August 21, 2007

ミルク神

竹富島に居られるミルク神は、漢字では「彌勒」と書きますが、
弥勒菩薩(未来仏)とは異なる神であると思われます。

琉球においては、ミルクの神はシャム(現在のタイ王国)から伝わったと
の伝承が残されているので、当然仏教の伝播のひとつとして考えることが
できます。

miruku.jpg
ゆがふ館に展示しているミルク神のお面(レプリカ)

竹富島でミルク神のお面が安置されている「彌勒奉安殿」の扉を
開ける際は、次の口上を述べています。

 〜天国、大国、ウイヤマト、タンヤマト、
  ハナミヤク、バタリオータル、ミンナ加那志ヌ前。
  竹富ヌ、元ヌ島に、オーリ、信ジ念ジラリ、
  オータル、島ヌ主ヌ、神ヌ前〜

  訳:天国から大国から日本本土から花の都から
    渡来なされた安南(現在のベトナム)の神様。
    竹富の元の島に御出で下さり信じられ、念じられて
    おられる島の主神様 


ミルク神の信仰の始まりに関する次のような説話が残っています。

〜竹富島玻座間村の仲道家の祖先が、海岸に漂着したミルクのお面を
 発見して持ち帰り、密かに自家で信仰していたところ、穀物が稔ったので
 ミルク神のご加護によるものといよいよ深く信仰したのことである。
 そこで、ますます仲道家は豊かになっていったという。
 竹富島の有力な家柄である與那國家の主はその噂を聞き、
 仲道家だけで信仰しているミルク神を村全体で信仰しようということにして、
 お面を與那國家に移したという。與那國家では代々ミルクを信仰し、
 お面に仕えたので仲道家同様に五穀が稔ったとのことである。
 ところが、與那國家の娘が島の有力な家柄の大山家に嫁ぐことになった。
 そこから、ミルク神のことが、大山家にも知られてしまったという。
 大山家ではぜひ家でも信仰したいとお面を借りていったまま以後
 返すことはなかったという。
 しかし、與那國家ではお面に仕えることはやめなかったので、
 ごく最近まで、ミルクのお面は大山家で預り、お面をかぶって
 お出ましを願う時には與那國家が仕えることになったとのことである。〜
 (阿佐伊孫良 論文 / 竹富島のミルク神について) 


また、釈迦とミルクが奪い合いをする伝承も残されています。

〜昔、釈迦と彌勒がいて、お互いにこの世は自分のものであると争っていた。
 それではということで、二人は話し合い、お互いに欲を捨てて、
 誰の世にするかは天の神にまかせ、神が与える何かの印しによって、
 どちらかにこの世を譲ることにした。
 二人が目をつぶって天にお願いをしていると、天の神から大きな金の鞠が
 降りてきて、彌勒の膝の前に飾られた。釈迦が小さく目を開いてみたところ、
 彌勒の前に鞠が光って飾られていたので、その鞠を自分の膝元近く寄せつけ、
 そ知らぬふりをしてまた目を閉じて祈りをつづけていた。
 ところが、これをそばにいた目を四つもったバッタがはっきりとその目で見ていた。
 バッタは、
 「釈迦と彌勒は目を開けよ、そしてこのバッタの言うことを良く聞けよ。
 この広い世界に目の四つある者は、唯私一人だ。
 この四つある正しい目で私は見た。
 この世の定めの金の鞠は彌勒の前に天の神からさずけれた。
 徳の高い世果報の鞠である。
 釈迦の膝の前にある鞠は釈迦のものではない。
 天地四方の豊年を招く弥勒世の印しの鞠である。」
 と、はっきりと言って彌勒に鞠を渡した。
 釈迦はバッタの正しい言葉と、確かに四つの目で見られたのに驚いて、
 自分の一時の汚い欲をきっぱり捨て、徳の高い彌勒にあやまった。
 それから釈迦は最後に、
 「この世の万人をよく指導して、立派な世界の世果報太平の神として
 万人から敬われるように頑張ってくれ、私は遠い遠い八重山島の石城山と
 言うところに身を隠し、皆さんの幸福を祈ります。」
 と言って、彌勒と別れ、八重山島にある石城山の岩屋にかくれたと言うことである。
 それから八重山では、バッタは神の使いだと信じられるようになった。そして、
 祭りの時にバッタが飛んで来て神に供えた供物に止まったり、祭主のところを
 飛び廻ったりしたら、この祭事は正しく、神が喜んで納受しているとされるように
 なったとのことである。
 (上勢頭 亨 著/竹富島誌(民話・民俗篇)P52〜P53 法政大学出版局(絶版))

(TA)

投稿者 takidun : August 21, 2007 06:53 PM
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