヅラと呼ぶカズラの一種を巻きつけます。
そして夕刻、公民館執行部と有志が、弥勒奉安殿で弥勒神に祈願を行います。
この日から49日目の戊子(つちのえね)の日。
タナドゥイ(種子取祭)の種子蒔きの。
節祭で、祓い清めた土地に、種子の蒔き始めをするのがタナドゥイーーー
節祭を迎えると、いよいよタナドゥイがやってきたと実感します。

魔除けとなる、サン結びしたススキの由来
○結びのススキの話
昔、竹富島にアールマイという男がいた。この男は海が好きで、畠仕事の合間には海に出て魚を獲るのが習わしだった。
ある晩のこと、アールマイハ¥は夜釣りに行き、沖で魚を釣っていると自分の目の前に舟が現れ、舟人から付近の港口を教えてくれと声をかけられた。アールマイがこの舟は何のためにこの島に来たのかと訪ねると「私は病魔の神である。舟いっぱいの病気の種を載せてきたのだ。この島の出入港を教えてくれれば、そのお礼にあなたの畠に蒔く農作物だけは特別に稔らせてやるから、あなたの畠にはススキの葉の先の方をひと結びに結んで目印にしておき、あなたの家の門には七五三の注連縄を張っておきなさい。そうしたらあなたの所にだけは病の種をいれないから。」と、病魔の神がアールマイに答えた。
アールマイは病魔船に遠廻りの船着き場を教え、自分は一足先に村に帰り、途中の道の両側にある村人たちの畠にススキを差しつつ村に上り、村の入り口には七五三の注連縄を張って病魔の神を村内に入れないようにした。アールマイのおかげで、病魔船は竹富島に厄病をまき散らすことができずに、その船はそのまま島を去った。
それ以後、竹富島ではアールマイの教えとして農作物の種子蒔きをした時に、結びススキをし、また畠には「アールマイ ヌ ノールフキ」すなわち「アールマイの稔る茎」と唱えて農作物の豊作を祈ることにした。さらに、「ハナキ ヌ ニガイ」(病魔祓い)には、村の入口ごとに注連縄を張って魔祓いの祈願をした。
このアールマイの教えから始まった習慣は、現今まで行われている。
(『竹富島誌』より)

投稿者 takidun : 01:21 PM | コメント (0)